第八話「霧」


 日本近海で、大型船舶の座礁事故が相継いだ。しかもそれは必ず濃霧の夜、何者か
による灯台の破壊が原因だったが、警視庁も海上保安庁も、犯人の手がかりをまった
く掴めないでいた。貿易大国日本にとっては生死に関わる問題だけに、一連の事件は
大きな社会不安を呼んでいた。
 こういう時には、必ず喜んでいる者がいる。例えばネオ・シャドウ基地では、アイ
ラムが意気揚々とキング・シャドウに報告を行なっていた。
 「カンデラ・モスの量産型有自我ネオシャドウ・ロボ、ルックス・モスの編隊によ
る灯台襲撃作戦は順調に効果を上げています。自我支配の強化による忠実な彼らの働
きは大したものです。」
 「だがアイラム、そろそろあの小娘が出て来てもおかしくない頃だ。策はあろうな。」
 「ご心配下さいますな、キング・シャドウ様。今までのような失敗は繰り返しませ
ん。」
 「お前の喋り方、だんだんザダムに似てきたぞ。同じ結末を招かぬようにな。」
 「はっ、恐れ入ります。」と黒衣の男に敬礼しつつ、アイラムは野望に目を輝かせた。
           ◇                ◇
 その頃マリは、とある岬の先端にある無人灯台へ続く道を歩いていた。彼女が光明
寺博士の研究所を出て来る前の博士の言葉が、繰り返し思い出される。
 「一連の破壊工作がネオ・シャドウの仕業なら、次に狙われるのは伊良我岬の灯台
だろう。今夜、その沖を大型客船メトロマリア号が通る予定になっているらしい。し
かも気象台の予報では、今夜、伊良我岬の沖合いは濃霧に包まれることになっている。」
 マリは、ほどなくその伊良我岬の無人灯台に辿り着いた。彼女が灯台の内部に足を
運ぶと、そこには灯台の機能を維持するための様々な自動装置類が並んでいる。
 マリは、それらの機械にゼラニウムの花を差し出し、とても親しげにささやいた。
 「今夜は絶対守ってあげる。だからあなた達の力も貸してね。この花の花言葉は、
友情。」 マリは、ただの自動機械に友情を感じる自分に、ひととき何か滑稽なもの
を感じた。小さく溜め息をつく彼女だが、すぐに別の想いが彼女の胸をよぎる。
 <こんな感じ方をするのは、相手が純粋に人の命を守るために作られた機械だから
だろうか…でも、だとしたら私にはこの機械達がとてもうらやましい…>
           ◇                ◇
 やがて夜が近づくと、マリは灯台の上に上がった。彼女が回転する反射鏡のまわり
の狭い足場の上で自分の胸を開き、中から小さな武器を二つ取り出す。それはマリの
姿の時は体内に格納され、従って今までは久しく彼女の体内で眠っていた、ビジンダ
ーレーザーの発射装置だった。マリがその装置のエネルギーコードを長く延ばして灯
台の強力な電源に接続し、二つの装置を両手に持って、銃の如く身構える。心の迷い
を振り切るように、
 「さあ、どこからでも来るがいい!」と中空に向かって叫ぶ彼女だった。
           ◇                ◇
 伊良我岬の周辺では、夜になっても霧が少しも発生しなかった。ネオ・シャドウ基
地でキング・シャドウが不満そうにわめき散らす。
 「人間の天気予報などあてにもならん。霧など出てこんではないか。」
 モニタースクリーンに映し出される岬の風景は夕日が鮮やかに映えて美しく、晴れ
渡る青空には一番星がささやかな輝きをともしていた。だがそれらの美を覆すべく、
アイラムが告げた。
 「ご心配されずとも結構です。人工霧ぐらい我々の科学力で簡単に作り出せます故
に。」
