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エホヴァの暗号


──鳥の視──




二人の中国人が、ヨーロッパにやってきて、初めて、劇場に入ってみた。その一人は、大道具小道具の仕掛けや動かし具合を理解しようと努めて、どうやら、その目的を達した。ところで、他の一人は言語には不慣れであったにもかかわらず、脚本の意味を判断しようと努めたという。──前者は天文学者に比すべく、後者は哲学者に比べられる。

アルトゥール・ショーペンハウエル




方法論的対立の時代

 1950年代後半より始まったレヴィ=ストロースの構造主義の提唱──とりわけ1962年に著された『野生の思考』によって起こった構造主義の知的潮流は、サルトル率いる実存主義的哲学との間に激烈な方法論争を巻き起こした。この抗争におけるサルトルの敗北は、当時の論壇に構造主義の時代をもたらす要因となった。

 おりしも時代は、大戦による退廃的風潮もかなり後退し、人々の興味は世界的に構築の知へと向かっていた。また、従来の知の形式としての意識と精神へのオプティミズムは色あせ、学術の興味は人間の意識の到達し得ない無意識的な下部構造へと移っていた。たしかに、その知的潮流の源流にはジークムント・フロイトの精神分析学をはじめとする諸思想の影響をみることができる。だが、構造への興味は時代の要求でもあったのである。

 だがこれは同時に、ひとつの重大なパラダイム・シフトの到来を意味していた。あくまでも人間の学としての立場を標榜していた従来の哲学と、構造主義のような非人間主義の思考技術とは、その知の形式そのものに大きな隔たりがあったのである。

 学術の世界では非常にしばしばみられることであるが、構造主義のあまりに著しい知的流行に対して、さまざまな知的立場からの批判もまたあげられた。その中で先陣をきったのが、解釈学的哲学のポール・リクールであった。

 結論から言えば、構造主義的方法はあまりに広範な分野への応用により、その方法論的特質の拡散化・希薄化を招いていた。そして特に構造主義的哲学は、やがてミッシェル・フーコーやジル・ドゥルーズらの出現を迎えるに至って「ポスト構造主義」といった領域判定不能な概念へと変貌してゆく。そしてそれ以前に、世界は1960年代後半の全世界的な学生運動の動乱期を迎え、時代は客観的・静態的な知の形式である構造主義から、人生や主体を考える解釈学的哲学へとその必要を移しつつあったのである。学生時代の押井守がどういった知的領域に興味をもっていたかはわからない。だがすくなくとも彼の学生時代、世界の知はこうした状況を迎えていた。

構造と解釈学

 レヴィ=ストロースの構造主義的方法は、極めて画期的な思考法であった反面、ある種の知的危険性をはらんでいた。それは、その知の「まなざし」の性格に由来したものだった。

 解釈学的哲学者ポール・リクールは、レヴィ=ストロースが『野生の思考』を著した翌年、これとの対決を期した論文『構造と解釈学』を著した。これにおいてリクールは、レヴィ=ストロースの人類学上の学術的功績は認めるものの、その方法の一般化には極めて強く反発する。リクールによれば、レヴィ=ストロースの構造主義はあくまでも「思考法」であり、何らかの主張をもった「哲学体系」ではない。無意識的な下部構造を専ら対象とするその態度は、あくまで観察者自身のものの考え方などとは根本的に無関係な地平に立ち、客観的、科学的な認識のもとに世界の「構文」を求める、「主体をもたないまなざし」の知なのである。

 リクールに言わせると、構造主義という思考方法は本質的に、物事の関係を重視する「構文論」(SYNTAXE)であり、そこには物事の意味を考える「意味論」(SEMANTIQUE)の見地が欠けているという。データはあくまでデータでしかなく、それが「解釈」という地平のもとに意味対象となったとき、初めてそれは「情報」となる。いかなる分析も、それを解釈するものを射程に入れないかぎり、単なる要素論に過ぎない。

 またリクールは、『野生の思考』は、ある特定のサンプル・テクストのみを取りあげて論じており、一般的妥当性に欠けるといった批判を展開した。すなわちレヴィ=ストロースは、「トーテミズム幻想」の打破と西欧文化社会の批判を急ぐあまり、いわゆる「トーテム・タイプ」の文化圏をのみ研究対象としており、そこには大きな偏向があるというのである。つまり、世界の原初的文化モデルとして決して例外的ではないアジアや古代ギリシア、インド・ヨーロッパ、またエジプト、バビロニア、ヘブライなどのセム系文化圏などの文化タイプについての言及がまったくない点を指摘したのである。

