第六話「絵」


 一人のうら若く美しい女性が、光明寺博士の私邸の近くで山に向かってカンバスを
組み、一心に絵筆をふるっていた。ベレ−帽を斜めに浅くかぶったその後姿は、一見
すると一人前の女流画家そのものである。
 だが、そこに二人の男の子が騒々しく現れるや否や、その場の雰囲気は一変した。
二人が交互に彼女の絵を不遠慮に覗き込み、口々に文句をつける。
 「駄目だこりゃ。」
 「俺達だってもっとましなの描けるよ、ミサオ姉ちゃん。」
 「うるさいんだよ、アキラ、ヒロシ。」
 その女性、ミサオはかしましく二人をこづくふりをした。
 美しい女流画家のイメ−ジが壊れることなど気にもしていない。そんないつも通り
のミサオが嬉しいらしく、二人の旋風児は逃げるふりをして楽しそうにミサオの周り
を駈け回った。
 だが、そうして騒々しくなった光景が、また突然静けさを取り戻した。ある人物が
姿を現わし、ミサオ達三人がそれに気づいて、その人物の物静かな存在感に気おされ
たのだ。
 「マリさん…」と、三人が口を揃えて言った。
 「ミサオさん、私に用事って、一体何ですか?」
 その場に現れたマリが、彼女独特の奇妙に深刻そうな様子で尋ねた。ミサオが、
 「そうそう、実はね、あんたと一緒に絵を描いてみようと思ってね。」と告げる。
 「私と…絵を…」と緊張して変に間延びしたような独特の口調のマリに、ミサオが、
 「どう?道具一式貸したげるからさ。」と、やれやれといった顔つきで問いかけた。
 「でも、私、絵なんか…」と、マリが必要以上に間を置いて言う。
 マリの日本語の話し方というのは、まるで地方出身の駈け出し女優がいきなりテレ
ビのレギュラ−番組にでもあてがわれた時の様にたどたどしく、変に浮いていて、お
世辞にも立派とは言い難い。しかしそれ故に一語一語に懸命さがにじみ出ていて、時
には拙なさと必死で戦おうとする勇気すら感じさせる。ミサオもアキラもヒロシもそ
んなマリの言葉が大好きなのだった。まさにマリの言葉だと思っていた。
 「そう言わずにさ、ほら。」とミサオがいきなりカンバスを台からはずして裏返した。
 その裏側には、手回しよくマリのために別の画布が貼ってあった。ミサオはマリに
パレットを押しつけ、一方的にカンバスに向かわた。マリははじめ少しためらったが
、やがて、
 <私の画像追跡装置の解像力なら、人の描く絵ぐらい…>と、絵筆を握ってみた。
 「それでは、少しだけ…」と、マリがとりあえずゆっくりと筆を動かし始める。
 マリは、まず風景を二、三秒見たかと思うと、後はただカンバスにひたすら絵筆を
走らせた。穏やかな筆の動きがみるみる早まり、寸分の迷いも狂いもなく様々な比率
で絵の具が混ぜ合わされ、みるみる線や点となって画布の上に配されていった。作業
を続けながら、
 「ミサオさん、光明寺博士に頼まれましたね。」とマリが呼吸の乱れ一つなく問う。
 「なあんだ、お見通しだったの。うん、慰めてくれってね…」とミサオ。
 「私は博士の行為をいつまでも怨んではいないと伝えてください。私が博士のお考
えをすべて知っている訳ではないから、と。」とマリが口は穏やかに、手は激しく動
かした。
 「でも自分で伝えたほうがいいよ。博士もマリさんに何か用事があるって言ってた
し。」
 「博士が?何でしょう。」と言いつつ、マリは何か悪い予感を感じた。
 「わかんないけど、何かまた新しいものを作ったみたい。」
 マリは、ミサオの言葉にさらに不安を感じるのだった。
 そこまで言ってマリの絵を覗き込み、ミサオは思わず息を飲んだ。
 ミサオは、まるで写真かと思った。風景そのままの像がカンバスの上に見事に描写
されている。僅かな時間でどちらが本物かわからないほど精密な描写がされていた。
ミサオは、