 岬の近くの海岸のそこかしこに、カンデラ・モスとほぼ同型のネオシャドウ・ロボ
、ルックス・モスが何体も隠れ潜んでいる。ルックス・モスが背中の羽根を拡げはば
たくと、まるで蛾の鱗粉のように得体の知れない粉末が空気中に拡散してゆく。アイ
ラムはキング・シャドウに言った。
 「ルックス・モスの羽根から出るルックスモーカーは大気から熱を奪って気温を露
点以下まで下げ、さらに自ら凝結核となり霧を発生させます。自然の霧をあてにはし
ません。」
 アイラムの言葉通り、岬の周辺から海に向かって、次第に濃い霧が立ちこめていった。
 「さあ、光をよけて近づくのだ。夜と霧とに身を隠して。」と黒衣の首領が命じる。
 濃霧と暗黒の中、次々と飛び立ち、ともり始めた灯台の光に近づいていくルックス
・モスの編隊。灯台の上にたつ者がただの人間なら、何にも気づくことはなかっただ
ろう。 
 「来たな…良心スコープ!」
 マリが気配を感じて右のこめかみを押した。霧にも夜にも関わりなく、彼女にはル
ックス・モスのピンク色の自我が見える。彼女が一つ一つの光点に向けて、正確にレ
ーザーを発射し、たちまち二、三体のルックス・モスが撃墜された。霧の中を走る光
線を見ながら、
 「やはり現れたな。だがどうやって標的を察知しているのだ。」とキング・シャドウ。
 「恐れることはない。行け、ルックス・モス、ミリバール・ヤモリ!」とアイラム。
 「ミリバール・ヤモリ?そのようなネオシャドウ・ロボがいるのか。」と問う首領に、
 「無自我型の伏兵です。今頃は活動を開始しているでしょう。ルックス・モスは囮。」
 「なる程、よく考えた。でかしたぞ、アイラム。」
 「そのお言葉、成功してからで結構です。」と、アイラムが自信満々な様子を見せた。
 マリがルックス・モス隊に気を取られている間に、もう一体別の、爬虫類型のネオ
シャドウ・ロボが灯台の下に忍び寄る。そのトカゲ型の怪物は、指先の吸盤を使って
灯台の垂直面をゆっくり、音もなく這い登り始めた。アイラムがキング・シャドウに
告げる。
 「ミリバール・ヤモリは陰圧吸盤で相手に吸い着き、共に自爆致します。不意をつ
きさえすれば、いかなる敵でも倒せます。むろん赤外アイで闇の中でも相手を見逃し
ません。」
 <いくら悪でも心は心。それを的にしなければならないなんて…>と嘆きつつマリは、
 「私にその資格があるかないかじゃないんだ。何千人もの命がかかっているんだ、
今は!」と、マリは伏兵の迫るのも気づかず、懸命に引き金を引き続けた。
 ルックス・モスも黙ってやられてはいない。手に持った銃、ルックスナイパーで足
場の悪いマリに集中攻撃をかけてくる。マリはたちまち肩に、足に銃撃をくらい、苦
痛によろめきながらも顔を上げ、陽動兵達に立ち向かっていった。そして彼らの銃口
の一つが、ついに灯台の回転反射鏡を狙った。マリがやむを得ず、レーザー発射装置
の片方を楯に差し出す。発射装置に弾が命中し、装置の爆発によってマリの手のひら
にもひびが入り、
 「うっ!」と彼女が苦痛に表情をゆがめる。
 <どんなことをしたって守ってやる…無言のまま撃ち墜とされるあなた達に較べた
ら、私の痛みなんか!>
 今戦っている相手の一体一体に、少しでも心を通わせあえる可能性があったはずな
のだと、マリは思った。同時に、ペーハー・セピアやデシベル・ゴリラの最後がしき
りに思い出される。だが、それらの想いとは裏腹に、彼女は残り少なくなった敵と戦
い続けた。
 「あと、二体…」と一基だけになった発射装置で戦うマリの足元近くまで、伏兵が
迫る。
 その二体が離れては近づき、交叉してはまた離れ、マリを惑わせながら接近してく
