(注)このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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陸・・・・・・・前田このみ
詩学・・・・・・前田千亜紀
わか女・・・・・前田千亜紀
(Reading:前田千亜紀 as 詩学)
僕達は真夜中を待って動物園の柵を乗り越える。
新月の水曜日。
東京では考えられないほどの星空の下で僕達は動物園を襲撃する。
僕達の足許に小さなちぎった雲のかたまりが敷石道をいくつも流れてきた。
陸はそのひとつを手に取って舌の先端でそっと舐めた。
熊の衣装に身を包んだ動物の精神科医は抑揚を抑えた独特の話し方で、
再び語り始めた。
「小沢君、この旅には来たくなかった?」
函館は美しい街だ。
坂と教会と煉瓦の続く道が連なり、澄んだ海を抱えている。
僕と陸は子猫ちゃんを抱えて市電に乗った。
高く緑の萌ゆる山の丘陵が8月の陽射しに眩しく揺れ、
窓からは白く気高いギリシャ正教の聖堂の塔の先端が見えた。
「陸、札幌の東に恵庭っていう場所があるよ。
羊園もあるみたいだし、そこまで足のばしてみようか?」
幅の広い碁坂を登り切った台地上に大きな空がぱっと開けた。
その透けるような空に繁った楡の葉が映り、
その緑に守られるように建てられたこじんまりとした2階建ての家が現れた。
濡れ縁のある庭にグラジオラスやタチアオイが咲いていた。
そこに置かれた手作りの花ブランコを揺らしている
小さな女の子の名前を陸は呼んだ。
僕は順路に沿って檻のまえを巡る。
蝉の奏でる演奏が、葉を密に繁らせた深い緑の木立に響いている。
「子猫ちゃん、どこにいるの?」
陸が泣きそうな声を上げる。
「静かにして、陸。
耳を澄ませて子猫ちゃんの呼び声を聴こうよ・・・・」
「うん・・・・」
僕達は暗闇に耳を澄ます。
微かな振動音が耳に響いた。
「甘い・・・ これ、綿菓子よ・・・・」
真夜中の動物園の中央の塔の上に熊の精神科医がいた。
彼があの綿菓子製造機をもって、
無数の雲を造り、
地上を天空の庭園に変えようとしているのだった。
「そろそろ来る頃じゃないかと思ってたよ」
僕が近づくと精神科医は優しく言った。
「どうして?」
「君たちの子猫ちゃんだろ?」
彼は子猫ちゃんを取り出して陸に差し出した。
「すごい、魔法みたい・・・・ 良かった、子猫ちゃん、無事だったのね・・・」
陸は子猫ちゃんを抱きしめた。
子猫ちゃんは嫌がって陸の顔に爪を立てた。
「ふふ・・・ 魔法みたい、か・・・。
そうだね、ありがとう。
哀れなおかまの熊の僕だけど、君の役にたててとても嬉しい」
「この動物園にあなたが探していた熊の赤ん坊がいるんですか?」
「そうだよ。
それにね、今日は僕の誕生日なんだ。
僕はね、この動物園で生まれたのさ。
おめでとう、僕・・・・」
「僕の父は獣医だった。
僕の父はアイルランド系のユダヤ人でね、
進駐軍の兵士として日本にやってきて、
そのまま日本に残ったんだ。
そして全国から余った動物を集めて動物園を造ったんだ」
「余った動物?」
「そうだよ、
だって戦後のどさくさの時期だからさ、
空襲を受けてそのままになって動物の処理に困っている動物園はいっぱいあったのさ。
父は日本全国を廻って・・・
そう、今の君たちのように旅をして動物を連れてこの場所に動物園を開園した。
そして僕が生まれたんだ。」
「じゃあ、ここはあなたの動物園なの?」
「今はもう違う。
父が幼い僕と母を捨ててここから去って、母は市にここを売却したんだ。
僕はね、この動物園を襲撃にやってきたんだよ」
「どうして?」
「どうして?
君たちには聴こえないの?」
彼は歩き始めた。
その時になって彼の手に大きな鍵束が握られているのに僕は気付いた。
「・・・耳を澄ませて・・・・」
陸が僕の腕にぎゅっとしがみつく。
高い金網のなかに幾種類もの南国の鳥がいた。
闇を見通せない彼らは突然の侵入者に脅えて大きく翼を羽ばたかせ、
あるいは鋭い嘴で止まり木を揺さぶって激しい抗議の叫びを上げた。
熊の精神科医は僕の止める間もなく鍵を開け、
一瞬で扉を開いた。
懐かしい夜の声が耳に響いた。
虫の鳴き声が高まり、
草の葉が風に擦れてざわめき、
闇の奥にすすり泣く熊の声がはっきりと聴こえた。
「聴こえる・・・」
「ね?聴こえるでしょう?
