第七話「恐怖」


 マリは博士との会話を思い浮かべつつ、街を歩いていた。
 「おいおい、人間をかいかぶらないでくれよ。完全な良心を持った人間などいない。」
 「そうなんですか…」
 「街を歩けばわかかるよ。」
 マリは歩道を歩きながら、そっと右のこめかみを押してみた。そして彼女はすれ違
い、あるいは追い越し、あるいは傍らの車道を車で通り過ぎて行く人々を見ては、深
い溜め息をつくのだった。
 すると、突然一台のパトカ−がけたたましくサイレンを鳴らして傍らの車道を走り
去って行った。そして何かとても緊迫した様子で、にわかにあたりを満たす人々のざ
わめきと叫び声がマリの聴覚系に届いた。マリが耳を澄ますと、
 「殺人犯が逃げたって?」と誰かが言っているのが聞こえた。
 マリは、パトカ−の去った方向に急いでみた。やがて、あるビルを取り巻く機動隊
員や警官達と、そのさらに周囲を取り巻く大勢の群衆が見えてきた。人々の目は皆そ
のビルの屋上に注がれている。人々にまぎれて屋上を見上げるマリの目には、ビルの
上の二人の人影が見えた。ビルの下に停車したパトカーからは、制服姿の警官がマイ
クを持って、、
 「すぐに人質を解放して降りて来なさい!」と叫んでいる。
 犯人らしい人影の頭の部分は、マリの目にはほとんどピンク色の塊に見えた。それ
でも微妙な良心の呵責とでもいうのか、スカイブル−のきらめきが絶えず現れては消
えていく。
その犯人は何か次々にわけのわからないことを叫びながらもう一人の人影に刃物を突
きつけ、彼はますますスカイブル−のまたたきを速めていく。しばらくの間、マリに
はその様子を固唾を飲んで見ているしかなかった。
 そして、逆上した犯人は、ついに人質を道連れにビルから身を投げた。マリは意を
決して、人々の見ているのもはばからず全力で空高く跳躍した。彼女が空中で人質の
体を受け止め、ビルの窓枠につかまって静止し、救出した人質と一緒に窓から建物の
中に入り込んで、ほっと胸を撫で下ろす。
 だが、マリは人々のどよめく声に導かれ、路上を見下ろして、自分の行為の裏の結
果を見い出し、絶句した。
 犯人は、地面のコンクリ−トの上に落下し、鮮血にまみれて即死していた。 
 「私って…私って…」とマリが声を震わせる。
 マリはそう言ったきり、がっくりと床に膝まづき、言葉を失った。
 彼女は震える手で顔を覆い、自分の身を支える力すらなくしたかのように体を崩し
、辛うじて両手で肩を支え、そして何度も激情のあまり床を叩いた。
 警官や医師達がそこに駈け上がって来た時には、もうマリの姿は消えていた。
 マリはいつの間にか人々の間をくぐり抜け、人の気配のない場所を探して走り回っ
た。街を抜け、近くの川に沿って、そしてその広い川原の中へと。そして心の中で叫ぶ。
 <私は、私は、私が怖い、恐ろしい!>
 かつてこれ以上の恐怖を感じたことはない、マリはそう思った。小さな弱い生き物
が、大きな獣に追われて逃げ込んだ時のように草むらの中にうずくまり、夜遅くまで
マリはただひたすら脅え続けた。
 深夜になって、マリは光明寺邸に戻って来た。出迎えた博士はマリの姿を見て思わ
ず駈け寄り、肩を支えずにはいられなかった。
 マリは、やつれきっていた。今まで幾度も様々な困難に出会い、耐え抜き乗り越え
て来た彼女だったが、これ程までに衰弱し、消耗しきって見えたことはなかった。博
士はマリをソファ−に寝かせ、意味がないとわかっていながら毛布をかぶせてやり、
ひとまず、
 「世間に人間技でないことをする者が現れるといつもうちに問い合わせが来るのだ
がね、とりあえずわからないと答えておいたよ。」と告げた後で、彼女に穏やかに言
い聞かせた。
 「状況を直接見た訳ではないが、おそらくいくら君でも二人とも助けることはでき
