1993/10/13 | ||||
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ばあちゃんがデイサービスを受けているアルナ園でランドマークタワーまでバス遠足に行った。母は遠野から帰ってそのまま寝ついてしまったので、付き添いを、いつもデイサービスで迎えに来てくれるボランティアの人に頼んだ。前日はいったん自分の家に戻ったが、まだ治りそうにないからと父から連絡があり、仕事を終えると親の家に直行した。遠足から帰ってきていたばあちゃんが、部屋に布団を敷いて寝ていた。その傍らで、畳の上に直に、寝間着を着た母が、胎児のように体を丸めて寄り添っていた。押入から布団を出して母にかけた。仰向けになったばあちゃんに遠足がどうだったかを聞いている母の横顔は、幼子のように見えた。 夕方、食欲がないと言ってヨーグルトを食べた。十代の頃からの友人に電話をかけている最中に、電話機にヨーグルトを吐いた。前の日、40年近いつきあいになる井の頭に住んでいる医者に、父に伴われてタクシーで診せに行って、ひどい風邪だと言われたそうだ。旅先で尿がコーラ色をしていたというのを、その医者に話したのかどうか、尿検査を改めてしたのかどうか。二階の寝室に戻り、夜遅くなって、寝るのに飽きたと言わんばかりに、何も羽織らず寝間着のままで降りてきて、台所の椅子に座った。足を投げ出し、両手を足の間に垂れ下げて、所在なさげにぼんやりしていた。明かりの下で見る母の顔は、後から思えば、確かに黄色かった。黄色いよ、黄疸じゃないの、なんかおかしな病気かもしれないよ、と今なら責め立てるように突き詰めただろうに。 10日の夜、いつものように勝手口から、今度こそ罰が当たっちゃったぁと言いながら、遠野旅行を予定より早く切り上げて帰ってきた。熱のせいか、顔が赤い。遠野には十数名のグループで行った。後で、他の人が撮った写真を見せてもらうと、やつれた顔で写っていた。先に帰ったほうがいい、無理しないで休んでいたほうがいいという同行者の言をなかなか聞こうとしなかったらしい。無理矢理医者に引っ張っていかれ、腎盂炎かもしれない、すぐ帰京してちゃんと診てもらえ、と言われて、渋々帰ってきたのだった。もともと私が参加メンバーだったのだが、遠野には行ったこともあるし、中途採用の試験も控えていたので、まだ遠野には行ったことがなかった母が代わりに行くことになった。まったくもって、後悔の種ばかり浮かんでくる。 それから、三日のあいだに、母は不思議なことを口走った。「変なのよぉ、子どものころから最近までのことが、走馬燈のようにめくるめいてね」「夢を見たの、達筆で長い文章が書かれているんだけれど、確かにわたしが書いたものだということは分かるの、忘れないうちに書き留めておかなくちゃ、文字そのものは私の字じゃないの、達筆でね、でも、ぜったいにわたしの文章だというのは分かるのよ」 何を見たのだろう。何を思い出したのだろう。何を考えていたのだろう。枕元には、薬の情報を細かく掲載したピルブック、医者からもらった薬の袋、読みかけの「マヂソン郡の橋」が置かれていた。 | ||||
1993/10/14 | ||||
朝、出かける前に、母の寝室に寄って、入り口で「仕事に行ってくるね」と声をかけると、「ありがと」と答えた。「ばかな言い方をしないでよ」と言いながら階段を降りた。思えばこれが最後の会話。 | ||||
2001/10/1 | ||||
雨の中、まきば園の玄関に入ると、副園長をはじめ、スタッフが待っていた。事務室にいる園長に挨拶をしようとしたら、同席していた白衣の男性を紹介された。ばあちゃんの最期を看取った医者だった。その医者が部屋まで案内するからと先に立つ。妹がトイレに寄っていくというので、医者と二人でばあちゃんの部屋がある二階までエレベーターで上がった。廊下に明かりは点いていたが、八時を過ぎて建物は寝静まり、夜の闇が入り込んだかのように、ばあちゃんの部屋は暗かった。ばあちゃんどころか、ベッドごとない。それまで沈黙していた医者が、あれっ、もう移動したのかなとつぶやくと同時に、あとから駆けつけたスタッフが、下にお移りいただいています、と言う。降りるときはいっそう足早になる。 医務室の隣、昨日、酒盛りをした休憩室に、畳が片づけられてベッドが置かれ、ばあちゃんが寝ていた。ベッドの前に椅子が並べられ、先に来ていた妹が座っていた。スタッフが数名、それまでばあちゃんの守をしていてくれたのだろう、入り口の脇に立って、迎えてくれた。声をかける間もなく、スタッフが後ろ足で去り、園長夫妻と医者から説明を受けた。妹が二度しゃくりあげ、嗚咽を飲み込んだ。しばらく二人でばあちゃんのそばにいた。 この数年、はめていなかったが、前歯に入れ歯が入っていて、口の内側に詰めた綿や死後硬直のせいか、いささか不自然に口元が盛り上がっていた。だんだん口が開いて、そのうち目を覚ますかのように見えた。納得できないなぁ、と妹がつぶやく。何が、と聞くと、死亡診断書の病名だと言う。いわゆる老衰だったが、老衰という病名はないから、心不全となっていた。心臓だけは強かったもんねぇ、ああ、ばあちゃん不本意かもね。それにしても、まだ温かい。おでこが光り、出っ歯の口が開き、昼過ぎに行くと死んでるのかと思うほど口を開けて眠り呆けていたさまと同じだ。今回ばかりは、正真正銘、もう息はしていない。 事務室に戻り、園長夫妻に誘われて、夕食をとりに出かけることにした。昼勤だが、この先どうなるんだろうと居残っていたスタッフ・リーダーが玄関口に現れたので、食事に誘ったが、この近くで通夜葬儀をするつもりだと伝えたら、それなら明日またえつさんに会えるから、と帰っていった。いまは在宅介護支援センターで仕事をしているが、まきば園入居当初から何くれとなく世話になったスタッフもまだ残っていて、事務室に顔を見せた。他の用事で園まで来たら、騒がしくなっていて、えつさんの部屋の前にスタッフが集まっていたので、どうしたのかとのぞき込んだ、ちょうどそのとき、えつさん、大きく一呼吸して、それが最後だったみたい。入居当初から願っていたとおり、いな、それ以上にたくさんの若いオンナノコたちに見守られて、最期の時を迎えたようだ。 | ||||
祭りのあとさき その一 | ||||
祭りのあとさき その三 | ||||
がまだすじいさん | ||||
なんでんよか | ||||
ばあちゃんも生きとるよ |