熊が泣いている・・・・
そしてほら、
僕の心臓の鼓動が鳴き声に共鳴して波打ってる・・・・
母親熊が、
小さな赤ん坊熊を求めて、
赤ん坊熊は母親熊を求めて泣いているんだ」
熊男は胸にたらした銀の鍵束を十字架のように握りしめた。
「僕は赤ん坊熊にもう一度母親熊を逢わせてあげたい。
そして、
彼を自然に帰して上げたい。
だから今夜、
動物園を襲撃したんだ。・・」
熊男は規則正しい無駄のない動作で次々と扉を開いてゆく。
深い眠りに墜ちていた動物達の瞳の奥に、
きらりと覚醒の光が宿り始める。
「くだらない。
親がいなくたって生きていけるさ。
そんなものは感傷だね。」
「そうだね、
君が言うとおり、
父がいなくても僕は生き延びた。
だから僕はただ小さな生き物に、
ただ生き残ってほしいだけなんだ。
傷ついた魂を癒す明かりを心に灯していきたいんだ。
ねえ、
どうして動物を閉じこめなくてはいけないのかな。
僕達が生き延びるために、
なにかが犠牲にならなければならないのかな」
彼は話しながら意識を失ったように鍵束を手繰り
鍵穴にそれを差し入れて動物達を解放していた。
僕達のまわりにはいまやサバンナのような様相を呈していた。
きりんやありくいやシマウマが出口を求めて僕達の脇をすり抜けていった。
「これは・・・ 夢?」
「夢じゃない・・・・
僕は父の夢から・・・・
置いて行かれたあの場所の夢からさめない・・・・・」
翌朝早く船が本州を離れると、陸が僕に言った。
陸のマリンブルーのミニワンピースを海を渡る風が揺らしていた。
この風は何処までいくのだろう?
僕は陸の肩を抱いて、壊れそうな鎖骨をゆっくりと指でさすった。
「ねえ、小沢君・・・・」
「そんなことないよ。陸といるの楽しいし」
「嘘」
「嘘じゃない」
「嘘よ・・・ だって小沢君、なにか隠してる・・・
「そんなことないよ。昨日の動物園襲撃で疲れているだけだよ」
「そうね、まだ夢のなかにいるみたい・・・・
哀しいひとだったね・・・・」
僕は肩にもたれた陸の頭を抱いて、遠ざかる地平を眺めた。
黄色い嘴をした南国風の鳥が高く囀って頭上を飛んでいった。
「あの鳥、夕べの鳥かな・・・
ねえ、動物は解放されなくちゃいけないのかな・・・
子猫ちゃんをこうして篭に閉じこめて
物みたいに誰かに送るのはいけないことなのかな・・・
子猫ちゃんを篭に閉じこめて、
モノみたいにあげたりちゃいけないのかな・・・あたしたちが生きてゆくことって、
なにかを犠牲にしているのかな・・・」
「そんなこと、考えても仕方ないよ」
「小沢君は?」
陸の吐息が僕の胸に暖かく触れた。
「ほんとの気持ち、陸にはみせたくないの?
小沢君、いつもなにかを頑なに守ってる。
陸にはそれを見せてくれないね。
陸、そんなに鈍感じゃないつもりだよ・・・
小沢君、何処を見てるの?」
「陸だけだよ・・・・」
「ばか・・・・」
陸は背を向けて甲板から走り去った。
僕はガイドブックをめくりながら陸に話しかけた。
陸は膝に抱えた子猫ちゃん入りの篭を頑なに抱きしめたままうつむいて
「お金、ないもん」とだけ言った。
「わか女ちゃん・・・ わか女ちゃんでしょ?」
女の子は振り向いて、
午後の陽射しに目を細める。
「あたし、陸。
千絵ちゃんの友達なの。
千絵ちゃんに頼まれてわか女ちゃんに子猫ちゃんを届けに来たのよ」
幼い彼女はとまどったように小さなこぶしを胸の前で組んだ。
「ママが・・・ 知らない人とお話したらダメっていうから・・・・」
「知らない人じゃないよ、わか女ちゃん」
僕は幼い彼女に話しかけた。
「お兄ちゃま・・・・?」
「そうだよ、わか女ちゃん、憶えててくれたんだね」
「お兄ちゃま」
あどけない仕草で駆け寄る幼い僕の妹を僕は両手で抱きしめた。
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