1998/9/15
昼食時に妹と二人でばあちゃんの食卓に行った。頭をがくっと落として、テーブルに額をつけて、寝入っている。向かいに座っている、同じ熊本出身のご夫婦の奥さんのほうが、わたしたちに気づく。おばさん! 誰か来よらしたよ!
顔を起こし、品のいい老婦人然としてわたしたち二人に会釈する。メシはまだ来ない。もう長くは生きられんねぇ。そんなことをつぶやきながら、風呂上がりのようなすっきりした顔をしている。
ジャズコンサートに、半年ぶりに父もまきば園へ。「上を向いて歩こう」や「花」の演奏に合わせて、口を動かしていた。
父の出現に刺激されたのか、久しぶりに「帰ろう」コール。いつもと違って、口調がしっかりしている。筋の通ったことを、しきりに話し続ける。「こう言われるのが辛くて、なかなか来られない」
この数年、まきば園に通い続けて、何度、ばあちゃんに連れて帰れといわれたことか。腕にしがみつかれ、悲痛な顔つきで見つめられたことか。悲壮感漂うばあちゃんを軽くかわす孫の様子を端で見ていた父は、あとでコメントする。「強いなぁ。あんなふうに言われても、平気な顔をしてる。俺には出来ない」無理にでも努力しなければ、意志を強くして我を押し通さなければ、出来んとよ。
眠そうでもないが、覚醒しているふうでもない。視野がかなり狭まっている。
エレベーターホールのテレビの前で、食事の時間までみな待っている。テレビを見たり、しゃべったり、眠ったりしている人々を見回して言う。いつまでんここにおってもなぁ。
いつからか、ばあちゃんのオシッコは、オムツパッドに吸い込まれるようになっていた。パッドと紙オムツとでは違うのだそうだ。パッドのほうが、手間がかかるだろう。オムツはしっぱなしの時間が長そうだ。している感触がなにより違うのかもしれない。自力でトイレ。簡易トイレ。オムツパッド。そして、紙オムツ。微妙だが、何事にも段階があるようだ。
3じごろ、水ようかんとくず桜をお土産に持っていく。今日は、けっこう元気だ。お得意の洒落たせりふが、ぽつぽつ飛び出した。
がたついた入れ歯を無理にはめずに、はぐきとわずかに残った歯で、ゆっくり食べる。歯がなくても、それなりに食べられるものだ。うまかぁ、食うとしゃが。おいしそうに食べる様子に感心すると、すかさず言う。まだ色気んあっとじゃろねぇ。自分の若か気持ちで。
尻ん痛さぁ。車椅子に終日座っている生活。軽くなった体とは言え、尻が骨ばっている。
年とると忘れることが多かけれど、近ごろは忘れん。覚えることがなかけんねぇ。義昭さんねぇ。忘れちゃおらんばってん、覚えちゃおらん。しづ、かい。ちったぁ覚えとる。しづこのことだろだい? おいが妹たい。トキ、妹たい。弟ん妹。娘かい。娘はおらんごたるねぇ。娘んおるなら、息子のおるはずたいねぇ。息子んこがおったじゃろ。
昨日、歯医者どんじゃなくて、医者どんかたに行ったじゃろか。風呂には入らん。夢、見よるよ。あんたらの夢は見んけどねぇ。しじゅう会うとるからじゃろ。
お菓子の包みで、千羽鶴を折り合う。