1993/10/16

病院の近くに借りた部屋と病室と病院の前の電話ボックスのあいだを行ったり来たりしているうちに、夜になった。 夜が更けて、お父さんが出ていったきり戻って来ないよ、と誰かに言われ、外に出てみると、バス待合所のあたりを、父がタバコを吸いながらふらふらと歩いていた。
「寝ようと思っても、眠れない。ずっと起きていようか。」
十月も半ばを過ぎて、数日雨が続き、夜寒は体に応える。入院は長くなるかもしれないので、今から無理をしてこっちが先にへたばっても困る。晴れないかなぁとしばらく空を見上げ、もう少ししたら戻ると言う父を置いて、先に部屋に入った。寝たか寝ないかのうちに誰かが起き出す音に目を覚まし、母に会いに行く。

前日とは違って、呼吸が弱い。薄目をふるわせて大きく目を開けようとしているように見えたのも、いっときだけだった。借りた部屋に泊まってくれた両親の友人や親戚に加えて、この日も大勢の人が見舞いに来た。偶然、父の教え子が、産科の検診に夫婦連れで来ているところに出くわしたりもした。晩に電話したとき、何日かして様子がはっきりしたらお見舞いに行くと言っていた友人が、そんな悠長なこと言ってる場合ではなさそうだと来てくれもした。電話攻勢をしかけたときに、妹と、決まり文句のように口にしていたのが、力を貸して、というフレーズだったが、そう言うと、ある友人は、なんでも言って、血液が必要なの?と聞いてくれた。そんな物理的な力を必要としていたわけではない、あるいは、そういう処置で治るわけではなさそうだった、そもそも、治るも何もいったいぜんたい、なんだってこんなことになってしまったのか、電話でのわたしたちのセリフは、神がかっているというより、混乱の極みで支離滅裂だったにちがいない。

お見舞いの人を案内するたびに、母の呼吸が蚊のように弱くなっていくのが見てとれた。少し前に会った、このあいだ電話で話したばかりなのに、誰もが思いがけない姿に驚きながら、涙声になった。「シヅさん頑張って。」医者に呼ばれた。「呼吸器をつけますが、よろしいですか。」どんな許可を求められているのか分からない。呼吸器は延命装置だから、これを外すには家族の同意が必要で、そうなると患者の死に家族が責任を持つということになるが、それでいいか、ということらしい。その根っこには、どうせすぐ不要になるでしょうが、という含みがあったのだろう。最期のときは、家族の同意はないままに、呼吸器は外されることになる。

長い一日だった。病院の中から出ないで、できるだけ母のいるフロアから離れないようにして、見舞客とロビーや喫茶コーナーで話をしたり、電話をしたりして戻ってきては母を見に行く。呼吸器のチューブの端が壁の装置にはめ込まれていたが、幾分ずれているようにも見えて、慌てて看護婦を呼ぶと、素知らぬ顔でチューブがはめ直された。輸血の袋が上からぶらさがっていたが、心配になってよく見てみると、その袋にA型と書いてある。母はAB型のはずだ。AB型なら何型からも輸血がOKと習った覚えはあるが、血液に問題があるのだから、同じ型でなくてはならないのではないかと疑心暗鬼で看護婦に問うと、確かにA型だと言う。土壇場の大逆転。誰もが母はAB型だと思い込んでいた。母自身もそう思っていた、だからこそ、周りの誰もがそう思っていたし、いかにもその血液型にふさわしいタイプだと思い込まされてもいた。しかし、本当はA型だったのだと知ったとき、なるほど、いかにもA型らしく、真面目でマメで一直線な人だった、世話好きの根っこはそこにあったのかと、いとも簡単に思いこみは百八十度転換した。

休みを取って、ばあちゃんの世話と留守番を兼ねて、家のことを取り仕切ってくれていた年若い親戚が、わたしたちもおばちゃんに会いたいと、ばあちゃんを連れて、病院に来てくれた。母の従兄弟の長男夫婦で、新婚数ヶ月、お嫁さんとは、わたしたち姉妹は初めて会った。それまで面識はなかったが、「聞識」はあった。一日足らずのうちに電話で何度かやりとりしていた。誰それさんから電話があった、おばあちゃんはこんなふうにしている、どんなものが必要か、母はこんな状態、などなど。病院から家まで車で三十分もかからないのだが、いまはなるべく母から離れたくないという気持ちを見越したように、下着や歯ブラシなどを買っておいてくれた。見舞いを済ませてきた彼女に、しばらくこっちにいることになりそうだからと、先々のことを細かく打ち合わせていたら、幼馴染みが笑いながら言った。
「えっ、初めて会ったの?それなのに、小間使いのように人をこき使って。」

その幼馴染みのおかあさんと母は、十代の頃からの友人で、双方が結婚して子どもが生まれてからも、家族ぐるみでつきあってきた。大阪に住んでいて、急を聞いてご夫婦で駆けつけて来てくれた。おじさんは医者で、母の病状について詳しくみなに説明してくれた。お二人で、ばあちゃんを家に連れて帰ることになった。
「わしのような年寄りをわざわざ病院に呼ぶとは、シツ子はよくなかとじゃろ。」
そう言いながら母に対面したばあちゃんは、生命維持のための処置を施された娘の異様な姿に息を飲んだ。母に取りついて声をかけても、母は何も反応しない。エレベーターまでばあちゃんを見送る。後から乗ってきた人々に後方に追いやられて、その合間から、涙でぐしょぐしょになった顔を引き上げるように、両手を頭上高くあげて腕を振りながら合図を送っていた。口元は、頼んだよと言っているようだった。



