(注)このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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勇魚・・・・・桑島法子
森・・・・・・桑島法子
(Reading:桑島法子 as 森)
僕と彼女は水族館の大きな水槽の前に立っていた。
「(勇魚)おいしそう」と、
彼女はいった。
僕は、
絶えず「どこか別の場所」にいきたいと願っていた。
美しい青い空と、
白いリンゴ園に囲まれたこの小さな町から逃れたいと思っていた。
水族館の中庭には、
ごつごつした岩だなが造られ、
そのまわりをぐるりと囲むように流れる川があった。
薄暗い廊下には、
僕達のほかには誰もいない。
魚たちはゆっくりと回遊を続けていた。
「(森)塩焼きにでもするつもりなのか?」と、
僕は呆れていった。
「(勇魚)あたし、お魚って大好き」と彼女はいった。
「(勇魚)名前のせいかなぁ」
彼女の名前はユナという。
勇ましい魚、
と書く。
僕は魚から目を離して勇魚を見た。
白いセーラー服の襟元に真っ直ぐな細い髪がゆれていた。
彼女も水槽から目を離して僕を見て笑った。
綺麗な笑顔だった。
だけど僕はまだ17才で、
どんな小さな切符さえ持っていない。
現実の僕の行動はささやかなものだった。
だけどそれらはシステムに対する反抗と見なされる。
僕の担任の数学教師は、
僕に卒業証書を与えないといった。
まだ10月じゃないですかと、
僕はいったけれど数学教師は勝ち誇ったように、
もうすでに決定されたことだといった。
出席日数も単位もね。
君と世界の戦いでは世界に支援せよってわけだ。
あくる日、
僕は勇魚の家の前で彼女が出てくるのを待った。
眠そうに目をこする勇魚の手を無理矢理つかんで自転車の後ろに乗せ、
僕は水族館へと向かった。
ペンギン舎だ。
11時になると職員が現れ、
ペンギンにおやつのイワシを与えた。
「(勇魚)4月になったら」と、
勇魚はペンギンを見つめていった。
「(勇魚)私はあなたよりひとつ上級生になるの?」
「(森)誰から訊いた?」僕はびっくりしていった。
勇魚はおじぎをするように首をかしげた。
柔らかな頬が、
僕の胸に触れた。
「(勇魚)テ・レ・パ・シー」と勇魚はいった。
イワシをくわえたペンギンが水に滑り込む音が響いた。
「(森)東京にいこうと思うんだ」
僕の口からするりと言葉が出た。
何も持たない手から、
鮮やかな国旗をひもとく手品のように、
その言葉は僕の意志とは関係なく発せられた。
だけど口にした時、
僕は決めていた。
「(森)勇魚の下級生になんかなりたくないんだ」と、
僕はいった。
「(勇魚)一緒に卒業できなくても?」と勇魚はいった。
僕は彼女の肩をつかもうと腕を伸ばした。
勇魚はウサギのようにくるりと背をむけ駆け出した。
僕はあわてて勇魚を追いかけた。
水族館の暗い廊下に、
勇魚の影が消えた。
「(森)勇魚!」と、
僕は叫んだ。
迷路のような水族館の通路を、
青や黄色の魚たちがぼんやりと照らしていた。
「(森)勇魚?」と、
僕はもう一度彼女の名を呼んだ。
水槽のむこう側に勇魚がいた。
セーラーカラーの白が天使の羽のように勇魚の背にひるがえっていた。
指を伸ばしても声を上げても彼女には届かない。
勇魚と僕は黙ったままみつめあった。
勇魚は両手をゆっくりと口元によせた。
それから、
花を咲かすようにぱっと両手を広げてキスを投げた。
不意をつかれて一瞬僕は混乱したけど、
そんな僕の表情を見て、
勇魚は大きく口を開けて笑った。
その笑顔は、
やっぱりすごく綺麗だった。
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〈第2話
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