 事実、レヴィ=ストロースは、ヨーロッパにおいてのトーテミズム的構造が原則として欠如している点について、ヨーロッパの文明はトーテム・タイプの神話的思考を採らず、「歴史」という観念による自己説明の道を選んだという説明をしている。「歴史的思考」と「分類的思考」との間には「本質的な敵意」があり、各々の知的地平はそれぞれ排他的であるため、ヨーロッパなどには分類的思考の痕跡を見いだすことができないのだと断定したのである。

 リクールはこの点について、レヴィ=ストロースとは異なる見解、すなわち神話的思考の「他の極」の重要性を主張し、そういったタイプのひとつの典型モデルを提出した。それは、世界に対するとき、分類的思考の極である「構造」、すなわち構文論のまなざしによって物事をとらえるような思考ではなく、ある出来事の「意味」をこそ重視し、「意味論」のまなざしによって世界と接するような神話タイプ、解釈学的思考の極である「歴史」を生み出す文化モデルである。

 このときリクールが選んだ「テクスト」は、『旧約聖書』だった。

告知

 旧約聖書の最初の六書には、さまざまな「できごと」の記述がなされている。それは、ヤーヴェ神のイスラエルの民に対するふるまいの「告知」であり、「宣教」の記録である。

 そこでは、世界を静態的把握によって読むトーテム・タイプとは異なり、まず人々の前にある出来事が展開し、次いでその生き生きとした「解釈」によって伝統が生成される。そしてまた、その事項に対して後世の各世代が再解釈を行うという、「三重の歴史性」が働いているのである。

 イスラエルの民のこうした営為がもたらしたものは、強烈な自己同一性の意識であった。自己自身の伝統の再解釈とは、究極的に、現在の自己意識の過去への投影であり、そこには不可避的に「歴史」という観念が生じる。歴史とは、世界解釈の変動の記録であり、解釈者の解釈の前に世界がその透明性を増してゆく過程の徴である。そしてまた、歴史の「意味」を自らの歴史の中で果てしなく追い求める知的態度は、「自己」という一点を限りなく強く保持しつづける知的態度と不可分であった。

 こうしたタイプのモデルの中では、「構文」より「意味」が、「構造」より「歴史」が優越する。ここで起こった「できごと」は、その「意味」こそが重要であり、そしてそれは分類的・構造的方法によって汲みつくすことのできないほど豊かな「意味されたもの」によって構成された世界だからである。その「意味のたくわえ」の背後にある根本的な「出来事」に対して、人間精神は常に「自己」としての立場から、不断の「問い直し」―─再解釈をせまられることとなる。そこには「懐疑」の精神が息づき、「自己」という一点を確保したそのまなざしは、必然的に解釈の思考を生む。そしてそれは通時的なもの―伝統や歴史の「構造」に対する優位を決定づけるのである。

 そしてまた、こうした文化は、同時に単独者の哲学を生む。

 そもそもユダヤ教は「乾いた東洋」の思想であるが、砂漠という地理的状況はその民の知にある種の特徴を与えた。われわれの生活する「湿った東洋」の世界では、隠遁者のような単独者もなんとか生きてゆくことができるが、砂漠生活者にとって単独者たることは確実な死を意味する。「迷える小羊」はそれが確実な死への道程をたどっているからこそ救済を必要とし、だからこそそこに単独者救済の思想が芽生えることになったのである。世界と、世界のあらゆる存在者を親密なものとし、その構造という材料を用いて世界観を構築するトーテム的世界にくらべ、この文化の中に生きる人々の世界に対するまなざしは、常に敵意と懐疑とに彩られていたのかもしれない。そしてまたそれが、こうした世界の知の中に培われた「自己意識の哲学」に密接な関係をもっていることは言うまでもないだろう。

 ある者からの超越的な「告知」と、それに対する「解釈」によって「歴史」を刻み始める神話の世界―自己という「点」を持ち、驚愕よりもむしろ「懐疑の念」によって自己とその伝統を確かめ続ける精神の文化。リクールはこの文化モデルを、トーテム・タイプに対して、「告げ知らせ」「宣教」を意味する「ケリグマ」(kerygme)タイプと呼んだ。

コードと暗号

 リクールは構造主義に対し「構文論」という評価を与えたが、それはひとつには、構造主義が「コードの重視」という方法を採っていたことに由来している。

 リクールによれば、レヴィ=ストロースは「同様のコードをもつ構造」に着目し、そのコードをキーとした各項の関係を無意識的下部構造よりあきらかにする。それによってもろもろの人間活動現象を変換可能な構造へと還元することこそ、その狙いだったと言える。そこにあってレヴィ=ストロースは、意識的な知的操作の性格の強い意味論よりも、超個人的で客観的・制度的な構文論をその方法として採用するのである。  このとき最も重要な役割を演じるのは、各項それぞれの間に存在する対立の法則性と、それにもましてそのコードの解読である。

