冬の教室‐SCENARIO#1


(注)このシナリオは、著作権者である MADARA PROJECT の許可を得て
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第1話 百年の冬に閉じこめられた青い花


(語り手は人魚です)
人魚は夏を待っている。
真冬の凍てついた風のなかで、 人魚のまだみたことのない夏は手の届かない遠い果実に似ていた。
甘く、音楽の余韻のように漂う香りに、人魚の心は包まれる。
空と海との境い目もつかない灰色の海を見つめながら、人魚は夏を夢みてる。
物憂さと甘さに満ちたこの感情は恋に似ている・・・・
でも、あたしはまだなにもしらない。
あたしは夏と、はじめての恋を待っている・・・・
細い手首に揺れる金の鎖にそっとキスをする。

(語り手 千野です)
放課後、図書室で調べ物をしているうちに眠りこんでしまい、
僕は冬の教室に閉じ込められてしまった。
雪が降っている。 四方からそれは激しく、不確実性の証にように吹き荒れていた。 窓からは白しか見えない。 雪のせいで電話は不通になっており、校内は闇に包まれ、静寂だけが響いている。
僕は途方にくれた。
何故、天気予報を聞かなかったんだろうな。
冬が半世紀続いているようなこの地でも、とはいえ、気象は変化してゆくのに。
その時、教室の扉が開いた。
「‥‥誰かいるの?こんな時間に、なにしてるの?」
ストーブから洩れるオレンジ色に僕は目を細めて振りむいた。
嶝崎人魚(とおさきにんぎょ)が立っていた。
彼女はその奇妙な名前のような長い髪を揺らして僕をじっとみつめた。
「雪に閉じこめられたんだよ。 こんなすごい雪がいきなり降るからさ・・・」
塔崎人魚はほんの少し首をかしげた。
そして「千野君は夏を見たことがあるの?」と、僕に話しかけた。
「夏?」と僕は一瞬、混乱して聞き返す。
「・・・・君は?」
「あたし達くらいの年齢の子で夏を見たことのある子なんていない。
だって、世紀末の1999年の7月、終末のかわりに氷河期が地球に訪れて、 新世紀は1年中冬が続くようになってしまったもの。」
沈黙が透明で静止した空気に包まれる‥‥
1ヶ月前の日曜日、僕は転入試験を受けにこの学校を訪れた。
増改築を無限に続け、木造と鉄筋を複雑に組み合わせた校舎は迷路の様で、 僕は方向感覚を失って廊下をぐるぐると歩き廻った。
音楽が聞えた。音を辿ると彼女が、嶝崎人魚がいた。
鍵盤をすべる彼女の白く細い指先から音楽が溢れるように流れていた。
彼女は僕に気付き、僕をじっとみつめたが両手は動き続け、 バッハのクラヴィーアを紡ぎ出していた。 その旋律は僕の心の深い場所を打った。
金木犀のように薄い香りを放つ瞳が、僕をみていた。
けれど、僕たちは言葉を交わすことなく、その場所から遠ざかった。 「あのとき、あなた忘れ物をしたでしょう」
彼女はそういって僕の前に片手をさしだす。
「あの時?」
「音楽室にきたでしょう?あの時よ。」
彼女はゆっくりと手のひらを開く。 金色に光る琥珀が現われる。
「あなたのでしょう?この琥珀の中には青い花びらが埋ってる…
この花は夏にしか咲かないの。
貴方は南から転校してきたってきいたわ。 南にはまだ夏があるの?
貴方は夏を見たことがあるの?」
「南にももう夏は来ない」と僕は言った。 地球は教室のように冬に閉じ込められてしまった。 僕たちはもう何処にもたどりつけない。
「嫌い、冬なんて大嫌い!」
彼女は琥珀を僕に投げつけて走り去った。
僕は慌てて後を追う。 階段を駆け降り、ぐるぐると空間が廻転するように飛び散る雪をかきわける。
「人魚!」僕は彼女の名前を大声で叫ぶ。
驚いたように彼女は振り向く。
「人魚・・・」
僕は両手を差し出して、人魚にふれる。 人魚が僕の体にたおれ込み、僕はその小さな体を抱きしめる‥‥
その瞬間、雲が切れる。 最後の雪のひとひらが舞い降りて月が静かに輝きはじめる。
「信じられない‥‥天空に夏の星座がきらめいてる・・・」
人魚が僕の腕のなかでため息をもらす。
「みて、千野くん、あの青い星・・・  琥珀に閉じこめられた花みたいに、光ってる」
「奇蹟は起きるよ」と僕は言う。
「いつか地上に再び夏がくる。 青い花が咲く瞬間を、僕たちはみることができる‥‥」
僕たちはキスをする。 ぎこちないキス。 白い歯が舌にふれる。
人魚はかすかに震えている。
僕は琥珀を人魚の手に差し入れる。
「いつか、人魚に夏をみせて」
いつ果てるとも知れない夜も終わりに近づく頃、 鳩の羽毛のように清らかな雪が舞い始め、 冬はまた静かに教室を包んで行く。


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