なかったと思うよ。必要悪は悪ではない。」
 「でも…私は…自分でも気づかないうちに、ピンクとスカイブル−の比率でどちら
を助けるか決めてしまいました。一体、私のどこに、そんな権利があるんですか!」
 マリが、毛布の中に顔を隠して、震える声で嘆き叫んだ。その様子は、光明寺博士
でさえ、かつてこれほど人間的な姿の人造人間がいただろうかと思えるものだった。
 「君の行為は当然だ。正当でもある。誰が君の立場でも同じことをしただろう。」
 そこまで言って博士は言葉をやめた。どんな正論でも今の彼女には屁理屈でしかない。
どんな言葉をもってしても彼女を慰めることはできないのだと、博士は気づいたのだ
った。
 「私も、あるいはイチロ−も、君にとってはザダムと変わりがないのかもしれんな
。激痛回路と核爆弾、そして良心回路、そして感応型良心回路に良心スコ−プ。君は
いつも何か体につけられる度に苦しみの十字架の数を増やしてきた。」
 その時、隣の書斎から電話の音が聞こえてきた。光明寺博士はマリを残して書斎に
移り、今どき古風な黒塗りの電話の受話器を取った。 
 「昼間の事件のことですか。さっきマスコミから問い合わせがあっておおかたの話
は聞いていますが、確かに人間技ではないですね。」
 その電話は、警察からのものだった。
 「それで、先生に何かお心当りでもありましたらとお電話させて頂いたのですが。」
 「そうですか。いえ、私の方では特に何も。むしろ何かわかりましたらご一報頂き
たい方ですね…いえ、お役に立てなくて恐縮です。」と、受話器を置く博士だった。
 光明寺博士が部屋に戻ると、マリの姿は消えていた。そこへ廊下を隔てた実験室か
ら機械の音と、女性二人が激しく言い争うような声が聞こえてきた。
 ミサオと、マリの声だった。
 「マリさん、あなた何てことすんのよ!」
 「放っておいてください、私はこうでもしないと。」
 博士が跳び込むと、マリとミサオはうなり続ける電気ドリルを奪いあっていた。
 「博士、マリさんが自分の目を潰そうと…」とミサオが博士の顔を見て慌てて告げる。
 博士は急いでドアの脇の配電盤の電源を切った。ドリルの回転が止まる。ミサオが、
 「マリさん、一体何考えてんのよ!」と、思わずマリの頬を打つ。
 「ミサオさん、自分が許せなくなったことって、ありますか…自分が認められなく
なったことって、ありますか…」と言ってドリルを床に落とし、マリはミサオにすが
りついた。
 「自分は一人しかいないんだよ。許さないとか、認めないとか、そんなのないだろ
。何があったか知らないけどさ、あんたの程きれいな目も珍しいんだ、大事にしなく
ちゃ。」
 自分にもたれかかったままのマリにそう言いつつ、ミサオは心打たれるものを感じた。
 <この人の体、こんなに小さくて軽かったんだ…こんな体で今まであんなにいろん
なことを…そして、きっとこれからもね…>
 マリの激情が天にも届いたかのように、夜空に繰り返し稲妻が走り、雷鳴が光明寺
邸の周りに響きわたる。中でもひときわ大きな雷が、邸のすぐ近くに落ちた。その閃
光に思わず身をすくめながらミサオは、そして博士は、窓のカ−テンに不気味な輪郭
を持った陰影が映し出されるのを見て息を飲んだ。
 それは、昆虫型のネオシャドウ・ロボの影に他ならなかった。ミサオが、
 「マリさん、ネオシャドウが!」と叫び、マリは悲しみをこらえつつ顔を上げた。
 再び稲妻が走り、カ−テンにまたも映ったその影に、マリは矢の如く外へ飛び出した。
 「マリさん、あんたって人は…」とつぶやくミサオだった。
           ◇                ◇
 「俺はネオシャドウ・ロボ、カンデラ・モスだ。」
