東京星に、行こう‐SCENARIO#3


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第3話 ハッカ色の蝶 ナオミの白く薄い胸 盗まれたミルク瓶
    (Title Call:桑島法子)

     朔・・・・・・・前田このみ
     ナオミ・・・・・豊嶋真千子
     珊瑚・・・・・・桑島法子


(Reading:前田このみ as 朔)

電話のベルが鳴り、僕は浅い眠りの淵から呼び戻された。
「(ナオミ)朔? …わたし」
「(朔)…もしもし?」
「(ナオミ)起きれば? 5時よ」
受話器から不均一なトーンの声が流れ、途切れた。
僕は受話器を手にしたまま窓の外を眺めた。 低く垂れ込めた薄暗い雲の切れ間が、 まだ地平線の下で時を待つ太陽の光ににじんでいた。
僕は煙草を取り出してくわえたが、火を点けることはしなかった。
大学入学を機に、禁煙を始めたからだ。
それから僕はいつもの通り家を出る。その頃僕は牛乳配達のバイトを していた。牛乳なんてコンビニで買えばいいのに、と思いながら 僕は毎朝自転車で牛乳を配った。
水を撒いたばかりの敷石道の上を、 ハッカ色の蝶が弧を描くように漂っていた。
ハッカ色
ナオミの好きな色だ。
そして僕は先刻の電話の彼女の声に耳を澄ます。
「(ナオミ)朔? …わたし」
道を横切る時、誰かが戸口を離れる気配がした。
僕は振り返った。
緩い坂道の途中に、古い大きな洋館が立っていた。
その都心とは思えない大きさと、奇妙な時間のずれを感じさせ、 繁る樹木、そしてそれを守るように取り囲む高い鉄柵からの印象で、 その洋館は世間の人々から、「動物園」と、呼ばれていた。
「(ナオミ)朔、あたしはここよ。いいもの、みせたげる…」
どこからか、確かにナオミの声がした。
「(朔)ナオミ?」
僕は牛乳瓶をつめこんだ自転車を歩道の脇に止めた。
錆びた鉄柵をよじ登り、内側へと飛び降りた。

僕は予定外の動物園襲撃に緊張していた。
緑に囲まれたこの大きな洋館の持ち主は、まだ若い女ただ一人らしい。
僕は庭に建てられた青い小さな離れに近づいた。
薄く開けられた窓際に子猫がうずくまって僕を見ていた。
「(朔)ナオミを見なかった?」と僕は猫に聞いた。
「(珊瑚)ハッカ色の服を着た女の子?あたし、あのこ、キライ
あたしのこと、いじめるもの」と、猫が言った。
次の瞬間、ひらり、と猫は薄暗い部屋の奥に消えた。
「(ナオミ)喋る猫の声、聞こえた? …朔」
ナオミは動物園の外側の歩道に立っていた。
逆光に遮られて表情が読めない。指先まで届く長い黒髪が、 走り去るセダンの起こす風に揺れていた。
彼女は青く褪めた唇を歪めた。
きっと微笑んでいるんだろう、と僕は思った。
「(ナオミ)ねぇ、朔。私の胸をみたいんでしょう? …みせたげる」
ナオミはゆっくりと胸のボタンをはずした。
貝殻のように薄く白い胸が、僕の目の前に差し出された。
左胸に新月を切り裂いたように大きな傷跡が浮かび上がった。
「(ナオミ)死にかけの匂いがするでしょう?」とナオミが言った。


(Reading:桑島法子 as 珊瑚)

そう、死にかけなのはあんたよ、とあたしは暗い部屋の奥から、 ハッカ色と、知らない誰かを眺めた。
あのね、あたしは猫だから、耳を澄ますときこえるの。
ハッカ色の胸の傷の内側から、心臓の鼓動を打ち出す機械の音が。
その機械は、ゆっくりと、止まりかけてる。 ((ナオミ)あたしの胸をみたいんでしょう?)
ハッカ色は、あたしとおんなじ匂いがする‥‥
キライ キライ ((ナオミ)壊れかけだもの どうせ死ぬもの)
あたしと似ている、あんたなんか、大きらい


(Reading:前田このみ as 朔)

「(ナオミ)猫が見ている・・・」
静寂のなかで、ナオミが囁いた。
「(ナオミ)あんな猫、生きてる意味、ないのに」
「(珊瑚)世界には意味なんて、ないのよ。意味があるのはあたしの可愛さだけ」

ナオミは胸の傷跡に指を這わせた。
「(ナオミ)やっぱり、朔は驚いたりしないのね、猫が喋っても。
全ては、可能世界とでもいう訳?」
ナオミの背後から、紺のメルセデスが音もなく近づいた。
「(ナオミ)わたしは壊れたい。世界を壊すことができないなら。 わたしが‥‥わたしを‥‥壊すの」
ナオミは胸をはだけたまま、するりと車に吸い込まれた。
僕が柵を越え、動物園の外側に舞い戻った時には、
ナオミもメルセデスも、そして僕のささやかな配達用の牛乳までもが、 その場所から、すっかり消え去っていた。

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第2話「東京星に、いこう‐ストーリー」のページ第4話


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