子猫ちゃんを連れて旅に出よう‐SCENARIO#6


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第6話 little church around the corner

    陸・・・・・・・前田このみ
    詩学・・・・・・前田千亜紀
    わか女・・・・・前田千亜紀


(Reading:前田千亜紀 as 詩学)

「陸、紹介するよ。僕の妹のわか女」
「こんにちわ」
「こんにちわ」
「わか女、陸お姉ちゃんからおみやげがあるよ、子猫ちゃんだ」
「わあ」
幼い僕の妹は子猫ちゃんを抱いてにっこりと笑った。 子猫ちゃんは小さな腕をすり抜け濡れ縁を上がり、 ひんやりした床の上を跳ね廻って新しい家を探検しはじめた。
「お兄ちゃま、こっちこっち」
白い清潔なタイル張りのキッチンにわか女は僕達を招き入れた。
「いらっしゃい」
「おじゃまします」
「おじゃましますぅ・・・」
彼女は手を伸ばして冷蔵庫を開けて、 カルピスを作ってくれた。
「どうぞ召し上がれ」
「ありがとう」
 午後の陽射しがゆっくりと僕らのいる場所から移動していった。 影が風に揺られて伸びたり縮んだりを繰り返していた。 子猫ちゃんが時折足許に顔を寄せて、甘えて匂いをつけて、離れた。
 僕は空になったコップを置いて立ち上がった。 わか女は僕を見上げた。
「帰るの?」
「うん、」
「帰らないで」
「そうしたいけど・・・」
「いいじゃない、小沢君、もう少しいようよ。 わか女ちゃんのママが帰ってくるまで」
「帰ってこないよ」
「え?」
僕はキッチンの扉を開けた。暗く翳った部屋の奥に母の位牌があった。

 さよなら、と僕が告げると、 わか女は陰りのない黒い瞳でじっと僕を見上げて両手を差し出した。 僕はもう一度わか女を抱きしめた。 彼女は僕の首筋に顔を埋めた。 懐かしい香りが不意に僕の胸の深い場所を静かに打った。 それは永い間忘れ去られていた古い記憶を呼び覚ますように響いた。
「お兄ちゃま、ママの匂いがする?」
「え?」
「わか女を抱いてくれるとき、 ママはいつもわか女の匂いはわか女とおんなじって言っていたの。 ねえ、お兄ちゃま、ママの匂いする?」
「うん・・・・ わか女はママとおんなじ匂いだよ・・・
すごくいい匂いだ・・・・」
わか女は顔を離してにっこりと微笑んだ。
「子猫ちゃんを届けに来てくれたお礼にママとわか女の香りをもってかえってね。 お兄ちゃん、子猫ちゃんをありがとう」

