世界史ノート 第9章4節

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4.主権国家体制の形成                    P.181〜  

ア.イタリア戦争と主権国家体制

 イタリア戦争    1494〜1559年(広義)神聖ローマ皇帝とフランス王の戦争
     1494年 仏の▲a シャルル8世 がナポリ王国王位継承を主張し、イタリアに侵攻。
   →神聖ローマ皇帝(ドイツ)・スペイン王・ローマ教皇・ヴェネツィアなどが反発。 
  →1519年 ハプスブルク家のカール5世、b 神聖ローマ皇帝 に選出される
 フランソワ1世  イタリア侵攻 1521年  a カール5世 の軍と戦う。
    以後北イタリアで両軍が1544年まで4回にわたり戦う。=狭義のb イタリア戦争 
      →1525年のパヴィアの戦いでは王自身がカール5世軍の捕虜になる。
 カール5世     イタリア侵攻 → 1527年 ▲a 「ローマの劫略」  
  1529年 オスマン帝国スレイマン大帝 がb ウィーンを包囲 
   → フランスはオスマン帝国(c スレイマン1世 )と結ぶ。
     神聖ローマ皇帝はイギリス(d ヘンリー8世 )に接近。
 イタリア戦争の講和    1559年 ▲a カトー=カンブレジ条約 
  仏(アンリ2世)・西(フェリペ2世)・英(エリザベス1世) 三国間で締結
   フランスは、イタリアから撤退。ミラノ、ナポリなどをハプスブルク家が支配。
  →b  イタリア・ルネサンスの終焉  → ルネサンスの中心、アルプス以北に移る。
   ドイツでは、新教諸侯の力が強まる。 
     c フランスとハプスブルク家の対立 がヨーロッパの国際関係の対立軸として続く。
 主権国家   の形成 16世紀ヨーロッパに、a 主権国家体制 が成立。
  イタリア戦争の長期化・大規模化 → 兵器・防衛技術の発達、小銃、大砲の多用
  =b 軍事革命 (騎士による一騎打ち形態から、小銃を持つ歩兵の集団戦形態へ)
  戦費の調達に必要な徴税機構を中心に行政組織を整備しc 国内の一元的支配 を強化
  → 君主が自己の支配領域を国境をめぐらして確保し、他国に対しては君主のみが
    国家主権を主張。 
 ・→E 主権国家 とは、主権(当初は国王)・領土(国境で囲まれた領域)が明確な、
   d 近代国家 の原型となる国家の形態を言う。
 絶対王政   16〜18世紀 主権国家の形成期にみられた、強力な国王統治体制
  → 西ヨーロッパのa スペイン ・b フランス ・c イギリス で発達。
  d 領主階級 (貴族・聖職者):免税などの特権を持ち国王の国民直接支配を妨げる。
  e 有産市民階級 (商人・金融業者):国王に保護されながら次第に力をつけていく。
 16〜18世紀の新しい生産様式
  f 問屋制    :西ヨーロッパで、中世の家内制生産に代わって登場。
       商人が手工業者に道具や原料を前貸しして生産させる方式。
  g マニュファクチャー  :分業による手工業生産を賃金労働者を集めて行う。
 

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地図 16世紀なかばのヨーロッパ
 

イ.スペインの全盛期

 カルロス1世    1516 a ハプスブルク家 からスペイン王位継承
  さらに祖父マクシミリアン1世に次いで、1519年に神聖ローマ皇帝に選出される。
   (b フッガー家 の財政援助)
  → 神聖ローマ皇帝としてはc カール5世  。→ ルターの宗教改革を弾圧。
   スペイン王であると同時にd オーストリア の元首であり、さらに政略結婚により
  e ネーデルラント を獲得。シチリア、ナポリも支配、また広大な新大陸植民地を所有。
  → ハプスブルク帝国の形成
  f フランス王国   との対立激化。→ 1521〜44 イタリア戦争(狭義)。
  g オスマン帝国   の侵入(1529年 スレイマン1世ウィーン包囲)と戦う。
  植民地の南北アメリカ大陸から大量のh 銀 がもたらされる。→宮廷・戦費で浪費。
  1556年 退位 → ハプルブルク家 スペイン系オーストリア系に分かれる。
 フェリペ2世    スペイン全盛期となる (イギリスのメアリー1世の夫)
  1571年 a レパントの海戦  :オスマン帝国の海軍を破り、地中海を制圧。
    1580年 b ポルトガル の王位を継承。
  広大な海外植民地をもち、c 「太陽の沈まぬ国」 と言われる。
17世紀 衰退始まる:本国以外の産業、植民地に依存し、▲d 国内産業 の基盤が弱い。
 

