第四話「非情」


 霧のかかった森の中を、マリが歩いている。木もれ日が霧を照らして幾条もの美し
い平行線を描き出し、うつむき加減な彼女の悲しげな横顔を様々に照らし出していた。
 彼女にガサゴソと落ち葉を踏み分けて近づく、何者かの影があった。間近にその気
配を感じて顔を上げるマリの目の前に、気配の主が霧のカーテンをかきわけて現れる
。マリが、
 「ネオシャドウ・ロボ!」と、そのゴリラに似た恐ろしげなロボットの姿に身構えた。
 「待ってくれ、俺はあんたと戦いに来たんじゃない!」
 「どういうことですか?」
 「逃げて来たんだ。ネオ・シャドウが嫌になってな。」
 「何ですって?」と、マリはその怪物の意外な言葉に眉をひそめた。
           ◇                ◇
 ネオ・シャドウ基地ではキング・シャドウの前へアイラムが呼び出されていた。
 「キング・シャドウ様、何のご用でしょうか?」
 「アイラム、今ネオ・シャドウマンから報告を聞いた。デシベル・ゴリラが脱走し
たそうだな。ネオシャドウ・ロボの自我はすべからくお前の支配下にあるはず。それ
がなぜだ。」
 「キング・シャドウ様、すべてはあの娘を罠にはめるための策。その席で楽しみに
結果をお待ちください。今頃はデシベル・ゴリラのパートナーであるホーン・ゴリラ
が出動していることでございましょう。」
 「しかし、デシベル・ゴリラとホーン・ゴリラは合わせて一つの自我しか持たぬ双
子ロボット。一方が脱走したとなれば。」
 「ホーン・ゴリラはすべてこの基地からリモコンで操つる、単なる遠隔操作機械と
して改造してあります。便利な駒となることでしょう。」とアイラムは冷酷な笑顔を
造った。
           ◇                ◇
 マリはデシベル・ゴリラを光明寺博士の研究所に運び込んだ。光明寺博士はデシベ
ル・ゴリラを見て大変驚いたが、マリの熱意に促されて、とりあえずそのネオシャド
ウ・ロボの内部構造を調べることにした。一通りの調査が終わった後で、まだ体の随
所に多数の電極やコード類を接続されたままのデシベル・ゴリラが、光明寺博士やマ
リに問いかける。
 「これで俺を信用してくれるんだろうな。」
 「一応は信じるが、君の電子頭脳には二つ程不明な点がある。尋問してもよいかね。」
 「何でも聞いてくれ。しかし俺も俺自身の頭の中のことをすべては知らんぞ。」
 「それはこのマリ君とて同じだ。さて、まず君の人工自我システムだがどう見ても
独立した自我を形成するには回路数が少ない。別に一体、君の分身がいるのではない
か。」
 「よくわかるな、その通りだ。俺には俺の位置を探知することのできる弟分がいる。」
 「その弟分は今どこにいるの?」
 「わからん。アイラムの手で眠ったような状態にされているらしく、意識に応答が
ない。」
 「アイラム?ネオ・シャドウの幹部か何か?」
 「ネオ・シャドウの支配者、キング・シャドウの第一の部下で、ネオシャドウ・ロ
ボの統括者たる人造人間だ。」と言うデシベル・ゴリラの体からコード類を引き抜き
ながら、
 「キング・シャドウと、アイラムか…」とマリがつぶやく。
 「もっと喋ってもらおう。そうすれば君をもっと信用できる。」と光明寺博士。
 「よかろう、だが俺達は決して多くのことを知らされてはおらん。特に首領である
キング・シャドウのことはな。アイラムに関しては旧シャドウのザダムの記憶回路を
受け継ぐ者と聞かされている。」
 「ザダムの…それなら私のことは何もかも知り尽くされているはず…」と驚くマリに、
 「今の君の心の奥までは覗けない。君はもうとっくの昔にシャドウのビジンダーで
はなくなっているんだ。」と慰めの言葉をかける光明寺博士だが、マリの心には届か
ない。
 「博士、イチローさんを作った人らしい言葉ですね。でも…」
 「君はもっと自分のすばらしさに気づくべきだよ…さてデシベル君、君の電子頭脳
支配についてだが、君の自我の上位に別の支配系統が配されている。」
 「何だと?そんなこと、俺は何も知らされていないぞ。」
 「そうなのか…あるいは遠隔操作の疑いもあるが。」
 「頼む、そんなものは俺から早く取り除いてくれ。」
 「それが、君の電子頭脳の様々な領域に非常に広域に、複雑に組み合わさっていて
、いくら私でもうかつには取り外せないようになっている。」
 「何ということだ、俺はあくまでも俺でいたいのに…」
 口惜しがるデシベル・ゴリラに憐憫のまなざしを向けながらも、マリは博士に言った。
 「それがわかった以上、ここにデシベルを置いていては危険です。」
 「しかし私も言ってみれば医者のようなものだ。都合で患者を放り出す訳にもいか
ん。」
 「博士のお気持ちは私達にはとても嬉しいものです。しかし…」とマリが言った時、
 「兄貴、やっと探し当てたぞ。」という恐ろしい声が、突然どこからか聞こえた。
 それに続いて、研究室に大音響が轟く。デシベル・ゴリラと同じ形のロボットが一
体、壁をうち破って現れ、マリは部屋中に舞い上がる土煙の中、突作に光明寺博士を
かばった。
 「来たのか、ホーン・ゴリラ!」と叫ぶデシベルに、博士が一瞬疑問の目を向ける。
 「兄貴、ゆっくりと話し合いたい。兄弟同士だけでな。」
 「よし、場所を変えよう。ついて来い。」と両者はマリ達の止める間もなく出て行
った。