る。命中しないレ−ザ−に焦りを感じたマリは、思いきって撃つのを中断した。たち
どころに二条の銃撃が降り注ぐ。一条はマリの足元にはずれたが、もう一条はマリの
顔をかすめ、頬を焦がした。彼女が苦痛を乗りこえ、発砲のため空中停止した標的に
引き金を引く。相棒が被弾して驚くもう一つの標的に、マリはさらに引き金を引いた
。ついにルックス・モス部隊が全滅する。
 だがマリはもう一つ自我の存在を示す光の気配を背中に感じた。彼女が急に振り向
いて、
 「そこだ!」と真後ろに向かって最終のビジンダ−レ−ザ−の引き金を引く。
 しかし、その一瞬マリが見たのは、回転反射鏡に映った自分の自我の像だった。
 「今だ、ミリバ−ル・ヤモリ!」とアイラムが命じ、外に待機していた伏兵が襲った。
 放たれたレ−ザ−は反射鏡ではね返り、マリの胸に命中してしまう。さらに光線は
マリの体を貫通してミリバ−ル・ヤモリに命中し、マリと爬虫類型の怪物はそのまま
灯台の上から卍ともえに落下し、灯台の根本の暗闇に消えていった。どちらか一体が
爆発し、火柱が上がる。
 しばらくして、大型客船メトロマリア号が伊良我岬無人灯台の光に導かれ、無事に
沖を航行していった。その船員や乗客の中に、誰一人としてマリの行為を知る者はい
ない。
           ◇                ◇
 マリは、光明寺博士の実験室の作業台の上で意識を取り戻した。
 「ミサオ君達に運び込まれて来た君を見た時は、さすがにもう駄目かと思ったよ。
こんな大修理は久しぶりだ。」
 台のすぐ近くにいた博士がそう言って、マリに手鏡を渡した。
 「自分の顔でもよく見てみなさい。女性の顔の傷を治すのにはこれでも気を遣う。」
 頬の焼け跡も、他の傷と同じようにきれいに治っていた。マリはさらに手鏡を見つ
めて、灯台の回転反射鏡を思い出した。ミリバール・ヤモリに襲われる直前、一瞬か
いま見た自分自身の自我の姿は、どんなものだっただろう…だがマリにはそれが思い
出せなかった。
 すると、光明寺博士が不意に告げた。
 「マリ君、良心スコ−プで自分の姿を見てごらん。」
 「博士…」
 マリは光明寺博士の言葉にその意味を悟り、驚いたような顔をした。そして彼女は
、戦いの時とは違う、もうひとつの勇気を呼び起こすように深く息を飲み、少し時が
流れた。
 やがてマリが大きな決心をするような表情を見せ、右のこめかみを押す。彼女は黙
ってしばらくの間鏡を見つめ、緊張したおももちで左のこめかみを押した。光明寺博
士は、彼女の顔にいくらかの落ち着きが戻るのを待って語りかけた。
 「私たちと同じあり方をしているだろう。君はもう、立派な人間だ。」
 それは、ある意味では当然の結果であった。マリは元来善悪双方の心を持つ二重人
格ロボット、ビジンダーだったのだ。しかし、しかしマリには自分の中に熱いものが
こみ上げてくるのを押さえることができなかった。マリが、
 「博士、私…」と何か言いかけて口ごもると、博士は優しく、短く問いかけた。
 「何かね?」
 「私のしたこと、人間として間違っていませんよね…」と彼女が頼りなげに問う。
 光明寺博士は大きく、静かにうなづき、そして言った。
 「だけど、人間である限り、自分自身を何によって支えていくか、それは自分で見
つけなければならない。これだけは、誰にも手伝うことはできないんだよ。」
 「自分自身を、支えるもの…」
 マリは、自分の旅の果てしなさを改めて噛みしめるのだった。

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