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ウ.オランダの独立とイギリスの海外進出

1.オランダの独立
 スペインの支配      オランダ(通称)=a ネーデルラント 
   商業が発達し、b カルヴァン派  の新教徒が多い。
  →c フェリペ2世 による旧教化政策:新教徒を弾圧し、自治権を奪う。
 オランダ独立戦争      1568年 ネーデルラント諸州の反乱始まる。 
   → 南部10州(a  フランドル地方  )はスペインに屈する。
   1579年 北部7州 b ユトレヒト同盟 を結成、c オラニエ公ウィレム が指導。 
 ネーデルラント連邦共和国    1581年 独立宣言
   その中心がホラント州であったので、この連邦国家はa オランダ とも言われる。
      → スペインの国力衰える。新教国イギリスがオランダを支援。
    1588年 フェリペ2世 b 無敵艦隊 をイギリスに派遣したが、大敗する。
    → スペイン、制海権を失う。
 オランダの独立     北欧諸国との中継貿易で富を蓄積。
  1602年 a 東インド会社 を設立 → 東南アジアへの進出 → 日本との貿易
  1609年 スペインと休戦、独立戦争終わり、独立を事実上認めさせる。
   →b アムステルダム が国際金融の中心となる。17世紀前半、オランダの全盛期
2.イギリスの隆盛   
 チューダー朝の絶対王政      ばら戦争 → 封建貴族の没落 → 王権強化。
    背景:地方の有力な地主階級=a  ジェントリ(郷紳)  治安判事として国王に協力。
    1530年代 b ヘンリー8世   宗教改革を断行。→ イギリス国教会の成立。
    →新教国としての国民意識形成 → c  議会政治 の発達。→ 議会の重要性強まる。
 エリザベス1世時代   1558〜1603年  イギリス絶対王政の全盛期
   15世紀末〜17世紀 a 囲い込み=エンクロージャー(第1次) の進行
      毛織物市場の拡大を受け、領主や地主が農民の土地を囲込み、牧場に変えていく。
    土地を失った農民は都市に流入。▲b ”羊が人間を食べている”(トマス=モア)
   →c 毛織物工業 が国民産業となる。→スペインとの対立。オランダ独立戦争を支援。
   1588年 スペインのd 無敵艦隊  を破る。→ 西インド、インドに進出
      ▲e フランシス=ドレーク の活躍:イギリス人で最初の世界周航を達成。
   海外発展 → 私拿捕船などによるスペインに対する海賊行為を展開
     アメリカ新大陸に進出  ローリー、1584年に入植を試みるが失敗
     → 女王の死後、1607年 ▲f ヴァージニア植民地 を建設
     1600年 g 東インド会社  設立 →オランダと対抗するようになる。
17世紀前半 ブルジョアジーの成長 → イギリスの絶対王政の矛盾深まる  
 

