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GENESIS APOCRYPHON

〜第一部〜



 『新世紀エヴァンゲリオン』という。「新しい世紀」というと「あ、21世紀のお話か」という程度のことしかわからない。まあ「人類新世紀なんとか」という、鳴り物入りでどっかのダイガクを辞めたセンセの書いた本のことではなかろうというぐらいは自明のことであろう。あ〜あ、あのときはまだまともな人だと思ってたのになぁ、初版が1991年ってことは、そのころからこんなものを書いていたんじゃないか。てなわけで、わからない方は『トンデモ本の逆襲』を買おうね!

 いきなりと学会の宣伝から入ってしまった。

 で、『新世紀エヴァンゲリオン』の英語のタイトルは『Neon Genesis Evangelion』というのだそうだ。もっとも英語なのかどうかはよくわからない。あるいは、ラテン語か、ギリシア語のローマ字表記なのかもしれない。

 『エヴァンゲリオン』ではサントラがこの英語?タイトルで出されていることがLDのライナーに自慢げに書いてある。「Neon」が「新しい」なのかどうなのかよくわからないが、「Genesis」は旧約聖書の「創世記」のことである。LDは『Genesis 0:x』(xは巻数ね)というタイトルで出ている。これは聖書での「創世記0章x節」という意味の表記である(xは巻数ね)。もちろん聖書の「創世記」には0章なんて存在しない。そして、「Evangelion」はそのまま「福音」または「福音書」という意味だ。
 岩波書店版の新約聖書の註にはつぎのようにある(→「エウアンゲリオン」)。
 福音 euangelion
 「良き知らせ」の意。旧約では神の救いを意味する語に由来する。世俗のギリシア語では、戦争に勝利し、平和をもたらす神的王の誕生ないしは即位に関する「良き報知」を指す。キリスト教はこの皇帝礼拝的単語を、旧約的伝統で新たに満たし、イエス・キリストの救いの報知を意味する独自の術語に転じたことになる。さらにこの語は、後にはイエスの生と死(および復活)を描いた物語をも指すようになった(日本語では「福音書」というが、原語では「福音」も「福音書」も同じく「エウアンゲリオン」 )。[佐藤研訳『マルコによる福音書 マタイによる福音書』補注一〇頁、聖書の該当箇所表示などは省略 ]
 第一話などを見ると、作品のなかで「使徒」 と呼んでいるのは英語ではangelとなるそうである。Evangelionという綴りを見ればわかるが、この綴りのなかにはangelということばが隠れている。「エヴァンゲリオン」のなかに「使徒」がいるというわけで、よくできたネーミングである。

 なお、アダムから作られたエヴァはヘブライ語で「命」という意味で、直接にはevangelionということばとは関係がない。




 「新しい創世記としての福音書」というのはなかなか興味のあるタイトルだ。
 キリスト教の聖書が旧約と新約の大きく二部に分かれていることはご存じと思う。このうち、旧約聖書の巻頭におかれているのが「創世記」だ。そして、新約聖書のほうでは、巻頭の四「書」がマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネによる「福音書」という構成になっている。

 旧約聖書と新約聖書の関係はキリスト教ではどうなっているのだろうか?

 キリスト教では、旧約時代の人類は完全には救われない存在である。その由来を語ったのが「創世記」だ。

 神がまず土くれに「命の息」をふきこんでアダムを作り、アダムが眠っているあいだに、そのアダムのあばら骨から女のエヴァを作った。そのエヴァが、蛇に言いくるめられて、神が食べてはならないと命じていた「いかにもおいしそう」な果実を食う気を起こした。アダムもエヴァに実を手渡されたのでついつられて食ってしまった。それで人類は目が開けて知恵もついたと同時に、ここで「原罪」も背負いこんでしまったのである。

 「創世記」のこのへんのくだりは『エヴァンゲリオン』を意識しながら読むとなかなか興味深いものがある。たとえばアダムがエヴァを「知る」のは楽園追放の後である。また、木の実を食ったことに対してアダムに与えられた報いは、食べ物を得るために土を耕し、しかも茨やアザミが生えてくるのでつねに注意して作物を育てなければならないということだった。




