(注)このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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(Reading:桂川千絵 as 空音)
空音という名前を私にくれたのは、お兄ちゃんだ。
その時から14年過ぎた夏の終わり、
お兄ちゃんは買ったばかりの青いセダンに誰かを乗せたくてしょうがなくて、
でも誰も乗ろうとしてくれなくてちょっと不機嫌だった。
それから私とお兄ちゃんは、すこしケンカした。
私は眠り込んでしまったみたいだった。
誰かの両手が、
私の体をふわりと抱き上げてリクライニングされているシートに横たえた。
そのとき私は多分3才で、お兄ちゃんは7才だった。
多分、というのは、私は私の本当の誕生日を知らないから。
14年前のその日、
7才だったお兄ちゃんは塾からの帰り道、
大きな公園の片すみで見知らぬ男の人から私を手渡されたんだと、
私に教えてくれた。
どんな人だったの?
と、尋ねると、
よく覚えていないよ、とお兄ちゃんはいつもいった。
でも優しい声でね。
この子を君にあげるとだけいったんだ。
その男の人のことはそれっきり何もわからなかった。
私は、その日からお兄ちゃんの妹になった。
「空音を手渡された時、何の音もしなかったんだ。
あの公園は近所の人の連れてくる犬がいつも騒いでいるのにね。
聞こえたのは空の音だけ」と、お兄ちゃんはいった。
そして私に空音という名前をくれた。
私は、数学を教えてほしくてちょっとだけならナビに乗ってもいいといった。
お兄ちゃんはうきうきと立ち上がって大きな手の掌で私の頭をくしゃっとして
「空音はいーこだなあ」といった。
お兄ちゃんの運転はやっぱりすごく下手で、
私は2回も舌をかんで泣きたくなったけど、
にこにこと歌をうたっているお兄ちゃんの横顔を見ておとなしくしていた。
埋め立て地の広い国道を降りて横道に入り工場を抜けた。
海に流れ込む大きな川の最後の地点に車を止めて、
遠くにかすむシンデレラ城をぼんやり見てた。
バスケットから蜂蜜とイチゴのサンドウィッチと、
コーヒーの入ったポットを取り出して二人で食べた。
誰もいない。
「おかわり」と、お兄ちゃんがいった。
私はコーヒーをついだ。
理由はくだらないことだったけど、
お兄ちゃんは車のドアを私の前でバタンと閉めて、
ザーッと車を発進させてしまった。
私はすごくびっくりした。
そんなことは今まで一度もなかったし、
私は自分のいる場所さえわからなかった。
夜の帳が降りてきて、
私は裸の腕をそっと抱いた。
敷石道を少し歩くと草むらがあった。
私はそこにすわった。
ヒザをかかえて小さな花や虫が動くのをじっとみた。
空音は悪い子かな、と私は呟いた。
だから、捨てられちゃうのかな…。
私は少しの間眠り続けた。
哀しくて甘い眠りから覚めたくなかった。
その時、私は空の音を聞いた。
空の音…
それはお兄ちゃんの心臓の音だった。
私は眼を閉じたままお兄ちゃんの手をぎゅっとにぎった。
空音はいいこだなと、お兄ちゃんがいった。
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〈第1話
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