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エ.フランスの宗教内乱と絶対王政

 カルヴァン派の成長    
    百年戦争の終結 → 国内のイギリス領をほぼ一掃 → 
   15世紀後半ヴァロア朝の王権強化、中央集権化進む  →16世紀 イタリア戦争
    16世紀前半 新教徒(a ユグノー )の勢力増大
   → 商工業者、新興貴族層にひろがる
      → ヴァロア家、旧来の大貴族層はカトリックを信奉、対立深まる。
 ユグノー戦争    1562〜98年
  フランスで起こったキリスト教新旧両派のa 宗教戦争  
  幼帝シャルル9世の母后b  カトリーヌ・ド・メディシス が摂政として権勢を振るう。
      新旧両派の貴族間が争う(カトリック側=ギーズ侯、ユグノー側=ブルボン家など)。
  →スペインは旧教徒、ドイツ・オランダ・イギリスは新教徒を支援。
       c ボーダン  ユグノー戦争中の思想家。王権擁護と宗教的寛容を主張した。
    1572年 d サンバルテルミの虐殺  旧教徒による新教徒の虐殺事件おこる。
      その後も激しい内戦が続く。
 ブルボン王朝の成立    1589年 ブルボン家のアンリ、旧教に改宗して即位
      a アンリ4世    となる。
    1598年 b ナントの勅令  ユグノーに信教の自由を与え、内戦を終わらせる。
    → ユグノーの多い商工業者の活動が活発になり、商工業発展する。
  教皇権に対してはフランス教会の独自性を主張するようになる=▲c ガリカニスム  
 ルイ13世   1610年即位 宰相a リシュリュー  
      フランス絶対王政が形成される。
      貴族とユグノーのいずれをも抑え王権の強化、財政の安定に務める。
    1614年 b 三部会 召集。諸身分の対立で翌年解散。
    → 以後、1789年まで開かれず。
    1618〜48年  ドイツのc 三十年戦争 に介入。→ 新教徒を支援。
    ハプスブルク家の皇帝権力の衰退をねらう。
 ルイ14世    1643年5歳で即位 宰相a マザラン  が実権を握り
       王権強化を図る。
     1648年 b フロンドの乱  高等法院、貴族の反乱を鎮圧。
17世紀後半 1661年 親政開始
  ブルボン朝絶対王政の全盛期となる。 
 

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オ.17世紀の危機と三十年戦争

 「17世紀の危機」については、次章参照
 三十年戦争     1618〜48年 ドイツの宗教内乱にヨーロッパ諸国が介入。
  オーストリア領a ベーメン の新教徒が、b ハプスブルク家 の反宗教改革政策
   に反抗し、内乱を起こす。 → 新旧両派の内戦に突入。
  旧教側:皇帝・諸侯をc スペイン が支援。傭兵隊長d ヴァレンシュタイン の活躍。
  新教側:デンマーク、スウェーデン(e グスタフ=アドルフ王 )が参戦。
     f フランス(ブルボン朝) =新教を支援(ハプスブルク家と対抗するため)
  → 30年にわたり戦闘が続き、ドイツ国内は荒廃する。
 ウェストファリア条約の締結     1648年a 世界最初の国際条約 として重要
  b アウグスブルク和議 が再確認され、カルヴァン派が公認される。
   → c 主権国家体制 の確立 → d 神聖ローマ帝国 の実態は無くなる。
   フランスはe アルザス地方 を、f スウェーデン は北ドイツ沿岸を獲得。
   g スイス とh オランダ の独立が正式に認められる。
 

カ.東方の新しい動き

1. プロイセン      三十年戦争後、北ドイツで急速に成長し、強国となる。
 (前史)12世紀以来のa 東方植民  によって、エルベ川以東にドイツ人が入植。
  1134年 辺境伯領としてb ブランデンブルク選帝侯国  成立。
  13世紀 c ドイツ騎士団領  成立 → 1525年d プロイセン公国 となる。
  15世紀 e ホーエンツォレルン家  がブランデンブルク選帝侯となる。
  1618 b ブランデンブルク選帝侯国 とd プロイセン公国 が合併(同君連合)。
   → 1701年 f プロイセン王国 となる。首都ベルリン
  g ユンカー といわれる領主層が、h グーツヘルシャフト ※を経営。(※p.91参照)
    農民を封建的に支配し、地方の行政も行い、国王を支えていた。
2. ロシア   
  16世紀 a イヴァン4世(雷帝) モスクワ大公 b ツァーリ を称す。
    貴族を抑えて専制政治の基礎をかためる。
    領土を南ロシア、シベリアに拡大、アジアに進出。
  c コサック ※の首長d イェルマーク が占領したe シベリア を領土を組み入れる。
    ※ロシア東南部のドン川流域の草原地帯で、牧畜・狩猟を主とする生活を営み戦闘能力が高かった。
    → 死後、内紛で混乱。ボリス=ゴドゥノフの政権簒奪などがおこる。
  1613年 f ロマノフ朝 成立
   g ミハエル=ロマノフ が新たな王朝を開く。専制支配とh 農奴制  を強化
   1670年〜71年 ▲h ステンカ=ラージン の農民戦争を鎮圧。
 

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