 キング・シャドウの前では沈黙していたそのネオシャドウ・ロボは、マリに対して
はなぜか口をきいた。マリが、
 「私はあなたのように自我を持ったロボットとは戦いたくありません。」と訴えると、
 「俺は兄弟達の仇を討ちたいのだ。カンデランサ−!」と、怪物が頭の触覚を引き
抜く。
 カンデラ・モスが両手に持った二本の触角がビ−ムを伸ばして二振りの光線剣とな
り、激しく斬りつけられたマリの体が、荒れ狂う獅子の鼻先を飛び回る蝶の如く宙に
舞う。
 「なぜマグニチュ−ド・ナマズを殺した!」と、怪物が真上から垂直に剣を振り降
ろす。
 「炎の中の親子を救うためです!」とマリが身をかわし、怪物の左手めがけて矢を
射た。
 片方の光線剣が怪物の手から弾かれて地面に落ち、マリがそれを素早く拾い、身構
える。
 「なぜペ−ハ−セピアを殺した!」と怪物が目を赤く輝かせて剣を斜めに振り降ろ
した。
 「自然の汚染をくい止めるためです!」と跳び離れるマリに、光線剣が振り向けら
れる。
 その剣の光が青く長い光の帯に変わり、マリの手に握られた剣に鞭の如く巻きついた。
 「なぜデシベル・ゴリラを、ホ−ン・ゴリラを殺した!」と怪物が剣を引きつつ叫ぶ。
 「あれは私の本意ではなかった!」と叫び、マリはいきなり怪物の胸中に跳び込んだ。
 怪物が慌てて剣を鞭から刃に戻し、マリの剣を受け止める。素早く離れるマリに、
 「すべて偽りだ。お前は自分を守っただけだ!」と怪物は激しく横切りに斬りつけた。
 青い閃光を身軽にかわすマリだが、その動きにも少しずつ疲れが見え始める。彼女は、
 <このままではいつかはやられる。でも、このロボットを破壊してしまいたくはな
い。せめて、電子頭脳をかわして攻撃できれば…>と心の中で苦しみ悩んだ。
 「そうだ!」と、マリはふとあることに気づいて、自分の右のこめかみを押した。
 それは、自我を宿した電子頭脳の所在を知るための行為だった。だが、マリの目に
はスカイブル−も、ピンクも、どちらの輝きも、相手の体のどこにも見えはしなかった。
 マリは初めて、アイラムの計略を知った。そして、彼女の体が怒りに震えた。
 <こいつには自我なんかないんだ…私を混乱させるための、ただの喋るリモコン!>
 マリが一気に攻めに転じる。彼女の剣が稲妻の如く冴えわたり、両者が激しく切り
結ぶ。
 「皆の死を何だと思っているの!」とマリはカンデラ・モスの剣を右手ごと切り落
とし、
 「私の苦しみを、何だと思っているの!」とたちまち斜め十字斬りでとどめを刺した。
 破壊されたカンデラ・モスのボディから、壊れたテ−プレコ−ダ−の如く、
 「なぜ、殺した…なぜ、殺した…なぜ、殺した…」と、意味のない音声だけが続いた。
           ◇                ◇
 「本物の自我を持たせては、また余計なことを考える。ネオ・シャドウマンのよう
な単なる無自我型のロボットではあの娘の心を乱すことは難しい。良い考えと思いま
したが。」
 「まあよい、何か新しいファクタ−が加わったようだ。対応策はあるか。」
 「は、ただ今カンデラ・モスを量産化中でございます。」
 キング・シャドウの問いかけに、とりあえずそう答えるアイラムだった。
           ◇                ◇
 数日後、マリはミサオに絵を描くことを勧められた場所にやってきて、自分の意志
で再びカンバスに向かった。そこに現れたミサオが、マリの絵を見て仰天する。
 「マリさん、何これ一体!」
 「これで良いんです。これが私の絵なんだと、知りました。」
 まるでペンキでも塗るように、あのありのままの絵をマリはスカイブル−一色で塗
り潰していた。良くも悪くもありのままの世界に、かくの如くあれとの祈りを込めて。

第八話へ

目次へ戻る