 五稜郭の北東を登るといつしか家並みが途絶え、 暫くすると山の丘陵地に花時計を中心に四方へ伸びる遊歩道が現れた。 色とりどりの花が花壇いっぱいに広がっていた。
「・・・誰もいない」 陸がぽつんと呟いた。
「陸、泣いてるの?」僕は陸の髪に手を入れてそっとキスをした。
「泣いてない・・・・」
 陸は目を閉じた。 僕は陸の頬に口づけて、髪を梳いた。 僕の手が左胸に触れると陸は微かに体を引いた。
「そういうの、まだ、考えられないから」
「初めてキスした日から、もう1年半にもなるのに」
「時間なんて、関係ないでしょ、 ‥‥だって、私は自分が惜しくて
小沢君を拒んでる訳じゃないもん‥‥ だって‥‥ 小沢君は…」
「僕が、何?」
「だって、小沢君は何もかも、
自分一人だけで解決してしまえるでしょう?
私には、何も話してくれない。
私はいつもおいてけぼりで、振り回されてばかりいる。 あたし、なにも知らなかった。 小沢くんのお母さんが亡くなったことも、 小沢君にあんなに小さな妹さんがいたことも・・・・
‥‥私、小沢君がわかんない。
私、小沢君に何をしてあげられるの?」
「陸がいてくれれば、それでいい」と、僕は言った。
陸は顔を赤らめて、ばかみたい、と言った。
「そうやって、全然真剣になってくれないのね。 キライ、小沢君」
誰かが置き忘れたらしい壊れかけのラジオを、 柵に立てかけられた錆びた自転車の籠から拾い上げて、 僕はスイッチをそっとオンにした。
星椋鳥の群れがゆっくりと移動した。
「母が亡くなったという報せを受け取ったのは、3週間前なんだ。 でも亡くなったのは、もっとずっと前らしい。
母は再婚して、僕には妹ができてたんだ。 それがわか女だよ。 今年で5つ。
 ‥‥僕は全然知らなかったけど。 葬式があってね、函館にきたんだよ。 ついこないだね。」
「そんなの、知らない・・・」
「陸には言えなかった。 何故って僕は母を憎んでいたから・・・・
僕には父がいない・・・  母は少女のようなひとで、 幼い僕を置いたままふらりとどこかに出掛け、 それっきり帰ってこなかった・・・・
僕は、母の遺体すらみていない。 僕の記憶の彼女はぼんやりと顔を持たない。
記憶がないのに、それでも僕は母を許せなかった。 そんな気持ちを、陸、君には言えないよ・・・・」
「どうして? 陸は小沢君のために何もできないの? 陸は・・・陸は小沢君のなんなの?」
ラジオが雑音まじりの音楽を奏でた。
「僕には父も母も熊の赤ん坊もいない。 一人では何も解決できない。
僕には陸だけだ。  ‥…陸がいれば、いい。 それだけだよ・・・」
陸は遠い結び目をほどくように僕に近づくと、
両手で僕の頬を抱き、キスをした。
「小沢君、陸を抱いて・・・
ねえ、陸はどんな匂いがするの?」
 陸の体は暖かく、体温は優しい鼓動でゆっくりと生命をつむぎだしていた。
「君は僕を旅に誘う子猫ちゃんだよ、陸・・・・」
「ふざけないで」
「愛してるよ、陸・・・・ 君なしで生きてゆけない。」
「じゃあ、結婚しない?角を曲がった小さな教会で」

 そして僕達は二人だけで結婚式を挙げた。 僕らは神様のまえで愛を誓い、キスを交わした。 こっそりと溢れ出る涙をこらえながら、僕らはお互いの瞳のなかで笑いあった。 空には真珠のような月がかかっていた。 僕達はこれから始まるのだ、と僕は強く胸のうちで言った。 僕は僕の子猫ちゃんを手にいれたのだ。 僕の人生はこれから僕自身が造っていける。
 僕は親指を突き出して新しい人生の第一歩を踏み出した。
見慣れた1台のトラックが僕達の前に静かに停車した。
そこには熊男がいた。
「移動動物園を開くことにしたんだ。 今は赤ん坊熊しかいないけど、ひとつ見物していかないか? ねえ、 僕はおかまの熊だから赤ん坊熊のいいお母さんとお父さんになれると思わないか? 僕の父が果たせなかった意志を僕は果たせそうな気がするんだよ。」
 やれやれ。 僕らは荷台に乗り込んでの赤ん坊を見た。
缶コーヒーを抱えた熊はぬいぐるみのようで、 とても可愛かった。

 それから数年後、 僕は小説家となり、 記憶をもとに、
動物園襲撃計画を物語に記した。
家族を持たない僕に、 陸はなにもかもを与えてくれた。
二人の娘、家族、強い絆を。 生きてゆく、すべての勇気を。
偶然の悲劇が僕達を襲い、 僕が最後の旅に出る瞬間まで、
陸は僕の傍らにたち、僕を支え、励ましてくれた。
僕たちの記憶は、娘達に手渡され、 彼女たちは、それぞれの動物園を襲撃するのだろう。
彼女たちの手にはその時、 生まれたばかりの子猫ちゃんを抱いているのだろうか?
人生はまだまだひとつの祝福だ。 君がいやだといっても、子猫ちゃんは僕らを旅に連れてゆく。


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