それは、中学校で使う地図帳に書いてあると思いますが、 横浜市の南半分を曲がりながら、斜めに貫いています。 行政区のわかる地図と比べると、多くの場所で区境と重なっていることがわかります。
戸塚区から分区した瀬谷区・泉区・栄区はほぼ全域が相模と考えられますが、 港南区だけは北西側が相模、南東側が武蔵、のように真っ二つに分かれています。 こうなった最大の理由は、戸塚区誕生の3年前、旧相模国だった鎌倉郡の一部を 当時の中区が「先取り」したためです。その後、分区を繰り返していくうち、 先取り部分が現在の港南区に属することになりました。
港町として知られる横浜市には「港北」と「港南」の両方の地名があります。 「港北」のほうは「港北ニュータウン」として知られていて、新幹線の新横浜駅もこの近くにあります。 市営地下鉄「あざみ野」駅までの開通に伴って、1994 年には港北ニュータウンのど真ん中に区役所を持つ 「都筑区」などが誕生しました。このときの分区は非常にダイナミックな線引きの変更が行われています。 こんな大胆なことができるのも、昔、一つの広大な「港北区」から分区したエリアだったからだと思われます。 さらに、東京からの距離が近い、大きな河川(鶴見川)がある、というのもあるのかも知れません。
それに比べて「港南」は対照的です。港北ニュータウンと逆側にあることを示すかのような
「港南台」といった住宅地もあり、JR根岸線で両隣が「洋光台」「本郷台」のように台がついていて
一見まとまり感があるようですが、区は3つとも異なります。
港南台に関しては区の中心部(上大岡など)から数kmほど離れていたりします。港北ニュータウンに比べると
規模は小さめで、行政区域的にはまとまり感がほとんどありません。
その背景には、区制施行当時の区が全くばらばら(中区、磯子区、戸塚区の3つに分散している)、
三浦半島に近くて地形が険しくなっている、などの理由で、港北ニュータウンのような
大胆な区分け変更がしにくいといったことがあるようです。
小選挙区の分け方も、よく見るとこのような「区の親子関係」に基づいていたりします。 選挙のときに確認してみるとよいでしょう。
江戸時代 | 武蔵国 | 相模国 | |||||||||||||
1927年 (区制施行) |
都筑郡・神奈川区の一部 | 保土ヶ谷区 | 磯子区 | 中区 |
鎌倉郡 (永野村) |
鎌倉郡の一部 | |||||||||
1936年 | 中区 | ||||||||||||||
1939年 | 港北区 | 戸塚区 | |||||||||||||
1943年 | 中区 | 南区 | |||||||||||||
1944年 | 中区 | 西区 | 1948年 | 磯子区 | 金沢区 | ||||||||||
1969年 | 港北区 | 緑区 | 保土ヶ谷区 | 旭区 | 南区 | 港南区 (武州側) |
港南区 (相州側) |
戸塚区 | 瀬谷区 | ||||||
1986年 | 栄区 | 戸塚区 | 泉区 | ||||||||||||
1994年 | 港北区・都筑区・青葉区・緑区 |
(鶴見区は区制施行以来、分区などの記録なし)
この分水嶺の存在が特に気になるのが自転車での移動時。 坂道を避けるため、谷沿いで坂道のない場所を選んで移動しようとしますが、 この旧国境だけはどうしても避けられない難所なのです。
ならばいっそのこと、たどってみれば?という発想から、この分水嶺を自転車で 何度かたどったことがあります。うまくたどれれば、景色の良い場所をずっと 走っていられますが、谷へ降りてしまうとまた分水嶺へ上るのが大変...という スリルも味わえたりします。
そんな中、旧国境の痕跡を残した場所も数多く発見され、その様子を写真に収めることができました。 下の地図にある番号をクリックしてみてください。
八景島を目指すのではないかという噂もあったものの、 結局は帷子川に戻ってそのまま2003年を迎えたタマちゃん。 最南の大岡川では磯子へ抜ける分流があるのですが、 それをうまく発見することができなかったようですね。
この調子だと、同じ横浜市でも相模のエリアにたどりつくのは困難でしょう。 三浦半島をぐるっと廻って、江ノ島からアクセスしないといけないのですから。
上瀬谷のあたりまで達すると、もう相模野台地の一部になってしまい、 目立たなくなってしまいますが、線を引くことはできます。 この線は、恩田川と境川の間に挟まれた町田駅前の繁華街を貫いているとみられます。
さらに先へ行くと、こんどは多摩ニュータウン(八王子市)と町田市との境の尾根に 達します。ここで再びはっきりした分水嶺になってきます。それも、境川と平行に。 町田市域がやたらと西に細長いのも、この地形の影響でしょう。
もっと先へ行ってみると、高尾山、大垂水峠、小仏峠をへて、最終的には 大菩薩のあたりが分水嶺の終点となるようです。さすがにここまでくると、自転車はおろか、 歩いたとしても、たどって行くのはかなりの大冒険でしょう。
この分水嶺はまた、多摩三浦丘陵の中心軸ともなっていたりします。