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空音・・・・・桂川千絵
森・・・・・・桑島法子
(Reading:桂川千絵 as 空音)
夜が深く時を越えて流れても、繋がれた手はそのまま離れなかった。
「(空音)私達、どこを歩いているの?」
「(森)知らない」彼は振り向くことなく、短く答えた。
「(森)行くあてなんかない。歩いてるだけ」
「(空音)そう…」
「(森)でも、歩いてるだけで…目的があるような気がするから」
私は顔を上げて、彼の背中を見た。
「(空音)そうだよね。森君」
昨日初めて会ったのに、私は私の指を掴む彼の手の暖かさが信じられた。
気がつくと雪はやんでいた。
凍てつくような真冬の夜空に無数の星が瞬いていた。
「(空音)空の音がする…」
「(森)空の…音?」
「(空音)私の…いちばん大切な音」
森君は立ち止まって私を見つめた。
でも、その瞳は私ではない誰かを見つめているように遠く感じられた。
「(空音)誰のことを…見ているの?」
「(森)え?」
「(空音)私でよかったら、話して下さい。
今夜だけ、私、勇魚っていう名前になります。
そのことで、あなたに何かを求めたりはしないから…」
沈黙が針のように私達の間に横たわった。
頭の奥で夜の冷気がちりちりと微かな音をたてた。
ハチの羽音みたい。と、私は思った。
「(森)君は昨日、本当の名前なんか、無いって言った」
「(空音)誕生日だって無い。私…赤ん坊の時…誰かに捨てられたから…」
「(森)誰かって?」
「(空音)分からない…今では…もう…何も分からないの。
分かっているのは私が捨て子だったっていう…事実だけ。だから…」
私は彼の視線をとらえて微笑んだ。
「(空音)今夜だけ…勇魚の名前を私に…下さい」
「(森)勇魚の…名前?」
動物園の柵から放たれた悲しいセイウチのように、
彼の瞳は困惑して震えていた。
「(森)でも…君は勇魚じゃない」
「(空音)お願い…森君」私は森君の手を両手で包んで胸に当てた。
「(空音)私に…もう一度…名前をつけて下さい。
もう…誰にも捨てられたくない。
私…私だって…誰かに望まれて…生まれてきたかった」
長い髪がうつむく私の顔をふわりと覆った。
森君はゆっくりと私の髪に手を差し入れた。
私は息を止めた。
「(森)…どうしたらいいのか、
何故こうなったのか、
良く分からない…」
「(空音)…どうしたらいいのか、
何故こうなったのか、
私にも良く分からない…」
森君は私の頭をそっとその胸に引き寄せた。
「(森)…水は…何故死ななければいけなかったんだ?」
「(空音)…私…何故捨てられなくちゃいけなかったの?」
「(森)…僕は…勇魚に何をしてあげたら良かったんだ?」
「(空音)…抱いて…」私はゆっくりとそう言った。
深い水底のような静けさが二人を一つに繋げていた。
「(森)…どうして…」
「(空音)もうすぐ…大人になるから。
だって…いつか大人になる日が来たら、
つないだ指は…きっと…離れていってしまう」
「(森)…離れないよ」
「(空音)うそ…そんなの…うそだもん。だって…だって…」
おにいちゃんの顔が私の瞳の奥に光った。
おにいちゃんだって、私の指を離して遠い世界へ行ってしまおうとしている。
私には、おにいちゃんしかいないのに…。
おにいちゃんしか求めていないのに…。
「(空音)恐いの…それが恐いから…抱いて下さい」
「(森)君は…勇魚じゃない」
「(空音)抱きしめてくれたら…それだけで…いい…」
「(森)君は…誰を求めてるの?」森君の静かな声に私は目を開けた。
「(森)君が求めてるのは…僕じゃないだろ?
君が抱きしめて欲しいのは…僕の腕じゃ…ない」
彼は切なそうに微笑んだ。
「(森)…間違えたら…後悔するから」
私は彼を見上げた。
優しい瞳が私を見ていた。
空の音が…聞こえた…。
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