冬の教室‐SCENARIO#2


(注)このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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第2話 空に飛び立つ、ふたつの魂


私の存在してる世界では1999年から冬が続いている。
1000メートル近く続く防波堤の遥か彼方に広がる海に、
流氷が眠りに誘う羊のように流れてゆく。 吐息はいつも白く凍り、 手足はかじかんで瑞々しさを失っている。
私は震えながら夏を夢みている。
誰かが、私を冬の教室から連れ出してくれることを、心だけで、望んでる。
私は朧気な朝の光に目をさました。
おじいちゃんの焼く、ロシアのパンの匂いが漂っている。 私は制服を着て台所に降りた。
私とおじいちゃんは部屋の中央に置かれた大きな暖炉にあたりながら、 朝食をたべる。 おじいちゃんは新聞を読み、 私は録画した英語の教材用TVをみるともなくみている。 私はお茶を煎れておじいちゃんに差し出す。 おじいちゃんはバターを塗ったパンを渡してくれる。
言葉のない、静かないつもの朝ごはんの風景だった。
鳥のさえずりに、私は顔をあげる。
窓の外に立つ、樹齢のわからないほど古い、 大きな樹の枝に数羽の鳥が止まり、
黄色の小さな羽にぼたんのような頭を埋めて、眠っていた。
「みて、おじいちゃん、鳥が樹の枝で眠ってる。 おっこちないかな、だいじょうぶかな、 ・・ふふ、お寝坊ね、もうずっと前に朝になってるのに」
「樹の枝で眠る鳥は、まだ生まれていない魂さ」、 とおじいちゃんはなんでもなさそうに言った。
「順番がくるまでは眠り続ける。 そして、その瞬間が訪れたら、ぱちっとめざめて、空に飛び立つのさ」
「そうなんだ・・・  あ、人魚にもそんな時がくるかな?  人魚が飛び立ってしまったら、おじいちゃんはさみしい?」
おじいちゃんは私をみつめ、歯の欠けた口を大きく開いて笑った。 屈託のない笑い声につられて、わたしもくすくす笑った。 テーブルの下で落ちてくるパン屑を待っている大きな犬が 小さなうなり声をあげて足許に頭をすり付ける。
こんな風に私たちは生活という同じ時間の流れのなかで、 言葉だけではないつながりを感じてながら過ごしている。 私には両親がなく、おじいちゃんですら、肉親ではないけれど、 私たちは家族であり、よりそい眠る2羽の鳥のように、 お互いの体温で心を暖めあって生きてきた。
「はやくおおきくおなり、人魚」とおじいちゃんはことあるごとに私に言った。
もう大きいよ、これ以上大きくなったら、ふとっちゃうもん、 とその度に私は答えた。

建て増され、継ぎ足され、 本来の姿を失い永い年月を過ごした校舎の中の教室の一番後ろの席にすわり、 僕は塔崎人魚をみるともなくみていた。
彼女は白い清潔な制服に身を包み、 くせのない長い髪を梳くように左手をさしいれて、 ぼんやりと空を見ていた。 窓から吹き込む風が時折彼女のセーラー服のリボンを揺らしていた。

昼休み、彼女はするりと教室からぬけだしてどこかへ消える。
そしてそのことには誰も気付いていないように見えた。
僕は音楽室から流れてくるモーツアルトに耳を澄ます。 沈黙のなかで僕をみつめていた、あの視線を思い出す。

午後の授業の始まりをしらせるチャイムが鳴っても、 僕は図書室に残って意味もなく書棚の本をとりだしてはぱらぱらとめくっていた。
そこにあるのは古い時代の書物だった。
チェーホフ、トルストイ、プーシキン、ドストエフスキー・・・・
100年以上昔のロシアの小説ばかりがそこにあった。 本の裏表紙には図書カードが差し込まれていた。 図書カードには塔崎人魚の名前が記されていた。
それは気持ちのいい午後だった。
窓からは白い雪でおおわれた校庭が見えた。 針葉樹の枝にぶら下がった小さな氷柱たちが音をたてて溶けていた。 窓枠に置いた僕の手の上で踊っていた光が翳った。 僕は目をあげる。 梯子がおかれ、それを登り切った先にある、小さな張り出し窓にもたれるように、 塔崎人魚が眠っていた。 膝に薄い背表紙の本が置かれ、左手の指がしおり代わりに差し入れられている。
僕は梯子をのぼり、規則正しく揺れる吐息をみつめる。
柔らかな頬はこどものようにすべらかで、僕は思わずそれに触れてしまう。
「ん・・・・」
塔崎人魚が思い睫毛を持ち上げる。 瞬間そこに夏の星座が現れる。
「千野くん・・・・?」
「なにを読んでるのかな、と思って。 昼飯もくわないで読むほど価値のあるものなの?」
「ばか、なにいってるの? そんな風にあたしの髪にさわったらいや。 困るのよ、だってあたしは・・・」
その時、図書室の扉が開き、誰かが室内を覗き込む気配を感じる。
「誰かいるのか?」
「(小声で)司書の柴田先生よ・・・・はっ・・・やだ、今何時なの? 午後の授業が始まって・・・・」
「しっ、黙って」
僕は塔崎人魚の口元を手でおさえ、その小さな体を隠すように抱き寄せる。
「誰もいないのか?」
声の主が図書室を散策してゆく。 僕たちは高い樹にとまる2羽の鳥のように身をよせあい、 ささやかな罪を共に犯している。 人魚はかたく目を閉ざしている。
やがて足音は立ち去り、静寂が訪れる。
僕たちはみつめあう。
「キスしてもいい?」
「いや・・・ だめ・・・・!」
「どうして?」
だって、昨日は、と僕は思わず言いそうになってしまう。
「だめ。あたしはそんな女の子じゃないんだから」、 と人魚は言って、僕の腕からすりぬけた。
「あたしにキスできるのは、夏をみせてくれるひとだけ」、 とささやく人魚の声が、午後が続く間、いつまでも僕の胸に響いていた。


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