世界史ノート 第4章3節

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3.モンゴル民族の発展                   p.96〜100 

ア.モンゴルの大帝国

 チンギス=ハン   によるモンゴル民族の統一
   12世紀 遼の衰退によって、モンゴル高原にモンゴル民族の勢力が拡大し始める。
   1206年 a テムジン   がモンゴル民族の遊牧民を統一。b クリルタイ(集会)を開催、
     c ハン の位につきd チンギス=ハン(成吉思汗) となりe モンゴル帝国 樹立。
     モンゴル系・トルコ系を統一し全遊牧部族をf 千戸制 に編成行政・軍事組織とする。
   1218年 東トルキスタンのナイマンを滅ぼす。
   1221年 西トルキスタンのg ホラズム (トルコ系のイスラム国家)を滅ぼす。
    → インダス河流城(奴隷王朝の支配下にあった)に進出。
   1227年 h 西夏   を滅ぼす →  モンゴル高原を中心に、東西トルキスタンを制圧。
 ヨーロッパ遠征(西征)    1229年 第2代目 a オゴタイ=ハン 
   1234年 b 金  を滅ぼし、中国の北半分(華北)を支配。都をc カラコルム に定める。
   → 契丹人耶律楚材を用い、税制などを整備
   1236〜42年 d バトゥ  指揮の50万の遠征軍、東ヨーロッパに侵入。
    → ロシア・ハンガリーに侵入、ポーランドからシュレージェンに攻め入る。
   1241年 e ワールシュタットの戦い   (ポーランドのリーグニッツの付近)
          ポーランド・ドイツの連合軍と戦い、勝利する。”死体の地”の意味。
    → 42年 オゴタイ=ハンの死去により、モンゴル軍引き上げる。
 南・西アジアの征服    1251年 第4代ハン ▲a モンケ=ハン 
      フビライ  チベット・雲南(▲b 大理国 )に派遣、征服(1254年)。
    c フラグ     西アジア(シリア・メソポタミア地域)に派遣。
        1258年 d バグダード  を攻撃、アッバース朝を滅ぼす。
   →東西交易路の大半を抑え西アジアから東アジア世界に及ぶ世界史上最大の帝国が成立。
 モンゴル帝国の分裂 
   1227年 チンギスーハンの死後、その子孫たちに領土を分割。
   4 ┌─ a イル=ハン国 :イラン、イラクを領有。フラグが建国。
    │
   ハ │   b キプチャク=ハン国  :ロシアを支配。バトゥが建国。
   ─┤
   ン │   c チャガタイ=ハン国  :中央アジア。14世紀に東西に分裂。
    │
   国 └─▲d オゴタイ=ハン国    :西北モンゴル。後にチャガタイ=ハン国に併合。


  1260年 e フビライ   宗家のハンとなる。 → 相続争い起こる。

   1266〜1301年 f ハイドゥの乱 :フビライ=ハンの即位に反対したハイドゥ(オゴタイ

   =ハンの孫)が反乱→ 4ハン国の分裂状態となる。
 

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イ.元の東アジア支配

 フビライの統治   1264年 都を燕京に移し、a 大都 と称す。(現在の北京)
  1271年 国号をb 元 とする。
  1276年 c 南宋   を滅ぼし、中国を統一(79年に残存勢力も討たれる)。
  d 高麗 ※を属国とする。→ 1270〜73年 元に対する抵抗の三別抄の乱おこる。
  
 遠征軍の派遣     いずれも失敗するがアジア諸地域に大きな変動をもたらす。
  日本遠征:1274年・1281年 日本遠征(▲a 元寇  ) 暴風雨に遭い失敗。
 南方遠征:ベトナム:▲b 陳朝 が、モンゴルの侵入を3度にわたって撃退。(p.32)
    ミャンマー(ビルマ):元の侵攻を受け、c パガン朝 が滅亡(1287年)。
     → モン人がイラワディ川下流にペグー朝を建てる。(〜1539年まで)
   タイ:雲南地方にいたタイ人が、モンゴルに圧迫されて南下し、チャオプラヤ流域に入る。
     → 1257年 チャオプラヤ川上流にタイ人のd スコータイ朝 成立。
     → 1350年 チャオプラヤ川下流に起こったアユタヤ朝に滅ぼされる。
    ジャワ:シンガサリ朝、元の使者を追放。続いてe マジャパヒト王国 が興隆。
    → 14世紀 本格的イスラーム化も始まる。 
   カンボジア(アンコール朝)には使節を派遣。随行した周達観が『真臘風土記』を著す。
 元の全盛期       13世紀後半〜14世紀初頭
  a モンゴル人至上主義  :モンゴル人を最上位に置く社会・政治上の階層制度。
     b 色目人  :トルコ・イラン・アラビア人など。特に優遇され、貿易・商業に従事。
     c 漢人   :旧金国(華北)の漢民族で被支配層。契丹人、女真人を含む。
     d 南人   :旧南宋(江南)の漢民族で被支配層。官吏になれない。
 中央政治 :中書省(行政)、枢密院(軍事)、御史台(監察)をおく。
  e 科挙の中止 、1313年に再開されたが、漢人の士大夫が役人になることは少なかった。
    → 士大夫の没落。 儒者の地位も下がり、九儒十丐と言われる。
 地方統治 :行省(行中書省)がいくつかの路をまとめて管理。
  征服地の統治:ダルガチという役職を置き戸口調査、徴税、駅伝業務などを管轄させた。
 

