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(Reading:前田このみ as 陸)
私は今日はじめて学校をさぼった。
トイレに入って髪をほどいた。
三つ編みのゆるいウェーブのあとが残っていた。
3時半になった。
いつもの私の下校時間だ。
帰り道で私は泣かないと決めたけど。
それは、不意の衝動とかじゃなくて計画的に行うつもりだったから、
私はその朝緊張して気合いが入りまくってゴハンを2杯も食べてしまった。
大変後悔した。
私の通う私立高校は世間では一応お嬢さん学校ということになってるし、
私は眼鏡をかけてきっちりと髪を三つ編みにした優等生だった。
だからこのことを決意するのは私にとっては、すごくすごく勇気がいることだった。
私の名前は恵庭陸、今日で18才になる。
いつもと反対方向の井の頭線に乗って渋谷に出た。
ロッカーに鞄を入れてセーラー服が隠れるようにピーコートをはおった。
空は高く青くて、時折冬鳥が見えた。
人がいっぱいいたけど、私は一人だった。
冒険の始まりだ。
西武に入って一階の奥のカルチェとルイ・ビトンをのぞいた。
金色の縁取りがあるスカーフがピカピカ光って綺麗だった。
来年大学生になったらこんなのしたいな、と思った。
それからこっちの指輪をしてドライブするんだ。
勿論彼の車で。
大学の正門まで迎えにきてもらってそれから…
そこまで考えて、私はため息をついた。
私は男の子のことをほとんど何も知らない。
手をつないだことも、デートしたことも、まだない。
私はまだコドモなんだ、というのは不思議な気持ちだった。
それは哀しいわけじゃなくて、
自分が頼りないヒナ鳥になったような気持ちだった。
ミスター・ドーナッツでチョコレイトファッジと、ミルクティを頼んで
公園通りを行き交う人たちを見ていた。
しばらくぼーっとしていたら、知らない男の人が声をかけてきた。
大学生くらいの人だった。
ナンパだ!
私はあわてて立ち上がって店を出た。
胸がドキドキした。
こんなことは初めてだった。
何も答えられなかったけど、
私も少しだけ大人に見えたのかもしれない。
私はもう一回デパートに入って、
店員さんの目を盗んで口紅を一本ピーコートのポケットに滑り込ませた。
私は盗んだ口紅を取り出して唇に紅をさした。
鏡の中には昨日までのコドモっぽい私じゃない、別の私がいた。
もうすぐ「彼」がくる。
私はうつむいて日差しに照らされた足元を見ていた。
きっといえる、と私は胸の奥で呟いた。
電車がプラットホームに滑り込んで、また出ていった。
改札口から人が吐き出される。
私は歩き出す。
「彼」が私の方向へ向かってくる。
いつもこの場所ですれ違う「彼」は私のことを多分知らない。
でも私はずっと「彼」を見てた。
片思いだった。
見つめているだけでうれしかったけど、
でもどんどん気持ちは膨らんでしまって、
もうどうしようもなくなってしまった。
でも今日こそ。
今日こそいえる。
あなたを好きですって告白できる。
だって…だってあたしは昨日までのあたしと違う、
私はセーラー服のポケットの内側にしまわれている
小さな口紅を右手できゅっと握りしめた。
ゆるい坂道を彼がおりてくる。
私は赤く塗った唇をちらりと舌でなめてしまいそうになって、
あわててきっと結んだ。
あと2メートルですれ違ってしまう。
あと5秒もない…。
…すれ違っちゃう。行ってしまう。
どうしよう。
言えないよ。
淡く優しく光るルージュを見つめて、少し泣いた。
その口紅は前からすごくほしかったシャネルの44番で
17才の私はそれさえ手に入れば全てうまくいくと信じていた。
黄色い10月の夕暮れの丘の斜面で、
私の小さな冒険はルージュと一緒に落葉の下に埋められた。
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