管理人と田辺とおるとは、どんな関係にあるのか

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Q:(今日はたくさんしゃべらすぞ・・)「オペラ座の・・・なにじん?」を拝見すると、田辺君は、相当量の文章書いているようですね。
A:やっぱり好きなんでしょうね。今はワープロだけど、高校時代は字も豪快でしたね。翠嵐時報っていう新聞を作っていたんだけど、新聞づくりも、企画から取材、執筆、最後にレイアウトまで、作業の流れがある。それぞれ得手不得手があって、私なんかは、執筆はダメでレイアウトが好きな方でした。取材は誰でも好きですけど。田辺は企画・執筆が中心だったかな。彼が部長で、その暴走の抑え役がもう一人いて、私が茶々を入れて収める役。田辺が天才肌なら、私は職人肌でしたね。

Q:つまり、今と同じ関係というわけだ。
A:(たまにはいいこというじゃん)そうそう。田辺が書いて、私がレイアウトをする関係というのは、あの頃と同じ。あの頃を思い出したりしちゃいます。ただ、文章を直すことは今はしていませんが。

Q:文章もうまいですよね。
A:うまくなりましたよね。昔はとにかく難しかった。落語が好きなだけあって、やたらあまり使われていない漢字を使うんですよ。思い出話になりますが、現代国語の試験で、「傀儡」をなんて読むというのがあった。普通は、傀儡政権のカイライですよね。それを「クグツ」と解答した。繰り人形転じて遊女の意味。間違いではないから、教師は困っていた。こんな問題を、単語だけ取り出して出題した教師がいけないんだけど。

Q:へえ・・・
A:まあ変な高校でしたね。教師との関係もほとんど友達関係というかライバル関係というか上下意識がなかったし、受験もあんまり意識していなかったし・・・そういえば、田辺がNHK教育TVの「若い広場」っていう番組だったかな、投書したんですよね。確か、その番組が放映した高校像に反発したんだったと思います。とにかく、こんな高校もあるんだからけしからんみたいなことを書いた。そしたら、取材にきた。

Q:で、放映された。
A:そう。いわゆる受験校がこんな馬鹿なことをやっているって。あんまり覚えていないけど、私の場合は、たまたま文化祭に向けて映画を作るグループにいた。友達のアパートで徹夜して8ミリフィルムを編集している姿が映されちゃった。

Q:へえ・・・
A:あと、回覧日記っていうのがはやっていた。クラブとかクラスとかで、大学ノートを回して順番にその日の日記を書いていく。みんな良く書いてね。2-3ページはざら。多分、今だったらホームページにしちゃうんだろうな。

Q:(まずい、思い出モードになってきたぞ)ところで、そもそも「オペラ座の・・・なにじん?」をはじめたきっかけは何なんですか。
A:(話題を急に変えるな!)なんとなく。

Q:(まずった単刀直入すぎた)普通、高校卒業後は、あまり会う事もないですよね。ましてやオーストリアじゃ。
A:文通というのかな、手紙のやり取りをしていた。お互いにすごい量の身辺雑記を書いて。もう手元にはないけれど。で、彼が声楽に転向して日本に戻ってきて、オペラの客を増やさなくちゃといわれて、だいぶオペラについて吹きこまれた。私も仕方ないから、CD集めて、楽譜も読めるように勉強したけど素養のない私には敷居が高かったですね。

Q:そうか。オーストリアに行ってから、1度日本に戻っているんですね。
A:私が大学4年の頃かな。オペラの話を聞く代わりに、ドイツ語を教わったりもしたなあ。いきなりハーバーマスなんかを読ませて。で、アルテリーベやビアホールライオン時代は26−28才ぐらいですね。正直言って認識を改めました。どうしてもクラシックとかオペラって難いというイメージを拭えなかったけど、本当にあのステージは楽しかった。とにかく話術はプロですし。それで、たまたま私の仕事の関係もあって、1989年の横浜博覧会(YES)に紹介したら向こうの担当も喜んで採用してくれた。

Q:それで1991年に2度目の留学ですね。
A:30才の頃ですね。あとはご承知のとおりで、向こうで成功する。たいしたもんですよね。

Q:「オペラ座の・・・なにじん?」の件なんですが・・・
A:ご免ご免。そんなわけでドイツで活躍していたわけだけど、やはり日本でオペラをやりたいと言うんで、相談された。私もいろいろあたったんだけど、不況だし、公共系も文化予算がとれないので、難しくて、それっきりになっていた。彼のほうは頑張って1997年から来日コンサートを始めるようになったんだけど、私もほらっ、宿題を投げ出しちゃった小学生の気分ってあるでしょ、それでつい、代わりにホームページでも作ろうかと、言っちゃった。

Q:それって、いつの話?
A:えっ?うーん、1999年の1月にヒルデさんとのニューイヤーコンサートが開催されたときかな(冷汗)。私も、忙しいもんだから、ホームページの話もそれっきりにしていて、9月の首都オペラ「ボエーム」公演で来日して、高校時代の小さな同窓会みたいなのを開いたら、その場でこの話が暴露されてしまって・・・。

Q:ありがちな話ですね。でも、無事できてよかったですね。
A:作り始めたら、意外に面白かったですね。まあ、更新もそのうち遅れ気味になっちゃうかもしれないけど、掲示板があるから安心してます(笑)。開発日誌を見てくれるとわかるけど、9/27日以来の試作段階は昔の仲間達が毎日見てくれて激励してくれて、11/4日の正式公開以来は毎日50人を越す方々が見てくれているというのは、やっぱり張り合いがあります。みんなの口車に乗せられて、私の個人ページ「あっちゃんの島」も始めちゃったし。「あっちゃん」という名前を使うのも20年ぶり。

Q:いつまで続きますかね。(あっ失言)
A:鬼が笑うってやつです(そんなの誰にも分からないって)。まあ、また遊びに来てくださいね。でもこんなんで原稿かけるの?

Q:えっ?まあまあ(売り物の原稿じゃないから適当でいいんだって)。どうもどうもありがとうございました。

一応これで終わり
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