(注)このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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勇魚・・・・・桑島法子
森・・・・・・桑島法子
(Reading:桑島法子 as 森)
「(勇魚)水はあたしを困らせてばかりいる」
と、勇魚は半円アーチの立つゆるい丘の中腹で、
水の遺したノートを見つめて言った。
それから僕達はスーパーマーケットに行って、食料品の買い出しをした。
ワンルームマンションには、繰り返し電話のベルが鳴り響いていた。
「(勇魚)…水は…あたしを好きじゃなかったのかもしれない」
「(森)…そんなことないよ。水は君にすごく優しくしてたじゃないか」
と、僕は勇魚に分かるように大きく口を動かして言った。
「(勇魚)優しかったよ」と言うと、勇魚は目をそらした。
「(勇魚)キスしてって言うと、してくれた。さっきの森君みたいに」
僕は勇魚の口調に苛立って、強い口調で続けた。
「(森)僕は兄貴の代理ってわけかよ」
「(勇魚)…そうよ!」と勇魚は叫んだ。
「(勇魚)何もかも何かの代用品なのよ。
森君だって…水の代わりにあたしを好きだって錯覚しているだけなのよ。
本当のあたしのことなんか、誰も好きになってくれない」
「(森)落ち着けよ、勇魚。言ってもいないこと言うなよ」
柵の向こう側で動物たちが勇魚の叫び声に怯えてせわしなく飛び回っていた。
白い象が山波のように揺れ動いた。
「(森)…帰ろうよ、勇魚」と、僕は言った。
「(森)…これ以上、ここにいないほうがいい」
勇魚はしばらく黙っていたが、僕が背中を軽く押すとゆっくりと歩き出した。
勇魚は手にしたものを片端からカートに放り込んだ。
アジの刺身と挽肉のパック、いちご、セロリ、アイスクリーム…。
取り合わせの統一性の無さに僕は思わず横目で勇魚を見た。
勇魚は税関の役人のような意味の無い真剣さで、
右手で食材を取り左手でそれをカートに投げ入れる作業を続けていた。
僕はそれを無視してキッチンに立ち、
ばらばらの食材を料理にまとめ挙げるために格闘していた。
勇魚はじっと座って、
水の遺したノートの表紙を見て、
小さな声で U2 の New Year's Day を歌っていた。
僕は玉葱を刻み、肉を炒め、鳥ガラを使ってスープストックを作った。
「(勇魚)ストロガノフにはクリームを入れてね」
と、勇魚が歌うのをやめて言った。
「(森)クリームなんか無いよ」と、僕は言った。
「(森)なんか代わりに入れとく」
「(勇魚)代わりなんか嫌」
と、言って勇魚は立ち上がってコートを羽織り、
すたすたと玄関に向かった。
「(森)待てよ、勇魚。こんな寒いのにどこへ行く気なんだ」
「(勇魚)コンビニ」と、
勇魚は言って黒地に白の三本線の入ったアディダスのスニーカーの紐を結んだ。
そして、「森君」と言った。
「(勇魚)さっきはごめんなさい。
森君は、水の代理なんて思ってない。
動物園の柵を一緒に乗り越えてくれて嬉しかった」
後ろ手にドアが閉められた。
新月の夜のような静けさと欠落感がゆっくりと僕の部屋を満たした。
何故、僕はあの時勇魚を一人で行かせてしまったんだろう?
勇魚は戻らなかった。
水が最後に自分の文字で署名したノートを残して、
彼女は、家からも、学校からも、そして僕の前からも消えてしまった。
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〈第11話
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