1998の秋
10月25・26日
今回の旅行中、バスの中では、看護婦さんがばあちゃんの隣に座っていた。目をあわせることはたびたびあったが、誰とは分からない様子だった。
移動時はオムツだったらしく、これまでのバス旅行とは違って、バス休憩のさいにトイレに行くこともなく、人々の出入りを気にすることもなかった。
恒例のディナーショーは、中華料理にマリンバ。ばあちゃんは、食べ物にも、出し物にも、さほど食指を動かされる様子はなく、りんどう湖旅行も今年で最後になるかもしれないと思われた。
翌日は、朝食を終えてすぐバスに乗り込み、日光の山を揺られに揺られた。胃腸に刺激が強すぎて、朝食時には元気だったのに、帰りのバスでは、スタッフにつきっきりで背中をさすられる人も出てきた。かつて、ばあちゃんと仲良しで、その後、喧嘩をして、そのうち、別居することになり、いままた、過去の確執はすっかり忘れて、同じ部屋で寝起きしている「仲良しさん」にも、辛い道行きとなった。ばあちゃんの隣に座っていた看護婦さんは、調子を崩した人たちの様子を見てまわっている。ばあちゃんは、と見ると、平気の平三でずっと窓の外を眺めている。
目指すは、東武スクエア。世界中の名所のミニチュアをめぐり歩くには、風が冷たすぎた。ばあちゃんたちの多くは、車椅子の上にいてじっとしている。押されるままに移動して、寒さであおざめている。しっかり防寒着を着込んで、世界各地を見て回り、あれこれお土産を選んで、それなりに楽しんでいる人たちもいたようだが、車椅子で出歩くのは、晴れていればいいってもんじゃないということを痛感させられた。
ふと目覚めては、うとうとし始めるばあちゃんの背中を見ながら、誰のために来たんだか、と自分の身勝手に苦笑した。