第11章 欧米における近代社会の成長
3 フランス革命とナポレオン(2)
Text p.230
A
総裁政府 の政治 国民公会で穏和派共和主義者が優勢となる。
1795年10月 a
1795年憲法 制定。 財産による制限選挙制にもどる。
立法府:上下二院からなる。 行政府:総裁政府。5人の総裁からなる。
→ 亡命貴族・王党派の反政府運動が続く。ジャコバンの残党も活動し、政情不安定。
同 年10月 総裁政府に対する王党派の反乱をナポレオンの指揮する軍隊が鎮圧。
1796年5月 b
バブーフの陰謀事件 ブルジョワ政権打倒と私有財産の否定を主張、
武装蜂起が発覚し、処刑される。
→ 混乱続き、ブルジョワや農民は安定した政権の出現を望む。
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Text p.231
1796年 b
イタリア 遠征 アルプスを越え、オーストリア軍などを破り名声を得る。
→ これ以後、彼の関わった一連の戦争をc
ナポレオン戦争 ともいい、1815年まで続く。
1798年 d
エジプト 遠征 イギリスのインド支配に対抗。ロゼッタストーンの発見。
→ アブキール湾の海戦では、ネルソン率いるイギリス海軍に敗れる。
1799年 イギリス、e
第2回対仏大同盟 を結成。ロシア・オーストリアと同盟を結ぶ。
→ 総裁政府、対応できず、国民の信頼を失う。ナポレオン独断で帰国。
→ 11月 f
ブリュメール18日のクーデタ ナポレオン、総裁政府を倒す。
三人の統領からなる統領政府をたて、みずから第一統領に就任。独裁権を握る。
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ナポレオン、1799年から第一統領、1802年からは終身統領として独裁政治を展開。
・外征 a
ヨーロッパ各地にフランス革命の理念を”輸出”することとなった。
1800年 オーストリアを破りライン左岸を獲得。
1801年 b
コンコルダート (宗教協約):革命以来のローマ教皇との対立を解消。
1802年 c
アミアンの和約 イギリスとの和約。
一方、中南米のd
ハイチ 独立運動は抑圧。→1804年に独立達成(後出)。
・内政 e
フランス革命の成果の定着をはかる。
1800年 f
フランス銀行 設立 → 国内産業の保護。
1802年 g
公教育制度 の確立:産業と軍事の近代化のため教育の普及をめざす。
1804年 h
民法典(ナポレオン法典) 制定。:
内容:私有財産の不可侵、法の前の平等、契約の自由、家族の尊重を主とする。
意義:フランス革命の西夏である近代的市民社会の原理を確定した。
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1804年5月 国民投票で皇帝a
ナポレオン1世 となる。
→ 以後、1815年まで、皇帝として全ヨーロッパに君臨する。
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Text p.232

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大陸諸国にb
イギリス との通商を禁止。フランス産業の大陸市場独占を狙う。
→ c
産業革命 を達成していたイギリスに対抗できず、失敗する。
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1807年 a
ティルジット条約 をプロイセン、ロシアと締結。
プロイセンは賠償金と領土割譲、ロシアは大陸封鎖令への協力を約束。
→ プロイセン領のエルベ川以西にウェストファリア王国(弟ジェロームを王とする)、
旧ポーランドにb
ワルシャワ大公国 をつくる。
同 年
ポルトガル征服、さらに
1808年 c
スペイン征服 兄ジョセフを国王とする。
1810年 オーストリアのd
ハプスブルク家 皇女と結婚。ナポレオンの全盛期。
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Text p.233
・ナポレオンの掲げた「封建的圧政からの自由」という思想が、被征服地で民族の
自由と独立を求める運動を起こすこととなった。
・1808〜14年 a
スペインの反乱 (半島戦争)首都マドリッドの市民がゲリラ戦を展開。
→ b
ゴヤ 『1808年5月3日』 ナポレオン軍による市民虐殺を描く。
・c
プロイセン の国内改革:d
シュタイン ・e
ハルデンベルク による近代化政策。
→ f
農民解放 :ユンカー支配下の隷属農民を解放(封建的負担は有償廃止とする)。
他に都市の自由、営業の自由、教育改革、軍制改革などを含む上からの改革。
▲g
フィヒテ (哲学者)の『ドイツ国民に告ぐ』の講演。
→ 一定の改革をとげたプロイセンが、後のドイツ統一の中心勢力となる。
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1812年 a
ロシア遠征 : →9月 b
モスクワ 入城
ロシア軍のクツーゾフ将軍は後退策をとる。冬にはいりロシア軍反撃始し
→ ナポレオン軍大敗する。参考 トルストイ c
『戦争と平和』
1813年 イギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアなどd
第4回対仏大同盟 結成。
→ ナポレオンに対する解放戦争開始。
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フランスはブルボン朝ルイ18世復位し「復古王政」へ。→ ウィーン体制の成立。