 コードは、ある構造の中に客観的に存在し、そのコードの対応―たとえば高‐低、硬軟、大小などの項対立の図式などにあらわれる―によって、構造分析は行われる。そしてこのコードをキーとする関係論の上に構築される世界構文こそ、構造主義の観ようとした世界の姿だった。

 だがリクールによれば、こうした思考プロセスは、そもそも解釈学的思考の一ステップに過ぎないという。つまり「コード」は「暗号」(chiffre)を前提とし、「コードの解読」という知の形式は、「暗号の解読」という知の形式の客観的段階と言えるのである。

 たとえば、高‐低という二項対立があった場合、レヴィ=ストロースはほとんど無前提にその対応の構文をのみ論じているが、じつはこの関係が論じられる前段階には、「高い」もしくは「低い」という概念のもつ「意味」が論じられなければならない。このことから考えると、そもそもコードの源泉は、「意味するもの」と「意味されるもの」、すなわち能記と所記との「対応」にこそあり、この関係論は広く「暗号」という形式の範疇に属するのである。

 レヴィ=ストロースは、その極限的段階として、あらゆる世界のコード化を考えていた。世界を構成するあらゆる要素を巨大なコンピュータに入力し解析すれば、世界そのものが構造の集合として記述できるというのがその考えであった。そして彼のその発想の根底には「言語」の観念があった。現代の哲学思想は、そのほとんどが何らかの形で言語の問題に論及するが、その背後にこうしたレヴィ=ストロースの方法が影響していることもまた事実だろう。

 たとえばレヴィ=ストロースは、親族構造の中に見いだした婚姻の規則性を言語の規則性に重ねあわせるが、たしかにこうした「流通」の規則にのっとった原初的な構造であれば、そうした操作は妥当かもしれない。だがそれはあくまで一次的な言語活動(ランガージュ)のモデルであって、芸術や宗教、歴史などのような、基礎的な言語体系の上部に技術的な知性によって構築された、より総合的で二次的である言説(ディスクール)の体系を理解するためには、それぞれに固有な「暗号」への理解と、解釈学的な知的態度こそ不可欠であろう。構造の思考を、より高度な総合的解釈の一契機とする知の形式―近代西洋哲学最大の巨人ヘーゲルの論理学体系のような―こそ、真理の源泉に通じる道なのかもしれない。

犬と鳥

 レヴィ=ストロースの狙 いは、意識と理性の暴走と、それからなる近代的人間というパラダイムそのものを、無意識的下部構造の重視を通じていまいちど自然へと溶解させること―ロゴス(論)とノモス(為)のピュシス(自然)への解体・還元であった。だがそのあまりに強力な知的破壊力は、レヴィ=ストロースの意図を超え、ひとつの重大なパラダイム・シフトを生ぜしめた。それは、のちに「人間の終焉」と呼ばれることとなる「反人間主義」への展開であった。

 押井守の作品にはしばしば、「探偵」のモチーフがあらわれる。
 ある者―その名のみ語られ、未だその姿を現すことのない誰かの為したその痕跡を、かつて何者かによって組まれたプログラムのロジックを追うシステム・エンジニアのように追い求める彷徨者のモチーフ。自分以外の誰かによって世界に隠蔽された知の営為を、その虚無的なまでの懐疑の念によって暴き知らせてゆく単独者。そして、その無言の語り部によって語られ開示されてゆく、驚異の念の探偵小説─―。

 この、「探偵小説」的思考こそ、押井守の作品性を決定づける究極の知の形式なのかもしれない。彼は自己として「犬」であり、同時に彼はその依頼者の放った「鳥」でもある。かくして、押井作品群のうち、その方法論において構造に接近する「犬の作品群」のなかにも密かな鳥のまなざしは息づき、またケリグマの知を思わせる「鳥の作品群」に犬の匂いは漂うのである。

 作品『天使のたまご』を経てより、「構造の時代」を迎えた押井作品は、ひとつのライトモチーフへと収斂してゆく。

 トーテム・タイプの知の形式は、現代社会の中にもその姿を確かめることができる。だがそれは、かつてのように「鳥」の世界と対立する野生の犬の姿ではない。それは、鎖に繋がれた奇形の生き物の姿をしている。

 現代において、弁証法の学派はしばしば世界史の終焉を口にする。不気味に肥膨する奇形の犬を従えた、老いに爛れた鳥の世界。歴史の終焉を迎えかかったその世界を彷徨する、残り少ない野犬の群れ─―。

