1993/10/16

母のところに戻った。若い医者が二、三人入り口近くで丸椅子に座って世間話をしている。「登録してないそうだよ」「わぁ、それでおカンムリかぁ」何の登録だろう、献体登録かとふと頭をよぎったが、瀕死の病人のいるところでそんな話をするはずもなく、それにしても、彼らには緊張感がない。

三人揃って枕元に立っていると、医者や看護婦がぞろぞろベッドの回りに集まってきた。「これから処置をしますから、外に出て行って!処置が終わったら呼びます」追い出されるようにしてその場を離れ、カーテンの陰で所在なく待っている。父が泣きながら「もうダメなのかなぁ」と言い、たまらず妹が声を上げて泣き出した。「まだ医者はそんなこと言ってないでしょ、しっかりしてよ」

あとで呼ぶと言ったわりに、何も言って来ない。カーテンの向こうはざわざわしているばかりで、様子が分からない。親戚や友人のいるロビーにいったん引き上げたほうがいいのかと、そう声をかけようとしたら、看護婦が肩を抱えるようにしてカーテンの中に招き入れた。「ご家族がそばにいてあげなくちゃ」寄ってたかって集まってきていた白衣の人々が、ただ突っ立って、母を見ていた。一人だけ心臓マッサージらしきことをしている。ドラマで見るようなそのしぐさは、ドラマのままに演技のように見えた。マッサージをやめるとモニターの表示が一直線になる。人工呼吸器はすでに外されている。マッサージを再開すると、大きく波線を描く。身内というギャラリーに気づいたのか、刺激を与えたり与えなかったりというのを何度か繰り返して、頃合いを見計らったように、脈をとって、時計を見やりながら、言葉を押し出した。「ご臨終です。7時・・・分」医者の宣言を聞くと同時に、父と妹が母にすがって泣いた。

何分というのは聞こえなかった。もっと前に事切れていたのではないか。肝腎なときに身内を追いやって、その隙にあれほど念を押した人工呼吸器を外してしまって、慌ててもっともらしく芝居を見せただけなのではないか。何しろ「献体登録」していない患者だったから。他人の死を目の前にすることが日常茶飯になると、こうも白々しい顔ができるようになるのか。まるでテレビドラマのようじゃないか。死はすでに予感されていた。あのチューブを見たときから。症状の詳細を知っている医者ならなおさら、この時がじき来ることは承知していただろうに、それを家族に見せる過程がすべて芝居がかっていた。身内が悲嘆する姿を尻目に、白衣の人々が動き出す。器具を片づける者、母の体に触れる者、後ずさりして去っていく者。死者に対する敬意も、家族に対する慈悲も、死に対する畏れも、訪れたであろう静寂も、何もないヒトコマ。

ロビーにいる人々に母の死を告げ、家に電話をした。促されて母の元に戻ると、死に水をとる儀式が始まるところだった。唇に紅がさされていた。チューブのせいで顎が外れてしまったのだろう。口が閉じるように頭から顎にかけて黄色いゴムで固定しようとしている。うまく閉じないのを苛立つように、大柄な看護婦が、顎のあたりのゴムの位置を片手でバチンバチンと変えている。神妙な視線が沈黙しているなか、言わずにいられなくなった。「あの、もう少し、丁寧に触ってもらえませんか」看護婦は苦笑いしている。「いえねぇ、顎が外れてるものだから、しょうがないんですよ」「それは分かります。でも、もっと優しくできませんか。そんな乱暴にしなくても」「あらっ、ごめんなさい」横着な右手に、もう一方の手が添えられた。

ベッドを囲むように、数十人の人々が入れ替わり立ち替わり、死に水をとる。綿に水を含ませるための容器は、柄のついたプラスチックのコップで、側面に「エンゼル用」とマジックで書かれていた。



