夏もまた来る

1998/9/15


7月5日・・・

 4時ごろ、エレベーターの前で、食事の時間が来るのを待っていた。ふけと食べかすが、肩、胸元、膝のあたりにぼろぼろこぼれている。

 このころ、熱中症で倒れる人々のニュースがよく聞かれた。そんな暑さのせいか、実にしまりがない。この日は、入れ歯をしていた。食堂に行って、食事が運ばれるまで、話した。大将は強かか? 元気か?「マリも元気だよ」ああ、マリというのもおったたいねぇ。

 隣に座った入居者の一人と話していると、知らん顔をしながら、実は、こっそり話を聞いている。その会話の断片をききかじって、ときおり不意に口を挟む。

 あんた、一人もんじゃなかろ? 子はおるとじゃろ? 何か用事があっとじゃろ。何も用事はなかとじゃろ。何か置いていくもんはなかね。

 こちらから話し掛けても返事もしないのに、他の人と話していると、そうやって、会話を遮るようにくちばしをいれる。返事をすると、まったく気のないふう。話題がばあちゃんのことになる。自分のことを言われていると知って、ますますすまし顔。

 座りっぱなしで尻が痛む。前に来たとき、スタッフにドーナツ状のクッションをリクエストしておいたが、シーツを畳んだようなものが敷いてあるだけ。人のものは自分のもの、自分のものは人のものというような日常だから、すぐにどこかに行ってしまったのだろうか。まだ、クッションはあてがわれていなかったのかもしれないが。

8月6日・・・

 7月末に、妹が見舞ったとき、ばあちゃんは言った。年取ったねぇ。「誰が」あんたたい。そう言っては、目をそらす。「年、って何歳に見えるの?」知らん顔。「おばあちゃんからすると、何歳を年取ったって言うのかなぁ」知らん顔。そして、しばらくすると、妹を見て言う。年取ったねぇ。ふけたねぇ。同じ質問を繰り返すと、また、知らん顔。意固地になった妹との会話が、同じようにしばらく続いたそうだ。

 まきば園に着いたころ、ちょうど、すいか割りをしていたので、離れて見ていた。イベントが終わったあと、散歩をしようと、車椅子を押して、建物の中を見て回ることにした。食堂脇の本棚ラックに、井上靖さんの本があった。井上先生、なつかしかねぇ。よか男ねぇ。先生だったかねぇ。

 父が一念発起して自費出版した、母の遺稿詩集「雨上がり」の別冊もあった。目次を開いて、そこに記された母の友人の名前を読み始める。いつ子、公子、ミチ子、マユミ・・・。父の後書きに書かれた身内の名前も読み始める。よしあき、ヒデちゃん、トミエさん・・・。裏表紙に、前にまきば園に来た、ばあちゃんの甥のヒデちゃんが書き込んだ、ばあちゃんのおとうさんの名前を声に出して読む。初平・・・。

 帰ろうか。ここに、何しぎゃ来とっとじゃろかぁと思うてねぇ。

 尻ん痛かねぇ。ちょうど通りかかった婦長さんに声をかけると、すぐにドーナツ状のクッションを持ってきてくれた。その日は、緑や青を基調にした絹のシャツを着ていったが、ばあちゃんは、何度も何度もうれしそうに触る。肌触りと華やかな色合いが気にいったらしい。今度のお土産はこんなシャツにしよう。

 すいか割り会場がそのまま食堂に変わり、それぞれ自分の席に着いた。まきば園に来るまで現役で働いていたという90才近くのじいさんがいる。食事前に、まとめて洗いあがった手ふきタオルをくるくると畳んだり、湯飲みをキッチンから食堂にまとめて運んでくるのを日課にしている。大きな入れ物に入ったタオルをばあちゃんのテーブルに広げて、一枚一枚鮮やかに畳みながら、ばあちゃんに語りかけた。「スイカ割り、楽しかったなぁ」はぁ、そうでしたかねぇ。

8月29日・・・

 まきば園恒例の「ハワイアンまつり」日本中大荒れの天気で、屋外でのまつりを急遽、屋内で行うことになった。低気圧のせいか、ばあちゃんにシマリなく、ユキもマリも認識していないふう。

 屋外であれば、ばあちゃんと同じテーブルで屋台風の食事を共にすることができたはずだが、急な変更で、ばあちゃんたちは一番前に車椅子ごと並んでいて、家族の入るすきはない。後ろのほうで、ばあちゃんの様子を窺いながら、ハワイアンを見ることにした。ハワイアンに見入っている。配られた弁当をむさぼるように食べ、そして、ハワイアンに目をくれる。

 イベントが終わって、部屋に戻る。ベッドに入り込むとそのまま眠り込んだ。唯一の血縁がいようといまいと関係ない。改めて感傷にふけりながら、帰路をたどる。

 園の関係者の一人が言っていた言葉が、耳に残っている。介護保険制度が施行される2年後までに、お年寄りの幼稚園のようなものが、どんどん増えていくといいんでしょうな。

 そして、そんなところで、晩年を迎えるわけか。ボケていようがいまいが、そんなところで、死にたくないよなぁ。90年も生きてきたのに。死ぬまで家で暮らす道もあった・・・か・・・。なんで、生まれて、生きて、老いて、ぼけて、死ぬんだろう。わざわざ・・・。


98夏の表紙 ・98春 ・98花見 ・98初夏 ・98夏

ホームページに戻る