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都会の星の手帖

清瀬 六朗



 現在のところ筆者の住まいは東京のまんなかへんにある。生活上、まあ便利で、「痛勤」に巻き込まれたりすることもない。食い物屋や商店街の店が早く閉まってしまうというのはちょっと困ったところだ。

 それともうひとつ、夜空が明るい。

 「光害」というやつで、街の照明が空に抜け、空気中に漂うほこりやこまかい水滴(かたまると霧になったり雲になったり雨になったりする)に反射して空を明るくしてしまっているのだ。

 私が某地方都市に住んでいたのは10年以上も前である。そこでは、天の川がきれいに見えるということはなかったけれど、それでも夜も更ければ暗い星までたくさんの星が見えた。いまより視力もあったのだろうが、プレアデス星団(昴)の星を7つ以上数えたこともある。

 その某地方都市も、バブルの時期に空がいっきょに明るくなって、いまではそんなに星が見えることはなくなってしまった。

 しかし、いま住んでいるところはそれよりなお空が明るい。空をぱっと見上げても、シリウスなどの明るい星と、明るい惑星たちが見えるだけで(しかも土星ぐらいに暗くなるともう目立たない)、オリオン座のように明るい星の多いものを除いて星座のかたちなんかわかったものではない。しぜんと星空を仰ぐということも少なくなっていた。

 その私の目をふたたび星空に向けてくれたのが、ヘール・ボップ彗星の接近であった。

 じつは私は1996年の百武彗星接近のときにはこの大彗星を見逃している。個人的に多忙な時期で心にも余裕がなかったことと、季節の変わり目で曇の日があいついだからだ。

 それで、今世紀最大といわれるヘール・ボップ彗星は絶対に見てやろうと思っていた。だが、この明るい空ではそれも叶わないだろうというあきらめの気もちもあった。

 ともかく、見えないなら見えないことを確かめてやろうと、ガイドブックを持って外に出てみた。すると、ていねいに星をたどっていけば、この彗星は見つかったのである。この空の明るい東京でもヘール・ボップ彗星はちゃんと見えていたのだ。それだけではない。ヘール・ボップ彗星探しのためにほかの星をたどってみると、一等星しか見えないとあきらめていたのはじつはまちがいで、晴れてさえいれば、三等星程度のほしならばちゃんと見えることに気づいた。

 もうすこし、星空に目を向けてみてもいいのではないだろうか? それも、望遠鏡とか赤道儀を使いこなす「アマチュア天文家」としてではなく、ただ、星空に関心を持っているただの天文ファンとして――ちょっとへんにきどった言いかたをすると「星空や天文現象に興味のある一市民」として。

 こう書いたのにはちょっとした下心がある。行政改革や官僚腐敗の問題で、マスコミには、あるいは選挙のときには、「市民」ということばが氾濫している。しかし、専門家としての技術は持たないけれど、何かの対象に関心を持ち、それについて自分で手のおよぶ範囲での知識を吸収し、情報を求めるというタイプの「市民」こそが、現在のこの国の社会には決定的に欠けているように思えるのである。しかし、そういう「市民」を欠いた近代民主主義がろくなものになるはずがない。

 まあ、あんまり星とは関係ないのだけど、そんなことも考えながらこのページを作ってみることにしました。

 (1997年3月17日)


<もくじ>



渡部潤一『ヘール・ボップ彗星がやってくる』
(本をめぐる雑談「温故知新」のページより。評者:清瀬)
 太陽系小天体研究の若手研究者にして、天「文学」者の渡部潤一さんによるヘール・ボップ彗星観望ガイドブックを紹介しました。



部分日食とヘール・ボップ彗星(清瀬)
(3月9日執筆、16日補筆)
 ベートーヴェンの3番交響曲「英雄」と日食の関係は……ってそういう話じゃなくってね。ちなみに「英雄」はナポレオンに捧げるつもりで作曲された曲だというのは有名な話です。ベートーヴェンの期待を裏切ったナポレオンも、ベートーヴェンも、1812年には、今回のヘール・ボップ彗星と同じような軌道を回る彗星を見ていたはずです。
 というわけで、ま、上に書いたようなことをこちらでも展開してみました。



国立天文台ホームページ(日本語目次)
 ヘール・ボップ彗星や百武彗星の画像や、天体をめぐる新しい発見の速報など、いろいろな話題が載っています。ぜひいちどご覧になってください。




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