2001/10/2

まきば園から車で少し行ったところに、「セレモール平安おみ」という葬儀場があった。まだ何も準備されていない葬儀場の奥の和室にばあちゃんは寝かされた。二階は広い畳敷きの大部屋で、そこに通夜の席を設け、一晩泊まることになる。折り畳み式の長いテーブルが置かれていて、葬儀社から来た、まるで武豊かと見まごうようなひょろりとした爽やかな青年が仕切って、葬儀の式次第を決めることになった。打ち合わせの最中に彼の携帯が、実に華やかに盛大に音量最大で着メロを鳴らす。そのたびに、妹も従姉も私も笑いこける。長年老人ホームにいた人の葬儀であり、実の娘はすでになく、孫が中心になって動いている、そんな状況を把握した上でのサービスだったろうか。
「家族によってはこんな着メロ怒る人いるよねぇ。」
前夜の使いっ走りに腹を立てた反動もあって、淡々とした顔で人を笑わせるその青年にほっとした。

新おじから電話が入る。
「通夜をそこで過ごすのは体がきついから、朝早く立って、葬儀に出る、場所を教えてくれ。」「セレモール。」「なん?セレボーズ?」「おみ。」「はぁ?おび?」「び、じゃなくて、み、おみ。」「ああ、おみき?」「セレモール平安おみ、です。」「セレボーズ平安おび、かい。」
おみ、というのは、小見という地名から来ている。聞き違いを誘う葬儀場の名、そのやりとりにひとしきり笑い転げた。花が好きだったばあちゃんに似つかわしく、祭壇を花で埋めることでは皆の意見はすぐまとまったが、他のことについては特にこれと言った主張もないまま、武ちゃん似の青年のヨイショに乗せられるようにして、湯灌や一律の香典返しの手配まで頼んでしまった。彼の勢いのよさ、携帯の着メロ、新おじとの掛け合い漫才など、涙が出るほど笑った。打ち合わせが終わるころ、生きているうちに一目顔を見ようと今日行こうか明日行こうかと迷った挙げ句に死に目には間に合わなかった英昭オジととみえオバが到着した。このあたりでは、長寿者の葬儀にはお返しに五円硬貨を添える「長寿銀」というしきたりがあるのだそうだが、そんなこともしますかと矢継ぎ早に青年に聞かれ、何でもしたほうがいいような気になっていたところに、駆けつけたオバの一言で、馴染みのない風習までには手を出さずに済んだ。もうちょっと早く来てくれていれば、湯灌にも待ったの声がかかったかもしれないと悔やんでも後の祭り。

準備が整うまでに、まず寺に挨拶に行くよう勧められた。湯灌を手伝わなくていいのかと聞くと、こちらでしますから、数時間かかるでしょう、足も綺麗にしてさしあげます、その間、お寺さんに、と言われた。それがどういうことを意味しているのか、もっとはっきり聞けばよかったのだ。亡くなった直後に、まきば園の看護婦さんが綺麗に拭き清め、綿を鼻に詰め、顎が外れぬよう顎の下から頭にかけて包帯を巻いてくれていた。このところ使っていなかった入れ歯が、口から徐々にはみ出して取れてしまいそうに見え、うまくおさまらないようだったら、入れ歯は外してもらっても。曲がらなくなった膝の部分が盛り上がっていて、これじゃぁ棺桶におさまりきらないかもしれない。そんなことをふと口にしなければよかった。後の祭りに気づくのはもう少しあと。

父、妹、オジとオバ、従姉の車はRV車なので、大人六人が悠々乗れる。お寺の本堂に上がらせていただいて、和尚さんのお話を伺い、通夜、葬儀とお運びいただくようお願いしたあと、昼食をとり、葬儀場に戻った。ばあちゃんの身支度はすっかり済んでいた。
「なんて綺麗な顔をしているんだろう。」
穏やかで厳かな顔。さっきまでは、いまにも息を吹き返しそうな、まだ体の温もりが感じられるような表情だったのが、入れ歯もすっぽりおさまったのか、唇は閉じられ、外れそうな顎を止めるゴムや包帯も見あたらず、深々と顔を沈めて横たわっている。このときは、まだ後の祭りに気づいていない。なんとなく、二重顎にも三重顎にも見えるようだな、と思ったくらい。気づけよ!とあとになって思ったが、たとえそこで気づいたとしても、もう遅かったことにかわりはない。

父が家を出てくるとき、何か要るものはないかと仏壇の隠し引き出しを探し、仏事などで使う打敷を数枚と紙袋に入ったハンカチを持ってきた。打敷は家の仏壇用のもので葬儀では使わない。ブランド名の入った紙の包みに、鉛筆で字が書いてある。
「私があの世に行く時に このハンカチで顔をおおって下さい 悦」
大判の紺地のハンカチには大きく花籠が描かれていて、ブランドはクリスチャンディオールだった。誰かにプレゼントされたのだろうが、その来歴は見当がつかない。いつからかずっと自分の死の時を思い描いていたであろう証が悲しくもあり、少女のような思いに触れてこそばゆくもあり、デザインの艶やかさに心惹かれたばあちゃんが嬉しくもあり、白布のかわりに、顔を花籠のハンカチで覆った。鮮やかな明るい空色の掛け布団によく似合った。



祭りのあとさき その一
祭りのあとさき その二
祭りのあとさき その三
祭りのあとさき その五
がまだすじいさん
なんでんよか
ばあちゃんも生きとるよ