夢から、さめない‐SCENARIO#9


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第9話

     勇魚・・・・・桑島法子
     森・・・・・・桑島法子


(Reading:桑島法子 as 森)

空が白みつつあった。
まるで月の光だけでは足りないというように。
僕は、 横たわる勇魚を見つめていた。
勇魚は緑の茎のようだ。
青く、頼りなく、花を持たない。
でも、僕はそれでも、勇魚が好きだった。

冷蔵庫に何も入っていなかったので、 僕達は外に出て、 駅前のドトールコーヒーでトーストとコーヒーを注文した。
ガラスの向こう側で、 紺やチェックの制服の群が泳ぐように駆けてゆく。
つい1ヶ月前までは、 僕と勇魚はあの群の中にいた。
勇魚はうつむいて、 白い湯気のたつ紅茶をじっと見ていた。
中年のサラリーマンたちがドヤドヤと店内に入り込んで、 勇魚の隣で大声でしゃべり始めた。
けれど勇魚は昨夜のままの不均一なトーンの声で、 「(勇魚)森君」 と僕を呼んだ。
「(勇魚)動物園に行こうよ」
そんなことしている場合じゃないだろ、 と言いかけて、 僕は黙った。
勇魚には何も聞こえないのだ。

動物園は休園だった。
僕と勇魚は顔を見合わせた。
勇魚はしばらく柵を握っていたが、 壁伝いに歩き始めた。
僕は勇魚の後を追った。
「(勇魚)誰もいない」と、 勇魚は僕に聞いた。
僕がうなずくと、 勇魚は柵を登り、 ひらりと向こう側へと飛んだ。
そして、 大げさな身振りで僕を手招いた。
「(森)ちょっと待ってよ勇魚、何してるんだ」
勇魚は僕を無視して駆け出した。
仕方なく、 僕も柵を越えた。
結局のところ、 僕はいつだって最後には妥協してしまうのだ。
勇魚は楽しそうに動物園を巡った。
休日の動物たちは、 どことなくリラックスしているように見えた。
勇魚は北極グマやキリンやアリクイを順序通りに見てまわった。
ときおり遠くに、飼育係の姿が見える。
僕は落ち着かなかったが、 勇魚は楽しそうに動物と会話していた。
「(勇魚)動物たちを檻から出すには、 どうしたらいいの?」と、勇魚は言った。
僕は勇魚の両手を取り、 身を屈めて、 勇魚の正面に立った。
「(森)いいかげんにしろよ、勇魚」と、僕は言った。
「(森)なんだってこんなことしなくちゃならないんだ。 僕達はもう子供じゃないんだ。 僕たちは……」
「(勇魚)森君」と、勇魚は言った
「(勇魚)キス、して……」
勇魚はまっすぐに僕を見つめていた。
「(勇魚)森君に、そんなこと、できる?」
僕は勇魚の小さい顔を両手ではさんで、唇を重ねた。
勇魚は目を開いたままだった。
そして、その瞳がみるみる青く潤んだ。
「(勇魚)水……」と、勇魚は言った。
勇魚が水の名を口にしたのは、 水が死んでから、 初めてのことだった。
勇魚は鞄から黄色い手帳を取り出した。
表紙には、動物園襲撃計画、と書かれていた。
水の字だった。
「(勇魚)お葬式の次の日に届いたの。 きっと生前に投函したのね」
僕は黙ったまま、 ノートをめくった。
「(勇魚)私と森君の間には、 いつも水がいるのよね」
と勇魚は独り言のように言った。
「(勇魚)森君の声が聞きたいのに……」
僕達の後方で噴水が上がり、 数羽の鳥が飛び立った。
「(勇魚)水を忘れるなんて、できない」と、勇魚は言った。
水は僕の兄で、 勇魚の恋人だった。
彼は1年前、 自らの手で、 この世界から去った。
それから水は、 名を知らぬ鳥のように、 僕たちの意識領域に立ち現れる。
影だけがキラリと光に反射する。
気がつくと、 遠く鳴く声が聞こえる。
けれど水は、 もうすでに存在しない存在だった。


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