   →モンゴル帝国の最大領域

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 交通・貿易の発達  
  a 駅伝制(ジャムチ)   の施行:大都を中心に道路網を建設、駅には周辺住民から馬・
  食料を提供させる。→b  ムスリム商人  の隊商貿易により、遠くヨーロッパとも交易。
  海上貿易の発展:宋代に続き、c 杭州 ・d 泉州 ・e 広州 などの港市が繁栄
   f 大運河 の改修と新設→ 貿易の陸上ルートと海上ルートの連結。→ 海運の発達。
 経済の発展     貨幣(銅銭・金・銀)の他、紙幣としてa 交鈔 が発行される。
    → 紙幣が元の主要な通貨となって銅銭は不要となり、日本などに輸出された。
   宋代と同じくb 大土地所有 が続き、地主が佃戸を使って経営(地主佃戸制)する。
 元代の文化     
 特色 ・儒学は否定されなかったが、科挙は中断され振るわなかった。
    ・チベット仏教が保護されたが、他の宗教には寛容でイスラーム教などが認められた。
    ・モンゴル人の支配のもとにあったが、都市の庶民文化が発達した。
 戯曲:a 元曲 が流行。『西廂記』(恋愛物語)、『琵琶記』(伝奇もの)、『漢宮秋』
  小説:『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』などの原型できる。
  美術:趙孟[(趙子昂)書と文人画 →文人画:元末の四大家(黄公望、王蒙、倪K、呉鎮) 

ウ.モンゴル時代のユーラシア

 東西交流の活発化      モンゴル帝国の成立 → 交通路の整備
  背景 a 十字軍運動 を展開中でありイスラーム勢力の背後の勢力と結ぼうとした。
    ローマ教皇の使節 b  プラノ=カルピニ   を派遣(1245〜47年)
   フランス王ルイ9世 c  ルブルック   を派遣(1253〜55年)
  d マルコ=ポーロ  の活躍(1271〜95年)。:ヴェネチア商人。大都でフビライに仕え
   e 『世界の記述』(『東方見聞録』) を著す。→ 日本を初めて西欧に紹介。
  1287年、イル=ハン国の使節ラッバン=ソウマ、ヨーロッパに来る。→ 
  f モンテ=コルヴィノ  ローマ教皇によって大都に派遣され(1294年)。
      大司教としてカトリックの布教を始める。 → 十字教と言われる。
 東西文化の交流    キプチャク=ハン国、イル=ハン国がイスラーム教を保護。
  1280年 a 郭守敬 、イスラーム暦をもとにb 授時暦  をつくる。→日本の貞享暦。
  中国絵画 元からイル=ハン国を経て、c ミニアチュール(細密画) に影響。
  多様な言語が用いられたが公用語にはモンゴル語、公文書にはd  パスパ文字 
   用いる。=フビライの師のチベット仏教の教主パスパが作った文字。
  14世紀 イブン=バットゥータの来訪 『三大陸周遊記』

エ.モンゴル帝国の解体

 モンゴル帝国の解体    14世紀 モンゴル帝国の各ハン国で内紛が生じる
  チャガタイ=ハン国 ;a ティムール が台頭、イル=ハン国まであわせて支配する。
  キプチャク=ハン国 :b モスクワ大公国 が次第に自立する。
 元の滅亡     放漫な財政、▲a チベット仏教  寺院の建設→ 財政難が強まる。
     → b 交鈔(紙幣) の乱発、物価騰貴など、民衆生活を圧迫し、社会不安広まる。
    1351年〜66年 c 紅巾の乱   起こる。宗教結社である白蓮教徒の起こした反乱。
1368年 江南から北上したd 明 の軍隊により、大都を奪われ、滅亡。
 

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