第11章 欧米における近代社会の成長

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 フランス革命とナポレオン(2)

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エ.皇帝ナポレオンの誕生
 総裁政府   の政治 国民公会で穏和派共和主義者が優勢となる。
1795年10月 a  1795年憲法  制定。 財産による制限選挙制にもどる。
    立法府:上下二院からなる。  行政府:総裁政府。5人の総裁からなる。
 → 亡命貴族・王党派の反政府運動が続く。ジャコバンの残党も活動し、政情不安定。
 同 年10月 総裁政府に対する王党派の反乱をナポレオンの指揮する軍隊が鎮圧。
1796年5月 b バブーフの陰謀事件  ブルジョワ政権打倒と私有財産の否定を主張、
        武装蜂起が発覚し、処刑される。
 → 混乱続き、ブルジョワや農民は安定した政権の出現を望む。
 ナポレオン=ボナパルト   a コルシカ島 の小貴族出身 初めジャコバン派軍人。

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1796年 b イタリア 遠征 アルプスを越え、オーストリア軍などを破り名声を得る。
 → これ以後、彼の関わった一連の戦争をc ナポレオン戦争 ともいい、1815年まで続く。
1798年 d エジプト 遠征 イギリスのインド支配に対抗。ロゼッタストーンの発見。
 → アブキール湾の海戦では、ネルソン率いるイギリス海軍に敗れる。
1799年 イギリス、e 第2回対仏大同盟 を結成。ロシア・オーストリアと同盟を結ぶ。
 → 総裁政府、対応できず、国民の信頼を失う。ナポレオン独断で帰国。
 → 11月 f ブリュメール18日のクーデタ   ナポレオン、総裁政府を倒す。
    三人の統領からなる統領政府をたて、みずから第一統領に就任。独裁権を握る。
 統領政府     執政政府ともいう。
ナポレオン、1799年から第一統領、1802年からは終身統領として独裁政治を展開。
・外征 a
 1800年 オーストリアを破りライン左岸を獲得。
 1801年 b コンコルダート (宗教協約):革命以来のローマ教皇との対立を解消。
 1802年 c アミアンの和約  イギリスとの和約。
         一方、中南米のd ハイチ 独立運動は抑圧。→1804年に独立達成(後出)。
・内政 e
 1800年 f フランス銀行 設立 → 国内産業の保護。
 1802年 g 公教育制度  の確立:産業と軍事の近代化のため教育の普及をめざす。
 1804年 h 民法典(ナポレオン法典) 制定。:
       内容:私有財産の不可侵、法の前の平等、契約の自由、家族の尊重を主とする。
       意義:フランス革命の西夏である近代的市民社会の原理を確定した。 
 第一帝政    
1804年5月 国民投票で皇帝a ナポレオン1世 となる。
 → 以後、1815年まで、皇帝として全ヨーロッパに君臨する。

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オ.ナポレオンの大陸支配
 ナポレオンの大陸支配    
1805年 イギリス(首相a ピット )、オーストリア・ロシアとb 第3回対仏大同盟 を結成。
 同  年10月 c トラファルガーの海戦  d ネルソン提督 率いるイギリス海軍に敗れる。
     12月 e アウステルリッツ三帝会戦  オーストリア・ロシア連合軍を破る。
1806年 f ライン同盟 結成。西南ドイツ諸国を支配。
 → オーストリア皇帝、神聖ローマ皇帝の地位を放棄=g 神聖ローマ帝国の消滅  
 同  年 h イエナの戦い  ナポレオン軍、プロイセン軍を破る。
 大陸封鎖令    1806年 a ベルリン で発布。
   大陸諸国にb イギリス との通商を禁止。フランス産業の大陸市場独占を狙う。
    → c 産業革命 を達成していたイギリスに対抗できず、失敗する。
 大陸支配の完成   
1807年 a ティルジット条約 をプロイセン、ロシアと締結。
   プロイセンは賠償金と領土割譲、ロシアは大陸封鎖令への協力を約束。
   → プロイセン領のエルベ川以西にウェストファリア王国(弟ジェロームを王とする)、
     旧ポーランドにb ワルシャワ大公国 をつくる。
 同  年 ポルトガル征服、さらに
1808年 c スペイン征服  兄ジョセフを国王とする。
1810年 オーストリアのd ハプスブルク家 皇女と結婚。ナポレオンの全盛期。

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 民族意識の発芽    
・ナポレオンの掲げた「封建的圧政からの自由」という思想が、被征服地で民族の
   自由と独立を求める運動を起こすこととなった。
・1808〜14年 a スペインの反乱 (半島戦争)首都マドリッドの市民がゲリラ戦を展開。
 → b ゴヤ 『1808年5月3日』 ナポレオン軍による市民虐殺を描く。
・c プロイセン の国内改革:d シュタイン ・e ハルデンベルク による近代化政策。
 → f 農民解放  :ユンカー支配下の隷属農民を解放(封建的負担は有償廃止とする)。
    他に都市の自由、営業の自由、教育改革、軍制改革などを含む上からの改革。
   ▲g フィヒテ  (哲学者)の『ドイツ国民に告ぐ』の講演。
 → 一定の改革をとげたプロイセンが、後のドイツ統一の中心勢力となる。
 ロシア遠征の失敗     ロシア、大陸封鎖令を無視し、イギリスに穀物輸出。  
1812年 a ロシア遠征  :  →9月 b モスクワ 入城
    ロシア軍のクツーゾフ将軍は後退策をとる。冬にはいりロシア軍反撃始し
 → ナポレオン軍大敗する。参考 トルストイ c 『戦争と平和』
1813年 イギリス、プロイセン、オーストリア、ロシアなどd 第4回対仏大同盟 結成。
 → ナポレオンに対する解放戦争開始。
 解放戦争の展開   
1813年 a ライプツィヒの戦い(諸国民戦争)  解放戦争の開始。
 → プロイセン・オーストリア・ロシアの連合軍、ナポレオン軍を破る。
1814年 連合軍、パリ入城。ナポレオン退位しb エルバ島  に移住。
 → フランスのブルボン王朝の復活(c ルイ18世 即位)
 → ヨーロッパ諸国、戦後処理のため、d ウィーン会議  開催。(後出)
1815年2月 ナポレオン、エルバ島脱出、パリに帰り復位。
 同  年6月 e ワーテルローの戦い ウェリントン率いるイギリス軍に敗れる。
 → f セント・ヘレナ島  に流される =g ナポレオンの百日天下  
フランスはブルボン朝ルイ18世復位し「復古王政」へ。→ ウィーン体制の成立。


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