 「マリ君、彼らを追うんだ。ホーン・ゴリラに独立した自我があるのはおかしい!」
 博士がそう叫ぶまでもなく、マリは二体の兄弟ロボットを追って外に駈け出していた。
           ◇                ◇
 デシベルとホーン、二体のゴリラ型ロボットが、研究所近くの山中で向かい合う。
 「兄貴、アイラム様からの伝言だ。二人であの小娘を殺れば特別に帰参を許すとな。」
 「そうか、所詮ネオ・シャドウの支配系統から抜け出せないとすれば…」
 デシベル・ゴリラが、弟の言葉に心を動かされたらしく、迷いを見せる。その耳に、
 「駄目です。そのロボットにだまされては。」と木々の間からマリの声が届いた。
 「共通の自我を持っているあなた達がわざわざそうやって話をする。おかしいと思
いませんか。」と問いかけつつ、マリが木の幹の影から姿を現わす。
 「アイラム、作戦に無理があったようだな。」
 その様子をモニターで見ていたキング・シャドウが言い放った。
 「いえ、作戦は順調に進んでいます。罠が発動するのはこの次です。」とアイラム。
 「そうか…こんな簡単な事が何故にわからなかったのだ…」
 マリは苦しむデシベル・ゴリラをかばって、ホーン・ゴリラの前に躍り出た。
 「デシベル、残念だけど貴方の思念はアイラムの思い通りに操られてしまっている
ようですね…さあ来なさい、ネオ・シャドウのリモコンロボット!」
 「ゴリランチャー!」
 ホーン・ゴリラが左腕に装備されていたロケットランチャーを発射する。マリがブ
ラウスの裾から黄金の矢を放ってロケット弾を射落とすと、ホーン・ゴリラの口から
別の声で、
 「やるものだな、しかしデシベルをかばっては充分戦えまい!」と脅しの声が響いた。
 「その声はホーン・ゴリラじゃない…あなたがアイラムですね!」
 ホーン・ゴリラが小型ロケット弾で攻撃を続けるのを巧みに避けて、マリが鋭く問う。
 「そうだ、私がネオシャドウ・ロボの統括者だ。やれ、デシベル・ゴリラ。」
 アイラムが、脱走者のロボットにまで絶対命令を投げかける。するとデシベル・ゴ
リラがいきなりマリに背後から組みつき、彼女の体の自由を奪った。
 「デシベル、目を醒まして!」と悲痛に叫ぶマリを、ホーン・ゴリラが今度こそと
狙う。
 「無駄だな。死ね!」とホーン・ゴリラはロケットランチャーを発射した。
 デシベル・ゴリラの体の直前でロケット弾が爆発する。しかしそこには、マリの姿
はなかった。一瞬早く宙に身を躍らせて逃れていたのだ。爆発の衝撃を受け、吹き飛
ばされるデシベル・ゴリラに、アイラムが怒ったようにホーン・ゴリラの口を用いて
問いかける。
 「デシベル・ゴリラ、なぜマリを放した!」
 「俺は、俺でいたい!」
 「そうはいかせぬ、どうだ!」
 アイラムの声と共に、デシベル。ゴリラはかつての音波笛にさらされたジローのご
とく、頭を抱えて苦しみ出した。息を飲んで見守るしかないマリに、ホーン・ゴリラは、
 「破壊ホーン!」と左右両胸のドラムを叩いて、破壊音波を発射する。
 マリが、激痛回路の洗礼を受けたかのように苦しみ出す。アイラムはデシベルにさ
らに、
 「デシベル・ゴリラ、お前も破壊音波を出せ!」と絶対命令を突きつけた。
 「いやだ、いやだ!」と苦しむデシベル・ゴリラの姿が、マリの瞳に映る。
 「守らなければ、絶対に守らなければ!」とマリの意識ぎりぎりの情動がこみ上げた。
 その時、デシベル・ゴリラは突然立ち上がり、マリを挟んで弟の反対側に立ち、そ
して、
 「破壊デシベル!」と胸のドラムを始動させた。
 マリは自分が破壊されるものと思った。しかしその途端破壊音波はピタリとやみ、
逆にデシベル・ゴリラとホーン・ゴリラの体がバラバラに砕け散る。言を無くして立
ちすくむマリの前に光明寺博士が姿を現した。博士がマリに言う。
 「デシベル・ゴリラはホーンの正弦波と2分の1波長ずらした正弦波を発したんだ
。中間にいた君は音波が相殺されて助かり、両端にいた二体は相手の音波で破壊され
た。」
 「デシベル・ゴリラは私のために自殺したのですか?」
 「そうとも言える。だが残念ながら、これをもって自由意志の勝利とは言えん。」
 「前にもこれと同じことがありました。」
 マリが、マグニチュード・ナマズの最期を思い出しながら言った。
 「そう。私が君の良心回路を改造したためだ。今の君のそれは感応型良心回路とで
もいうべきものになっている。君の電子頭脳の許容量一杯の保護衝動が生じた時、そ
れは君の良心回路を介して他のロボットの電子頭脳に影響を与え、君自身や君の保護
の対象を守るべく作用する。君はあらゆるロボットを善に目覚めさせる天使になれる
はずだった。」
 「でも、デシベル・ゴリラもホーン・ゴリラも死んでしまった…」
 「君と保護対象の存在が対立する時は、君の方を優先するように設計した。必要な
事だ。」
 「ひどい…どうして私をそんな物に…ギルを殺したハカイダーの気持ちが今、私に
は良くわかるような気がします。」
 マリはそう言って、どこからか小さな黄色い花を取り出し、博士に手渡した。
 「オトギリソウの花言葉は、怨みです。今私はこんな花しか博士に捧げられません。」
 「ありがとう、慎んで貰っておくよ。」と言って、博士はマリの前を立ち去った。

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