 「マリさん、お見事…」と言ったきり、言葉を失ってしまうのだった。
           ◇                ◇
 その日のうちに、ミサオはマリを知り合いの画家のアトリエに連れて行った。彼女
が画家にカンバスに貼りつけたままのマリの絵を見せて、自分の絵でもないのに自慢
げに言う。
 「先生、この絵を見てください。このマリさんが描いたんですよ。見事な絵でしょ
う。」
 「ほう…」と絵をひとわたり見回して、その画家はむしろ表情を曇らせた。
 「確かに、風景を写したものとしては正確なんだろうが、裏に描き込まれているも
のがないね。描いた人の人間性というか、魂のようなものが欠けている。これは、絵
の具で作った写真だ。人の描く絵とは言えないんじゃないかな。」
 画家の評は、ミサオの意図から大きくはずれるものだった。それを聞いたマリが黙
って唇を噛みしめる。その様子に、ミサオは後悔した。
 画家は二人に返そうと何気なくカンバスを裏返し、たまたまそこに貼られたままだ
ったミサオの絵を見つけた。彼はそれを改めて眼の前に引き戻し、一瞥して声を上げた。
 「ふむ、なるほど!」
 画家が途端ににこやかに、愉快そうにし始める。
 「これはいまのと同じ景色かね?」と聞かれてミサオは気まずそうに答えた。
 「え、ええ…あの、笑わないでくださいよ。その絵を描いたのは…」
 「君だろう?一目でわかったよ。さえぎるもののない解放感というか、底抜けの自
由さというか、ミサオさんらしさが見事に描かれている。いわゆるうまい絵ではない
が、私としてはこちらを褒めたいね。いや、見事だ、うん。」
 画家が何度もうなずいてその絵を見返す。ミサオは喜ぶわけにもいかず、複雑な気
持ちでマリと一緒に彼のアトリエを後にした。
 「ご免ね、マリさん。かえって悪いことしちゃったみたいで。」
 「いいんです。自分が何者かぐらい、わかっているつもりですから。」
 マリはそう言ってどこからか一輪のダリアの花を取り出し、ミサオに渡して言った。
 「この花の花言葉は、感謝です。」
           ◇                ◇
 マリはその足で光明寺博士のもとを訪ねた。博士は書斎の机の上を大きく占領した
コンピュ−タ−に向かって、何か膨大なデ−タの整理に取り組んでいた。マリが、
 「また、私の記憶回路からのデ−タの分析ですか。」と書斎に入るなり問いかける。
 「うむ、イチロ−やジロ−のと違って、シャドウで作られた君の電子頭脳には私に
もわからないことが多いからね。君の頭の中から定期的にコピ−して取り出す思考と
行動の記録の分析が今の私の研究のメインテ−マだ。」
 「それがイチロ−さんやジロ−さんより私が博士の近くに置かれている理由でした
ね。」
 「ああ、人造人間を作るばかりがロボット工学者の仕事ではない。君達の心理を分
析し理解することは、人造人間ばかりでなく人間の心理のシミュレ−ション研究とし
ても貴重な研究だ。これから生まれてくるすべての人間、これから作られるすべての
人造人間のための世作りの準備だよ。お互い苦しいけれど、次の時代を生み出す陣痛
だと思って耐えようじゃないか。」
 実際、その仕事は光明寺博士にも相当なストレスの源らしく、博士の手元の灰皿に
は煙草の吸いがらが山と積み上げられ、今にも崩れそうだった。マリが吸いがらの始
末にかか
ると、
 「ああ、ありがとう。崩さないようにね。それからついでにもう一つ頼みがあるん
だが。」
 博士が言いにくいことを灰皿にかこつけて切り出そうとしているのが、マリには手
に取るようにわかった。
 「何ですか、ご遠慮なく。」
 「実は、感応型良心回路に加えてもう一つ、君の体に取りつけたいものがあるのだ
が。」
 「今のありがたいお話は、そのためですね。」