 押井作品の、すくなくともその一部は、そんな世界を描いてはいないだろうか。


運命の哲学

 極論すれば、「構造」を重視するタイプの思考、システムの知は、世界を「自然」、すなわち因果律のみに支配された必然的世界として考える傾向がある。これはカントの説いた「現象界」と同じく、そこにあっては人間は単なる従属物に堕し、本質的に「自由」を持たないという世界観である。一方それを批判した解釈学的思考は、超越論的視点の存在を不可欠的に前提する。それは「主体」という「点からの思考」であり、その点の前に世界は必然的世界から蓋然的世界へと変貌する。

 カントは、人間精神は定言命法によって経験的現象界より物自体の次元へ超越する可能性を与えられ、道徳形而上学的実践によって本質的な「自由」を保証され得るに至ると考えた。その意味で、リクールからみたレヴィ=ストロースは、まさに「超越論的主体の存在を欠いたカント主義」だったのかもしれない。

 構造主義的な知は、人間の主体としての能動的な「生」を信じない。構造主義の視点からみるかぎり、個人は常にその生存する社会システムに従属してあり、そしてその個人の主観、人格、究極価値などは、すべて社会システムの無意識的下部構造の影響のもとに培われたものなのであって、個の自由や能動性などは、すべて単なる統計学上の問題へと解体される。個の「自由」や、決定論への抵抗の試みは解釈学的な視点より生じ、その戦いの記録こそが「歴史の意味」となるのである。

 だがここで、ひとつの疑問を提出したい。構造主義的視点の知は「決定論」による支配を受け、人間の形而上学的自由の喪失をまねく。だが、「歴史」の根源となる解釈学的知の根底にも、また別の形の本質的自由の喪失―─「決定論」の思想が内在してはいないだろうか。たしかに、短期の「共時態」レベルにおいては、構造主義的モデルの人間精神ははっきりと決定論に支配されてしまっている。しかし、「歴史」の目をもってみればむしろ、エデンの楽園を追放されなかったトーテム的神話の世界よりも、ケリグマ的世界の神話であるユダヤ教に、世界の終末への予言が謳われてはいなかっただろうか。ニーチェの述べたように、本来は円環であった時間を、神がある一点―ケリュッソー(告知)による呪い、「原罪」という時間の輪の切れ目―の破れた円環へ、「滅び」へと向かう「線分」へと変えてしまったのではないのだろうか。

 ハイデッガーはしばしば、「知は運命よりもはるかに無力である」というプロメテウスの言葉を引用した。「決定論」、いな「運命論」という思考そのものが、われわれの知の根源的形式であり、近代思想の技術的思考法によってある程度その超克が試みられたものの、そうした思考は今もなお、常にわれわれの知を規定しつづけているのではないか。

 こういう話がある。

 ユダヤ教の神エホヴァは、元来ヤーヴェと呼ばれていたものの、後世の誤読であるという。おそらくは、永い歳月のうちに起こった、偶発的な誤りなのだろう。そもそも「言語の摩滅」は、まず音韻論的部分から始まり、ついで意味論的部分、構文論的部分の摩滅が起こって行く。歴史においてのこうした例は、他にもしばしば見いだすことができるだろう。だがもし、これが単なる歴史の蓋然性による偶発的な事件ではないとしたら? 必然的なシステムの引き起こした、「歴史のプログラム」に内在する一種のバグだとしたら?

 ユダヤ教の母体であるセム系の言語ではふつう、母音を表記しない。従って「ヤーヴェ」は「JHVH」という形に表記される。その発音がただ人々の音韻論的言語活動にのみ依存しているという、こうした母言語の性質が、そもそもこの「文字化け」という事態の基盤になっていたことは想像に難くない。

 だがそのトリガーは、あくまでもひとつの「命令」に依っていた。それは、モーゼの十戒にある戒め、「汝が神の名をみだりに唱えるべからず」の命令語だったのである。「偶然」と「必然」、この二つの概念は、はたして本当にふたつの概念なのだろうか。

 押井守の作品には、じつのところこれまで挙げてきた三つの根源的契機だけでは解釈しきれない何かがあるのではないだろうかという考えが筆者の脳裏をかすめてから既に数年になる。そこで、ここに押井守作品に対するひとつの仮説を立ててみたいと思う。

 押井守作品には、以上紹介した、哲学史に述べられる三つの根源的な知への契機のほかに、もうひとつの極めて重要な哲学的契機が内在する。それは、ひとり押井守の世界にとどまらず、あらゆる現代的芸術、哲学、いなわれわれの知全般の契機とすらなる根源的なものになるだろう。

 すなわち、それ──第4のアルケーは、「終末の意識」である。





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