 旧約の人びとはなかなか救われない。そりゃあそうだ。当時のユダヤ人の住んでいた土地というのは、北にはスキタイなどの遊牧民族やギリシア系の勢力、南西にはエジプト、東には当時でさえ「古い」文明を誇るメソポタミアの諸勢力があったのだ(→「イスラエルの国際環境」。それは現在のイスラエルのおかれている条件とあんまり変わらない。そりゃあそうだ――二〇世紀になってからわざわざ好きこのんでそんな場所に国を作ったんだから。ヘブロンとかエリコとかいう地名が最近のパレスチナをめぐるニュースに出てくるけれど、これらの地名は旧約聖書にはやくも登場している。エリコなんかは、モーセの後継者ヨシュアがイスラエルの民を率いて攻撃をかけ、手引きをしてくれた遊女ラハブの一族だけをのぞいて、住民はもちろん家畜にいたるまでぜんぶ剣にかけてみな殺しにしてしまったという都市である。

 現在のイスラエルはともかく、旧約時代のイスラエルの民は、ペリシテ人・ミディアン人などの近隣民族やアッシリア・エジプト・ペルシアなどの大国に圧迫され、その支配下におかれることも多かった。それを、冷静に「国際政治のリアリズム」的な視点で説明すればそれまでである。となりの民族がなんらかの要因で強くなったのでそれに服従しなければならなかった、というだけのことだ。周辺民族が強くなった要因も、新しい農耕法を導入したとか、ある政策がうまくいったからとか、どこかの別の民族と連合したからとか、ある商品が売れて富が蓄積されたからとか説明できるだろう。

 ところが、旧約では、イスラエルの民が神との契約に背いたので、神が罰として近隣民族に力を与え、イスラエルの民を懲らしめるのだ、というように解釈する。「主」である神が良しとされることをきちんと行っていれば、「主」に祝福された民族であるイスラエルの民は負けるはずがない。「主」の目に悪とされることを行うから、罰として民族に苦難が降り注ぐのだ、というような歴史観になる。まぁ見ようによってはけっこうトンデモだ。

 したがって、近隣に強い民族が現れて、イスラエルやユダヤ人に脅威を与えたり、イスラエルやユダヤ人を支配したり、王国を滅亡させてそこの住人を拉致したりということが起こるたびに、イスラエルは「契約を破った」と解釈されるわけである。理屈としては「悪いことをやった→神が罰を下した」という順番になるが、事実の解釈の段ではそれがひっくりかえって「神の罰としか考えられない災難が降り注いだ→なんか悪いことをやったに相違ない」という順番になってしまうのだ。いずれにしても民族的災厄があるたびに「われわれの民族は神との契約に背いた」という意識が浮上してくるわけである。
 神との契約を守っている証しを得るためには、きびしい環境のなかでイスラエルの民はいつも勝ちつづけなければならない。一度でも負けてはならないのである――このしんどさは、そう、惣流・アスカ・ラングレーのしんどさに似ているかも知れない。つねに「世界一なのよ!」と叫びつづけていなければならないのだ。

 こういう点でもユダヤ教・キリスト教はたいへん「厳しい」宗教である。そして、その「厳しさ」の理由が「沙漠の宗教」であることに求められ、それと温暖な森林地帯であるアジアの宗教と対比されたりすることがある。

 だが、ユダヤ教・キリスト教の「厳しさ」は、旧約時代のイスラエルがおかれていた民族的な厳しさのほうに大きな原因があるではあるまいかと私は感じている。周囲を強国や強い民族に囲まれた条件の下で、そんなに強くもない民族の共同体が敵や裏切り者に下手に情けをかけてやったりすると、あとで自分たちの勢力が衰えたときにどんな仕返しを受けるかわからないのである。自分たちが強い民族であれば敗者に情けをかけてやってもだいじょうぶだが、もともと弱小民族であれば、敵はやっつけられるチャンスに徹底的にやっつけておく必要があるのだ。同様に、内部分裂の芽となるようなもの――富や土地の不均等な分配や習慣のちがいなども強く排除される傾向にある。キリスト教の根にある旧約の考えかたのひとつはそういうものだということは覚えておいてもいいと思う。たとえば、旧ソ連時代にスターリン主義が暴威をふるったときの原則のひとつに「分派の禁止」というのがあった。この原則だってやはり旧約聖書から直接に出てくる原則なのである。