 マリがどこか困ったような微笑みを浮かべて問い、博士もまた、苦笑いをせざるを
得なかった。
           ◇                ◇
 ホーン・ゴリラの襲撃に遭った後の修理の後も生々しい光明寺博士の実験室の中央
に、まるで手術台のような作業台が置かれている。それを真上から照らす無影灯の光
が消えると、台の上にあお向けに横たわっていたマリが起き上がり、白衣姿の博士に
問いかけた。
 「それで、結局私に何を取りつけたのですか。」
 博士は、眼科医が手術用に使うものとまったく同じ型の顕微鏡を片づけながら答えた。
 「良心回路と画像追跡装置の両方を利用した、良心スコ−プだ。」
 「良心、スコ−プ?」
 「右のこめかみを押してみなさい。」
 マリがそうすると、彼女には目の前の博士の頭の上半分、大脳のある部分がスカイ
ブル−とピンクの二色に複雑に塗り分けられて見えた。しかもその二色の割り合いと
配置はごく短い時間のうちにも刻一刻と目まぐるしく変化していく。
 その二色は、かつてのマリ自身であるビジンダ−の体を染め分ける色だった。マリ
の姿でいる時は、スカイブル−が主な色となる。彼女の脳裏に、ふとひらめくものが
あった。
 「次は、左だ。」と言われ、マリが左のこめかみを押すと、博士の姿は元に戻った。
 「博士、これはもしかしたら…」
 「そう、相手の自我の存在とそのあり方を知るシステムだ。良心に従う部分はスカ
イブル−に、邪心に従う部分はピンクに見えるよう、設計してある。善悪の判断は一
応現代のコモン・センスに従ったつもりだ。つもりだから、かなり怖いことだがね。」
 一見こともなげな光明寺博士の説明に、マリは小さく息を飲んだ。だが驚くべきこ
ととはいえ、そんなことが実際に可能なのかという疑問は起きない。相手はあの良心
回路の発明者なのである。
 「それと、時代の価値観の変化に対応できるよう、かなりの可塑性を与えてはある。」
 「つまり、普通の良心回路の判断とあまり違わない目で相手を見るという訳ですね。」
 「おおざっぱにはね。もっと表示色を濃くしたかったんだが。キカイダ−・カラ−
でね…省エネで淡くしたらビジンダ−・カラ−になってしまったよ。」
 そう言って笑う光明寺博士に、マリが真剣な表情で言った。
 「SF小説にはよく、機械が人間を裁く話があります。最後は皆、不幸になって…」
 「君の言いたいことはよくわかる。君がそれを超え得るかどうか、大実験だよ、こ
れは。」
 「でも私にはわかりません。博士は素晴らしい方だと思うのですけど、今、博士の
頭の中にもピンク色が。」
 「おいおい、人間をかいかぶらないでくれよ。完全な良心を持った人間などいない。」
 「そうなんですか…」と意外そうに首をひねるマリに、博士は一言つけ加えた。
 「街を歩けばわかるよ。」
           ◇                ◇
 その頃、ネオ・シャドウの本部基地では、アイラムが触覚と羽根と複眼を備えた昆
虫型のネオシャドウ・ロボを従えてキング・シャドウの前に姿を見せていた。アイラ
ムが、
 「新型のカンデラ・モスでございます。」と言うと、キング・シャドウが問いかけた。
 「ほう、ドクガをモデルにしたのか。お前はどんな力を持っているのだ?」
 だが、カンデラ・モスは黙したまま、一言も語らない。キング・シャドウは怒って、
 「どうした、なぜ黙っている。ネオ・シャドウの支配者たるわしが問うておるのに。」
 「キング・シャドウ様、それがこのカンデラ・モスの最大の特徴なのでございます。」
 そう告げる悪魔のような人造人間の目には、今度こそはという野心の輝きが感じら
れた。

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