(注)このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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教師・・・・・桑島法子
森・・・・・・桑島法子
(Reading:桑島法子 as 森)
高校3年の10月に僕に退学を宣告した数学教師と僕が再び顔を合わせたのは、
予備校の冬期講習の廊下だった。
「(教師)話がある」と、彼は言った。
僕達は半地下にある喫茶室で、紙コップのコーヒーをはさんで向かい合った。
数学教師はクリアファイルから僕の答案を取り出した。
「(教師)お前は、まだ草薙水の名で試験を受けてるらしいな」
「(森)別に構わないと思いますけど。
僕が兄の名前で試験を受けることで、
誰かに迷惑かけてるわけじゃないし、
誰かを傷つけてるわけでもない」
「(教師)相変わらずだな、草薙。
お前のイノセントワールドに住んでいる住民はお前一人ってことか」
僕は黙ったまま数学教師を睨みつけた。
彼はメガネ越しの神経質な眼差しで、僕を見つめ返した。
「(教師)お前は、俺が何故お前を退学にしたか、
その理由がまだ良く分かっていないみたいだな」
「(森)理由なんて…。
あんたが僕のことを気に入らなかっただけじゃないのか?
僕が答案用紙に草薙水と書き続け、あんたがそれを白紙として採点した。
その結果、僕の内申点はゼロになった。それだけだろ?」
僕の声に数人が振り向いて僕を見た。
数学教師は椅子の背にもたれて静かに首を振った。
「(教師)まるで、悲劇のヒーローみたいじゃないか、草薙」
僕は紙コップのコーヒーを数学教師に投げつけた。
琥珀色の液体が、ぱっと宙に散った。
喫茶室は水をうったように静まり返った。
「(森)その言葉をあんたの口から聞くのは二度目だ。
覚えてるか?
あんたは水が死んだ時、水の棺を前にしてそう言ったんだ。
草薙水は何かが欠落した存在だった。
だから死を選ぶしかなかったんだろ。
あんたはそうも言った。
でも俺はそんなことは認めない。絶対に認めない」
「(教師)だから、草薙水の名前で答案を出し続けるのか?」
「(森)そうだ」
午後の講習開始5分前を知らせるチャイムが鳴った。
数学教師は立ち上がった。
「(教師)悪いが、失礼する。
時間があまりないんだ。
俺はバイトでこの予備校に呼ばれてる以上、時間厳守は基本だ。
でも最後に一言だけ言うが、欠落があるのは、草薙、お前だ」
「(森)…捨てゼリフって奴かよ」
「(教師)浅瀬勇魚が行方不明だ。知ってるな」
僕の心臓の鼓動が一気に高まった。
テーブルの上に置いた指が震えた。
「(教師)11月から登校してない。
家にもいない。
その顔じゃ、お前のところにもいないらしいな」
彼は紙コップを拾い上げるとゴミ箱に捨て、
ペーパーナプキンで床にこぼれたコーヒーを拭った。
「(教師)お前の答案は完璧だよ、草薙。
俺はもう20年も教師をやっているが、
お前ほど…そうだな…印象的な数式の解き方をする奴はいなかった」
僕は信じられない気持で、椅子から立ち上がった。
彼は目線をわずかに上げた。
窓の向こう側で数羽の鳥が羽ばたいた。
「(教師)でも、そろそろ完璧な世界ってやつを忘れたほうがいい。
お前がそのイノセントワールドに閉じこもることで、誰を傷つけているか、
本当に分からんのか?」
彼は僕に向かって何を言っているんだろう?
僕が答案用紙に兄の名前を書き続けていくことが、
誰を傷つけていくというんだ?
「(教師)浅瀬勇魚はお前が呼びかけるのを待ってる。
探し出してやれ」
夲鈴のチャイムが鳴り終わった。
彼はくるりと踵(きびす)を返し、教室に向かって歩き出した。
「(森)…先生…」と僕は言った。
「(森)僕は…勇魚を…どうやって…」
「(教師)お前しかいない。傷つけるな」
彼の姿は消えて、靴音だけが高く響いた。
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〈第14話
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