 ともかく、旧約の世界は、そうやって、「主」なる神と契約し、それが堕落した人びとによって破られ、それがまた正され、また破られ……というくり返しで成立している。完全に救われることはなく、「基本的にはダメだけどまあまあよくやっていける状態」を持続することが目標となるわけだ。人類は「不完全ななかでのベスト」をめざす存在だったと言ってもいい。

 しかし、他方で、「主」なる神と人との「契約」は結びなおされることがある。ノア・モーセ・ヨシュア(モーセの後継者)の時代には、それぞれ、人類は「主」にそむいて悪いことをやったので、「主」によって大きな苦難を与えられた。そして、苦難ののちに、人類は「主」と契約を結びなおしている。大きな苦難のあとには新しい契約が結ばれる――それも旧約の世界のひとつの信念だった(「エレミヤ書」三一章など)。

 さて、キリスト教では、その最初に原罪を背負いこんだ「不完全な」人類に救済をもたらす「新しい契約」――つまり「新約」を信じている。「主」イエス・キリストが十字架にかけられて死んだことで、その現在は帳消しになったと考えるわけだ。旧約の世界からは大きく飛躍した発想である。旧約の世界では、契約が結びなおされても原罪までが許されるというような発想にはならなかったわけだから。ともかく、イエスは、十字架にかけられたことで、「不完全」な人類を「補完」したわけである。

 そして、そのイエスの言行を記したのが「福音書」すなわちeuangelionなのだ。




 さて、The Dead Sea Scrollという。デッド・シー・スクロールというのは何かというと、呪文の一種であり、正義の味方「光の子ら」が悪の「闇の子ら」すなわちダークジョーカーと戦うときに威力を発揮する。てなわけで『りりか』が終わっちまった。その前々日が『チャチャ』OVAの最終巻の発売日だった。「なんという空しさ、すべては空しい」――と新共同訳聖書ではなっている。文語訳では「空の空 空の空なる哉 都て(すべて)空なり」である。英語の欽定訳は“Vanity of vanities, saith the Preacher, vanities of vanities;all is vanity”で、これは日本の文語訳に近い。けっきょく『りりか』と『チャチャ』の両方が終わってとてもむなしい、と、そういうことだ。だから何だ?

 『りりか』のことはまた書くとして、The Dead Sea Scrollというと「死海文書」のことである。この死海文書は、よく知られているように、1947年、パレスチナの羊飼いが、死海のほとりクムランの洞窟で見つけた古文書をはじめとする一群の古文書である。

 この、古代のユダヤ教の集団が書き残したと推定される文書のうち、最初に発見されたものを中心に、主なものの内容を挙げてみると、だいたいつぎのようなものらしい。もっとも、現在では、断片的なものまでふくめると800近い文書が知られているようだ(ウソ八百、とかではないぞ!)。

 1.旧約聖書の預言書「イザヤ書」の写本
 もともとクズだと思われていた「壷のなかの巻物」がユダヤ教の文書だと判明したきっかけとされる文書である。あるキリスト教の聖職者さんがその「クズ」を読んでみるとなんと旧約聖書の一部だった! というのが死海文書が世に出るきっかけだった――とされている。もっとも事実経過はもうちょっと複雑なようだ。内容は現行の「イザヤ書」とほとんどちがわない。学術的には、旧約聖書の本文がイエスの時代から後世までかなり忠実に伝えられていたことの証明になったところに意義がある。

