世界史ノート 第9章3節

表示した解答を消去します。 消去した解答を再表示します。 別のウィンドウで表示します。 解答も印刷されます。 


3.宗教改革                         p.177〜 

ア.宗教改革の始まり

 ローマ教会の贖宥状発行    ローマ教皇a レオ10世 がドイツで発売。
   b サン=ピエトロ大聖堂  の新築資金の調達のためにドイツで発売した。
     ドイツ:ローマ教皇の搾取を受けたので、c 「ローマの牝牛」 といわれた。
 宗教改革     ドイツのa ヴィッテンベルク  大学神学教授 b ルター  
  c 1517  年 d 『九十五ヶ条の論題』 発表 ローマ教会を批判。
   主張:魂の救済は善行によるのではなく、キリストへのe 福音信仰 のみによる。
      →f 聖書 のみを信仰のよりどころとする。 =g 福音主義   
      →ローマ教皇の権威、聖職者の特権を認めず、信仰のあるものの平等を説く。
  1519年 ライプツィヒ討論 エックとの神学論争
  1520年 h 『キリスト者の自由』 刊行→ローマ教皇、ルターを異端として破門。
   → ドイツの諸侯、都市の市民、農民などの多数がルターを支持。
 ヴォルムスの帝国議会     1521年 神聖ローマ帝国皇帝a カール5世 
   ルターを帝国議会に召喚しその説の撤回を迫る。→ルター拒否。皇帝、彼の権利奪う。
   →b ザクセン選帝侯 フリードリヒ、ルターをかくまう。その保護のもとで、
    ルターは『新約聖書』のc ドイツ語訳  を完成させる。
   1522年春頃から、民衆の中に聖霊の働きを重視し、聖書を軽んじる急進派生まれる。
   → ジッキンゲンやフッテンの指導した騎士戦争も起こる。
 ドイツ農民戦争    1524〜25年 ルターの思想を信奉する農民の蜂起。
   指導者a トマス=ミュンツァー :福音主義を奉じb 農奴制の廃止 などを要求。
      → ルター、初めは農民反乱を支持したが、運動が過激化するに従い、批判的となる。
   → 封建諸侯によって弾圧される。
      カール5世、1526年にシュパイエル帝国議会でルター派の信仰の自由認める。
   ルター派諸侯の改革:諸侯が領内の教会の首長となるc 領邦教会制 、修道院の廃止、
    典礼の改革など  → ザクセンなどドイツの諸侯に広がる。
 宗教戦争    a イタリア戦争 ・オスマン帝国のb ウィーン包囲 (1529)をうけ
   1529年 カール5世 信仰の自由を取り消す → ルター派「抗議文」を出し、
       c プロテスタント(新教徒) と言われるようになる。 → 旧教徒との対立
     1530年 ルター派の領主、都市が反皇帝で結束してd シュマルカルデン同盟 結成。
     1546〜47年 e シュマルカルデン戦争  起こる。:旧教徒(カトリック)
    皇帝支持の諸侯と新教徒(プロテスタント)支持の諸侯の戦争。→同盟軍敗れる
 アウクスブルクの和議    a 1555年  ルター派の新教が認められる。
   ただし、b 領主の宗教がその地に行われる   という原則だったので、農民の信仰
   の自由は認められなかった。 →ルター派、その後北欧に広がる。
 

−112−


 

イ.カルヴァンと宗教改革の広がり

 ツヴィングリ   の改革 1523年 ルターの影響を受けa チューリヒ で開始。
      市政府と協力し改革を進める。 → 中世以来の幼児洗礼※は認める。
   1529年 穏健な改革を望むルターと対立。1531年 旧教勢力と戦い戦死。
 カルヴァン   の改革 1541年 a ジュネーヴ で改革を始める。フランス人。
   ルターの影響を受け、b 『キリスト教綱要』  を著す。
      ・厳格な禁欲主義を守り、ジュネーブでc 神権政治  を行う。
   ・d 予定説 :魂が救われるか否かはあらかじめ神によって定められていると説く。
    →神から与えられた現世の職業労働に務めるのが神の栄光をあらわす道であるとする。
    →e 商工業者(中産市民) の思想と合致する。→ 資本主義的精神の形成
      ・f 長老主義   ルター派は司教制度を維持したのに対し、カルヴァン派は廃止。
        → 教会員の中から長老を選び牧師を補佐させる。
 プロテスタンティズムの成立   
    a カルヴァン派  →フランス(b ユグノー )、ネーデルラント(b ゴイセン )、
         スコットランド(c プレスビテリアン )、イングランド(d ピューリタン 
    e  ルター派→  ドイツ(各領邦、自由都市)、北欧諸国にひろがる
   =ローマ教皇の権威と聖職者の特権を否定(f 万人祭司主義 )する新教の総称。

ウ.イギリス国教会の成立

 ヘンリー8世   テューダー朝の王。王妃とのa 離婚問題 でローマ教皇と対立。
  1534年 b 首長法   (国王至上法):イギリスの教会(c 国教会 )は国王を首長
        とすることを宣言し、教皇と絶縁する。さらに修道院を廃止、その土地財産を没収。
 次のe エドワード6世   1549年 f 一般祈祷書 制定 プロテスタントの教義を採用。
 メアリ1世 (スペイン王と結婚)の時、カトリック復興をくわだてる。
     → 新教徒を弾圧、「血のメアリー」と言われる。
 エリザベス1世    1559 a  統一法  制定:国教会の制度を確立。
   1563年 信仰箇条 39ヶ条を制定
   特徴:教義ではカルヴァン主義を採用しているが、司教制度の維持など、外面的には
            カトリック(旧教)に似かよっている。=イギリスの宗教改革といえる。
      b  イギリス国教会(アングリカン=チャーチ)  の成立
 16世紀後半 イギリス絶対王政の全盛期となる。
※補足 a 再洗礼派 の出現:幼児洗礼を認めない急進派は、成人洗礼のみを有効と主張した。
     → ドイツ(ミュンツァーなど)、ネーデルラントなどに広がるが、弾圧される
   → その一部がアメリカ新大陸に渡り、b アーミッシュ などとなる。
 

−113−


 

エ.対抗宗教改革(反宗教改革)

 対抗(反)宗教改革      宗教改革の進展に危機感を持ったカトリック側の改革運動
        → 教義の明確化と、内部改革によって勢力の回復に努める。
     1545年 a トリエント公会議 :開催。 教皇の至上権を再確認。さらに、
    聖職者の生活の粛正、禁書目録の作成、b  宗教裁判所 の強化。
 イエズス会の活動     1534年結成  ”屍の如く”がモットー。
   スペインで a イグナティウス=ロヨラ  がb フランシスコ=ザビエル  らと
   結成した修道士会。(c ジェスイット教団  ともいう。)
      教皇の許可を受けて、厳格な軍隊的規律により積極的な布教と教育活動を展開。
   → 特に、南ヨーロッパで新教の波及をはばみ、南ドイツでは地域を挽回。
     海外布教 → アジア・ラテン・アメリカ大陸への布教を展開。
     1549年 b  フランシスコ=ザビエル  日本に布教。さらに中国に向かう。
    ポルトガル、スペインの植民活動と結び付く。 
ヨーロッパで d  宗教戦争 の展開、非科学的なe 「魔女狩り」 が17世紀まで続く。
 
 地図 新旧両教派の分布(16世紀)
 

−114−