イスラーム勢力の進出の結果、次第にイスラーム化。(4章2節参照) 9世紀頃 アッバース朝のカリフは、a マムルーク と言われるb トルコ人奴隷 を 親衛隊として用いる。その後、イスラーム各王朝で白人奴隷が軍事力の中心となる。
1055年 始祖a トゥグリル=ベク 、b バグダード に入城。アッバース朝のカリフから、 c スルタン の称号(政治的支配者の意味)を得る。→イスラーム世界の政教一致の原則が崩れる。 スンナ派イスラーム教としてシーア派のエジプト・ファーティマ朝と対立。 11世紀末、マリク=シャーのとき、全盛期となる。 主要都市に学院(d マドラサ )を建設。イラン人の宰相▲e ニザーム=アルムルク が▲f ニザーミーヤ学院 開設、スンナ派の神学と法学を研究、思想統一に努める。
セルジューク朝の西方進出 1071年 ▲a マンジケルトの戦い でビザンツ帝国軍 を破り、さらにイェルサレムを含むシリア海岸地帯に進出。ビザンツ皇帝の要請で →b 十字軍運動 始まる。 → 小アジアのルーム=セルジューク朝など地方政権に分裂、衰退する。 1194年 トルコ系イスラーム教国のホラズムによって滅ぼされる。 中央アジアのトルコ系イスラーム王朝 10世紀 c カラ=ハン朝 東西トルキスタンを併合し、イスラーム文化を導入。 10世紀末 d ガズナ朝 アフガニスタンから起こり、北インドに侵入。
1169年王朝樹立。71年、ファーティマ朝を倒し、エジプトにスンナ派を復興。
1187年 b 十字軍 を破り、聖地イェルサレムを奪回。アラブの英雄とされる。
→ 第3回十字軍 イギリス王リチャード1世と講和。
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1250年 アイユーブ朝を倒し、エジプト・シリアを支配。 1260年 第5代スルタンa バイバルス 、シリアに侵入したイル=ハン国の モンゴル軍を破る(アインジャールートの戦い)。シリアから十字軍を駆逐。 さらに、アッバース朝カリフをカイロに擁立、メッカ・メディナを保護下に置く。 →生産の安定 →地中海・インド洋貿易(紅海経由)を独占→b カーリミー商人 (p.151)を保護。 → 首都 c カイロ の繁栄。イスラーム世界の政治・経済・文化の中心地となる。 ▲d アズハル学院 (ファーティマ朝に建設)新たなスンナ派イスラーム学の中心となる。
11世紀 熱狂的な宗教運動起こりイスラームへ改宗すすむ。
イスラーム教国を建設。都はb マラケシュ 。イベリア半島に進出。
→ アフリカの黒人王国のガーナ王国を滅ぼす。アフリカ内陸部のイスラム化すすむ。
イベリア半島に進出し、キリスト教徒によるa 国土回復運動 と対抗。
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