 2.「イザヤ書」の写本 その2
 1.よりもさらに現行版の本文に近い二つめの写本である。

 3.「共同体の規則」
 この文書を残した共同体――「クムラン教団」などと呼ばれる――の規則にかかわる詩編と教えを含む文書である。のちに発見された「 nバクク書」は聖書の預言書のひとつである。ハバククはアッシリア時代末の預言者とされるが経歴はよくわかっていない。
 現在の「ハバクク書」ははっきり言って目立たない地味な預言書にすぎない。目次を見ずにいきなり聖書を開いてこの「書」がどこにあるか判明するまで何秒――もしかすると何分かかるであろうか、というような預言書である。だがこのハバククをめぐる「広汎に流布した伝承」があったのかも知れないと言われている(→ハバククの伝承)。つまり、ハバククが神から与えられた超能力の持ち主――カリスマ的な人物として見られていた可能性があるわけだ。
 紀元前後のユダヤ教徒・初期キリスト教徒が私たちとずいぶんちがった聖書(もちろん旧約のみ)の読みかたをしていたことは、たとえば、「ヨハネによる福音書」で、モーセの「律法」を一種の預言として読んで、それがイエスの刑死で成就されたと読んでいることからも読みとれよう(→イエスの刑死の描写)。同じように、現在の聖書ではたいした預言者という印象のないハバククも、紀元前後のある派のユダヤ教徒には「まさに自分たちのことを預言している預言者」として重要視されていたのかもしれない。
 ま、なんである。「ハバクク書」の預言が、このクムラン教団にとっての重要な事件のなかで成就されたという立場から書かれた注釈書が、このクムランの「ハバクク書注解」である。「悪の祭司」・「義の教師」などといういかにもそれっぽい名まえが出てくるので、「戦いの文書」などとともにけっこうトンデモ趣味をかきたてる文書のようだ。なお、この「義の教師」さんがクムラン教団の創始者とされている。
 非トンデモ的学術ではハバクク書の成立を検証するテキストとしても重視されている(→クムラン版ハバクク書)。

 7.「外典創世記」
 「創世記」をアラム語で解説したものである。この巻物は、皮がくっついてしまってなかなか開くこともできなかったらしい。一般にパピルスも皮もあまり保存に適した素材ではない。

 ―ここまでが「第一洞窟」の文書―

 8.ダマスコ文書
 中世の写本でその存在を知られていた文書で、ダマスコ(ダマスカス)に住んでいた集団の規則などを記したものである。最初に発見されたのはクムランでではない。ただ、「ハバクク書注解」などと重なる記述を含んでいるので、死海文書の関連文書だと考えられた。その後、実際にクムランからもこの文書が発見され、関連は確実になった。

 9.銅の巻物
 銅板で作られた巻物で、開くことができず、端っこから切り取っていく方法で解読が行われた。ここには、500キロの銀の入った箱とか金の延べ板とかそういうものの隠されている場所が記されているそうである。資金に困った一部の研究者が、この「お宝探し」をネタにしてスポンサーを捜したというエピソードもある。

 10.「神殿文書」
 いわゆるモーセ五書に基礎をおいた文書で、エルサレム神殿再建計画などの内容も含むものである。第十一洞窟というところから発見されたものなのだが、これを現地の古物商がガメていて、問題になった。「死海文書」に関して隠匿説が絶えないのも、じっさいにこういう事件があったからである。




 ところで、「死海文書」についてあーじゃこーじゃ話すまえに、補助的な知識を二つほど並べておこう。

 ひとつは、死海文書は「巻物」だったわけだが、これは当時の聖書としてはあたりまえのありかただった。この時代の聖書は、いまのように綴じられた本の形式ではなく、巻物として書かれ、読まれていたのである。旧約聖書のなかには、「サムエル記」・「列王記」・「歴代誌」など上下に分かれている「書」があるのはその名残りだ。長くなると巻物が長くなり、巻いたときに太くなって扱いにくくなるので、二つに分けた。それが現在の綴じ本の聖書にもそのままうけつがれている。いわば、一枚のフロッピーに入らない文書を分けて、二つの別々のファイルとして保存したのが、容量の大きいMOにコピーされてからも別ファイルのまま残っている――というようなものである。また、「歴代誌下」の最後のペルシアのキュロス(「口語訳」ではクロス)王の布告が、一部分、つぎの「エズラ記」の頭にでているけれど、これは「歴代誌下」と「エズラ記」が別々の巻物になっていたので、この二つが連続していることをはっきりさせるための目印としてなのだ。

