冬の教室‐SCENARIO#4


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第4話 世界の果てに残された、光る草の葉


青い花を閉じこめた琥珀を音楽室で見つけたとき、 私は恋に落ちてしまったのかもしれない。 花の青さに。 閉じこめられた時間の永さに。 私は聖堂の清らかなイコンに支えられて、 誰にも話したことのない私の秘密を彼に話し始めてしまっていた。

人魚がどこからきたのか、 人魚にはわからない。 人魚に与えられた唯一の記憶は暗い、 何もない闇だけだった・・・
「誰が君をそんな場所に閉じこめていたの? そして何のために? そこにはどんな目的や意味があるの?」
人魚はほんの少しためらう。 そして決心したように僕に胸を開いた。 左胸のふくらみの上に聖痕のように小さな文字が彫られていた。
「人魚・・・ これは何なの?」 僕は茫然と見たこともない文字をみつめる。 「”自分が所有するものからのみ、 人は快楽を得る自由を持つ・・・・それが自由というものの、 本質だから。 所有するものによってのみ自己を規定することが、 やがては人間の本質になるように”、 と書かれているの。 ロシア語で」
「誰が書いたの?」
「私を閉じこめた、 大江公彦という人。 彼はこの地にくる前に、 6人の幼女を殺害した無期懲役囚なの。 1999年、 彼はどういうわけか仮釈放された。 そして赤ん坊だったあたしを手に入れた。
どうやってあたしが彼の手に託されたかはいまでもわからないの。 救出されたとき、 あたしは何も持たないこどもだった。 言葉も、 笑うことも、 歩くことも、 立つことさえ。 そんなこと、 信じられる? 人間が他者をそこまで陵辱するなんて、 信じられる? 世界は理由を持たない暴力で満ちている、 あたしの生まれて最初に認知した記号は愛じゃなかった・・・・」
僕は言葉もなく、 彼女の白い胸に記された文字を見つめた。 彼女の奪われ、 失われ、 損なわれた記号の破片を見つめた。 僕はにの頬に手を触れた。 人魚は子どものように小さな頭を僕の手に預けた。 こぼれ落ちる髪を指ですくい、 震えている人魚の瞼にそっとくちびるを重ねた。 人魚は大きく息をもらした。
「千野君、 こんなこと突然話してごめんね」
「いいよ」
「そんなことがあったせいかな、 あたし少し他の人とは違うみたい・・・・」
「人は誰にも似てないよ。 君はたったひとりしかいない。  ・・・・その人はいまどうしているの?」
「知らない。 あたしが知っているのは光があたしに訪れたことだけ。」

一つしかない聖堂の扉の向こうに凍った霜が草の葉を光らせているのが見えた。 あたしは不意に恥ずかしくなった。 あたしはセーラー服をほとんど脱ぎ捨てて千野君の腕の中にいた。 彼の鼓動がはっきり聴こえた。 あたしは時折こんな風に自分を失ってしまうことがある。 けれどこんな風に誰かに頼ってなにもかもをさらけだしてしまったことはなかった。 あたしは琥珀を想う。 閉じこめられた、 というイメージに自分を重ねすぎているのかもしれない。 けれどこうして腕に抱かれているのはなんて気持ちがいいんだろう。 あたしは目を閉じる。 千野君のことをあたしはまだ何も知らない。 でも、 もうキスをしてしまった。 告白も約束もしないままに、 何度も、 何度もキスをしてしまった。 あたしは恋をしてしまったのかもしれない。 あたしの気付かないうちに、 あたしのなかで、 恋が始まってしまったのかもしれない。 千野君の手が優しくあたしの髪を梳いてゆく。 彼はそれ以上のことをあたしに求めなかった。 彼はあたしの気持ちを受けとめることだけに彼の心を砕いてくれていた。 嬉しかった。 暖かな想いが重なり合う胸の奥にあふれた。
千野君が、 好き・・・・

冬に咲く薔薇の香りがキスに溶けた。
「千野君、 ここは世界の果てなの。 なのに、 どうしてここに来たの?」
「君に夏を届けにきたんだよ」
千野君は片目をつむって笑った。


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