2001/10/2

通夜までには時間があり、妹と従姉と三人で街に出た。こうなることを待っていたように、買って半年になるかならぬかの携帯電話が大活躍したが、さすがに充電器までは携帯していないので携帯ショップにも行きたかったし、また、会社から直行したままの着たきり雀だったので、従姉が喪服にふさわしいものを何点か持って来てくれてはいたが、従姉とは体型も違う、それに下着の替えも欲しかった。

日が暮れたころ葬儀場に戻ると、祭壇は花でいっぱいに飾られていた。ばあちゃんは棺にちょこなんとおさまっている。品のいい、どこぞのおばあちゃまといったふうに、静かに、穏やかに、二度と目覚めることのない、まさに永遠の眠りにつきました、という顔をしていた。

通夜の法要で、園長夫妻、まきば園のスタッフ、ばあちゃんに一番近かった親戚などが参列するなか、この日初めてご縁を得た和尚さんが、「明治、大正、昭和、平成と生きてこられた大先輩に敬意を表して」というようなことを言われた。

法要に間に合ったのは数人だったが、その後から、仕事が引けるたびに、あるいは、忙しい時間の合間を縫って、総勢50名ほど、まきば園のスタッフが、ばあちゃんに最後の挨拶をしに来てくれた。ばあちゃんに再会したスタッフが、何度か、いや、何度も、口にした。「えっ、顔が違う、いつものエツさんじゃない」そうでしょ、綺麗でしょ、おすまししてるから、なんて笑いながら、言い訳に無理があるのを感じないではなかったが、続々、スタッフが来てくれるのが嬉しくて、違和感に引っかかっている暇もなかった。

「今日はありがとう、ちょっと上がってばあちゃんの話を聞かせて」そう言っては、二階にしつらえた通夜の席に案内し、通夜に間に合うように作ってくれた「まきば園の思い出アルバム」などを見ながら、スタッフが知ってるエツさんの話を聞いて回った。

まだ自力で歩けて、髪が結うほど長かったとき、夜勤で暗い建物を歩いていると、トイレの入り口にザンバラ髪のエツさんが立っていて、怖かったぁ。なんだぁ、えっちゃんかぁ、脅かさないでよぉ、なんて笑って。
車椅子のエツさんしか知らないけど、そっかぁ、入った頃は、歩けたんですかぁ。
そうだよぉ、スカート履いてね、エプロンをきりりとしめて、一日の始まり始まり、って感じで。
熊本弁で話されると、何を言ってるのか分からないときもあったけれど、明るくていつもニコニコしてた。
でも、気も強くてねぇ、わしゃ、風呂には入らんって言い出したらあとは聞かない。
秋の旅行に行かないって汗だくになるほど頑張ってたこともあったね。
エツさんの部屋の前を通り過ぎようとすると、声かけられてね、堂に入ってましたよぉ、「ちょっと寄っていきんしゃい!」って。
前歯が欠けていて、笑うと可愛いんだよねぇ。
もうずっと入れ歯してなかったでしょ。ミキサー食だったしね。前は、固かメシが好きだったけど。

大勢のスタッフの間を行き来して、ふと気づくと、親戚一同は、一方の端に固まって、それぞれに談笑していた。ぼけちゃったあとのばあちゃんの姿しか話題にならないのだから、呆ける前のばあちゃんをよく知っている人たちには、いまひとつぴんと来ないだろう。呆ける前のばあちゃん、か、いつか、そのあたりを振り返ってみるか。記憶はおぼろだから、人々に取材して。

スタッフが後から後から来る。おそらく、宴席の時間制限というのがあったろうが、その後、そこに泊まることになっていたので、時間を気にせずにいたら、片づけのおばさんが、いつまでも帰れない不満を顔にした。それにいち早く気づいた父が、某かを包んでおばさんに渡し、英昭おじととみえおばが、頻りに、父の気遣いに感心していた。それくらいして当たり前だ!なんて、足を掬われたような気がした娘はちとすねる。

宴席を片づけ、広い畳敷きの部屋に、まちまちに布団を敷いた。ちーちゃんが、単身赴任している旦那と電話で話している。妹が、友人と話している。父は英昭おじと飲んだくれてる。連絡したい相手が何人か頭に浮かんだが、とめどがなくなりそうなので、連絡は後日にすることにした。とみえおばに、ばあちゃんの顔、全然違ってたね、と話しかけた。