 もうひとつ、現在の聖書に採られている文書以外にも、「聖書的な書物」はいくらでもあるということである。「書」の配列もふくめて、現在の聖書の内容が固まったのはかなり古い時代のことであり、二〇世紀に刊行された聖書もはるかイエス時代の前後に決められた内容をほぼ忠実に継承しているのだ。

 だが、聖書を編纂する過程で、さまざまな理由から「これは聖書に近い書物だけれど聖書には入れられない」とされた書物も存在する。いまの日本聖書協会の新共同訳に「続編」として入っている「書」もそうした文書の一部だ。これらの文書は「外典」とか「偽典」とかいわれている。なお、何を「外典」とし何を「偽典」とするかは、キリスト教界のなかでも見解の分かれている部分でややっこしいので説明は省略する(→【外典】)。

 こういう「外典」・「偽典」は旧約にも新約にもあって、新約に収録されていない「福音書」というのも存在する。また、現在まで残っていない(すくなくとも未発見の)重要文書として、福音書の中で「マルコによる福音書」と同じくらい古く、「マタイ」と「ルカ」の両福音書のネタ本となったといわれる「Q資料」と仮称される福音書もあったとされている。私は未見であるが、そうした「外典」・「偽典」を集めた書物も刊行されている。

 で、「死海文書」も、大きく見れば、そうした「外典」・「偽典」の一部と位置づけることができる文書なのである。




 ところが、いま知られている「死海文書」以外に、未知の文書が発見されたまま隠されていたり、ひそかに転売されているというような噂も絶えない。それは「神殿文書」のところで書いたような事情があったからだ。

 そうしたこともふくめて、この「死海文書」は、とりわけ神秘的な、あるいはいかがわしい、あるいは「トンデモ」な想像力の的になってきた。それにはいくつか理由があるようだ。それを私なりに整理してみると、つぎのような点が挙げられよう。

 (1)発見から公開にいたる経緯が不明瞭であること
 なにしろ、現地の羊飼いが発見したもので、「こういう洞窟から出てきたものは売り払うとなにがしかのカネになるかもしれない」という下心で売ったものだから、世に出たルートがはっきりしない。その後に同じような洞窟がいくつか発見され、そこから出土した文書も知られている。だが専門家自身が直接に発見したものはごくわずかしかない。なかには、上記の「神殿文書」のように、古物商が手許に持ったまま長い間隠していたものもある。同じように、古物商が、全体を持っていながら、いかにも貴重な「断片」に見せて値をつり上げるためにわざとちぎって売っていたなどという例もある。ともかく非常にややこしい経緯を経て世に出たものがあるのだ。これらの文書は、当地の古物商としてはたいした価値を感じることのできないシロモノであるのにたいして、買い取ろうとする学界側――とくにキリスト教徒の学者にとってはカネをいくらはたいても惜しくない高価なものであった。このギャップが、古物商や現地の人たちに文書を投機の対象と見させた原因になったのである。

 (2)ややこしい時期にややこしい場所で見つかったこと
 1947年のパレスチナ――当地はイギリスの委任統治終了にあたり、ユダヤ人国家の建設が認められるかどうかでもめていた。とくにベツレヘムやエルサレムはテロ事件などがあって治安が悪かった。この死海文書の価値に最初に気づいた一人であるユダヤ人学者は、当時は治安を理由にユダヤ人の行動が制限されていたので、鉄条網越しに文書を見せてもらったという。
 また、ユダヤ人国家、つまり現在のイスラエルが建国されたあとでは、イスラエル側が自分たちの文書としてこの文書に執着を示し、これに研究者が巻き込まれたという事情がある。研究者の側もユダヤ人国家に対して中立的な態度をとったとはいえなかったようだ。この発見地のクムランと、その研究の本拠がおかれていた博物館が、最初はヨルダンの支配下にあり、のちの「六日戦争」でイスラエルの支配下に移ったという事情もあった。

 (3)研究者の宗教的立場が偏っていると思われたこと
 カトリック信者の研究者が研究の主導権を握ったことで、ユダヤ教の信者や無神論者に疑惑を持たれたことがある。無神論者の研究者は、つぎに書く研究成果発表の遅れとからめて、研究者グループはなんらかの不正をやっているという疑惑を抱いた。また、1990年にも、カトリック信者だった研究グループのチーフが「ユダヤ人の存在そのものが不愉快だ」という趣旨の発言をして解任されるという事件も起こっている。

 (4)研究成果の発表が遅れたこと
 研究成果はもちろん、文書そのものの発表が遅れ、しかも研究グループはグループ外の研究者に文書を公開しなかった。それも、SFC(スーパーファミコン)のチャチャゲームが一年も出ないというのとは桁がちがって、死海文書の発見がSFCのチャチャゲームに数倍する「ビッグニュース」でありながら、何十年も公開されないままの文書があったわけである。
 そのため、「死海文書にはキリスト教にとってものすごく不都合なことが書いてあって、研究グループはそれを隠すためにナニかやっているのではないか」という疑惑が持たれた。研究グループのなかでその疑惑を指摘した無神論者の学者アレグロ自身の仕事が速く、他方、それ以外の研究者は公刊予定からはるかに遅れたペースでしか仕事をしていなかったことも、その主張に説得力を与えたのだろう。私が参考にした本(クック『死海文書の謎を解く』)はこの研究グループの立場に同情的で、その疑惑を拡大した非アカデミズム的ジャーナリズムに非難を向けている。
 だが、文書を独占的に持っているグループがその文書を公開しないばあいにはこのような疑いを持たれてもしようがないのではなかろうか? たとえばエイズ薬害資料が「出てこなかった」ことが厚生省にどんな疑惑を招いているかを考えてみよう。たしかに、近代史や現代史の分野ではいま生きている人のプライバシーにかかわる文書がある。だからある程度の非公開はやむを得ない。やむを得ないけれどそれでも「その文書には何か本人や家族に都合の悪いことが書いてあるのではないか」と疑われるものだ。近代や現代の史料でもそういう具合なのに、古代の文書で非公開を貫いて、しかもそれをたんに「研究者が多忙だったから」と言い抜けるのは、疑惑を招いてもしかたがない部分がある――というのが非専門家の私の考えだ。
 死海文書は、けっきょく1990年代になって、それも正規ルートでない流出ルートがもとになって公開され、研究グループはそれを「追認」するというかたちで消極的に認めたことになっている(このときの対応がまた研究グループの評判を落とした)。つまり、公式の研究グループの外での活動がなければ、この文書はいまだに公開されていたかどうかわからないわけである。

 まあ死海文書のアヤシさというのはそんなところに由来するのだが、さらに言えば、つぎのような「雰囲気」もそれを倍加させているのではないだろうか。  ――この文書が発見されたのがどこかのユダヤ教の会堂の屋根裏部屋とかいうのではなくて、まさに旧約の世界のまっただなかだったこと、「死海」―The Dead Seaというイカニモなコトバの魅力、そして洞窟に迷いこんだ異教徒の羊飼いの少年が第一発見者であること――これだけ条件が揃えば、この文書にアヤシイ魅力を感じないほうがどうかしている、という気分にもなろう。
 だれだってダンジョンのなかで古代の秘本を発見すればワクワクする。死の「海」のほとり、紀元後のローマ帝国軍の攻撃で滅びた古代宗教の拠点で眠りについていた古文書だ――それには、その後、二千年を経て堕落しきった現在のキリスト教世界を一気にひっくり返して世界を刷新するような力が秘められているかもしれない、いや、きっとそうにちがいない! だから、「悪の勢力」に支配された現代の正統学術界はそれを隠したまま公開しないのだ。これこそニャントロ星人の陰謀にちがいない!
 ――トンデモの想像力というのはどこでどう開花するかわからないものだ。
 ところで、断っておくが、死海文書隠匿説に立つ批判のすべてがトンデモなのではない。非トンデモのさまざまな立場からも、文書を公開しなかった公式の国際研究グループへの手厳しい批判は出されている。徹頭徹尾正統派の立場に立つクックの本でも、国際研究グループの仕事内容は擁護しつつも、その対応そのものは厳しく批判されているのだ。





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