「湯灌」ば頼んだんだろ。地方によって、いろいろあるらしい。
そうそう、「湯灌」って、家族や親族でお清めするんだと思ってたら、見ないほうがいいなんて言われて。いろいろって?
「湯灌」のプロがいるとよ。あんまり人には言えん、キツか仕事ばするんだろ。
ただ、体を清めて、化粧を施して、っていうのだと思ってたのに。
それまでは、まだ生きてるみたいだったろ。
ただ寝てるだけみたいな、そんな感じだった。
もう生き返ることはなかって、道づけをすっとよ。
道づけ?死んだってことに?
そう、死への道づけ。
顎のあたりぐっと沈み込んでいるような。
棺桶に綺麗におさまるようにねぇ。
まきば園のスタッフが、顔が違うって言ってたもんなぁ。
入れ歯してなかったろ。口もしっかり閉じとらした。
曲がっていた膝もまっすぐになってたんだろうなぁ。
過酷なもんたいねぇ。
あの担当の人、体大きくて、確かに力仕事しそうな人だった。
荒っぽいことばするんじゃなかかねぇ。

とんでもないことをしてしまったのではないだろうか。灯りが消えて、人々の声が聞こえなくなってからも、闇のなかで自問自答は途切れない。葬儀の段取りを決めるとき、「湯灌」はどうするかと聞かれて、なぜ承諾してしまったか。ついさっきまで、父と話していたオジが、眠りについたとたん、雷のようなイビキをかきはじめた。母の時はどうしたか。病院で亡くなったあと、一晩病院に留め置かれ、仮通夜、通夜、葬儀と慌ただしく事が進むなか、結局、家族や親族でお清めはしなかった。そうだ、だから、ばあちゃんには、なんでもできることはしてもらおうということばかりに気持ちが動いていた。考えなしにハイハイお願いしますと言ってしまって、実は、選択しなくてもいいオプションだった。イビキがうるさくて眠れんと言いながら、父がトイレに立った。そのあとで、何とかする機会もあった。お寺さんに挨拶に伺う前だ。家族はいないほうがいいと言われたとき、壊死した足、もしかしたら、体に進行したその様子を、見たくない、そんな気持ちが勝っていた。それで、今度こそは家族でお清めを、とほんのいっとき思ったにも関わらず、お任せできるならお願いしようと、逃げるように斎場をあとにした。布団から這い出して、そこらじゅうを走り回りたい。ばあちゃんの表情があんなに違っていたのも、魔法じゃないわけだ。いまにも息を吹き返しそうだった顔を、骨や筋をどうにかして、もう動かしようのない死に顔に作り変えた。足も綺麗にしておきましたよと言ってたのも、当然のことながら、見た目の綺麗さに過ぎなくて、壊死して紫に腫れ上がり足の裏に溜った膿を、どんなふうにかして掻き出した。長年患っていた関節炎のせいで曲がっていた膝を真っ直ぐにするとき、音がしたにちがいない。車の通り過ぎる音が聞こえて、布団の上で、右へ左へと体の向きを換える。おばちゃんが、もう少し早く来てくれていれば、などと言い訳を考えてみても、何の足しにもならない。まきば園の看護婦さんたちが、丁寧に綺麗にしていてくれた、あれこそが望んだ通りの「湯灌」であって、あれ以上のことは望むべくもなかった。もう取り返しのつかない死を迎えたあとに、さらに、わざわざ取り返しのつかないことをしてしまった。

誰かに起こされて、全然眠れなかったと言ったら、何言ってんのよ、さっき、すごいイビキかいてたじゃない、と笑われた。



祭りのあとさき その一
祭りのあとさき その二
祭りのあとさき その三
祭りのあとさき その四
祭りのあとさき その六
がまだすじいさん
なんでんよか
ばあちゃんも生きとるよ