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空談寸評特別篇

 

押井作品いろいろ



『御先祖様万々歳!』


オリジナルビデオアニメ/1989



へーげる奥田


 
 今となってはあまり覚えている者もいないが、この『御先祖様万々歳!』はスタジオぴえろ10周年記念作品というふれこみの作品であった。作品はたしか3ヶ月に一度だったか、1話30分ずつリリースされた。作るほうも大変だが買う方も大変である。しかし、原作/脚本/監督ともに押井守という状況といい、演劇風の演出や押井監督得意の論理的長ゼリフなどといい、ある意味「最も押井的な作品」とみることができよう。

 この『御先祖様万々歳!』は、『うる星やつら』の「裏」の作品として作られたという。もしもラムが本当は宇宙人などではなく、悪意のもとに登場し、手の込んだトリックで身を装う詐欺師だったら―そんなモチベーションから、この作品は作られたのだそうだ。

 かつてどこかのBBSあたりで、まあなんだか業界通を気取りたくてしかたない若者が、押井守といえばテツガクと都市論と「実は主人公は不在だった」でオチさ、といったセリフを気取った風に書き込んでいた。世の中のいかなる物でも、分析的に要素を取り出して総括的にわかった風に語れば簡単に「とるに足らないもの」のような言い方をすることができるというのはレトリックの基本的手法のひとつにすぎないのだが、これを読んだときちょっと気になったところがあった。

 たしかに、『押井ルパン』のストーリーとして、実はルパンは不在の存在であったという案がもとになって降ろされたという事件はあったと聞く。また『パトレイバー劇場版』においても、みんなが追い続けていた帆場は実はすでに死んでおり、不在の存在だったという「案」があったことなどもいろいろな資料によって知られている。しかし、押井守の作品群において、主人公が不在であったという作品は実はひどく少ない。というより、私が知るかぎり、押井作品の中に「そのパターン」の作品は皆無なのではなかろうか。周知のキャラクターが実ははるか昔に死んでいたというパターンは、押井守というよりむしろ、『逆転イッパツマン』の球四郎などに見られるように、タツノコアニメの得意パターンであるといってよいのかもしれない。

 この『御先祖様万々歳!』は、押井作品のなかでも『迷宮物件』と並んで「物語論」を中心的な問題として扱っているように思える。過去、この作品のLDメモリアルボックスが企画された際、押井監督のご厚意によってブックレットに「解説」を執筆する仕事をいただいた。このとき書いたものは、もうひとつの意図として、以前書いた『押井論』のレジュメとしての意味を持たせようとして書いたものである。これはのちに、押井監督から「一種の鑑賞論」と称された。たしかにそうだと自分でも思う。

 『御先祖様万々歳!』は、方法論的には構造主義を中心に据えた作品とみることができる。そこで、LDの「解説」では、作中に点在する構造主義的要素の指摘や、その意味する相対主義について主に述べた。この作品に対する基本的な認識は今でもそれほど変わっていない。「犬丸」の「丸」は、語源としては「麻呂」すなわち「麿」の変化したものだという。これを「丸」すなわち「○」に置き換えると、登場人物の名はほとんど変化を持たぬ、最低限の音韻変化によって区別される記号であることがあらわとなる。こうした、家族に代表される親族構造が実は関係論にのみ依存する相対的なものであることから展開するストーリーは、世界認識の形式たる物語論に繰り返し言及する。『パトレイバー劇場版』は構造論的に「表象」のライトモチーフを語り、『御先祖様万々歳!』は意味論的にこれを語るのだ。

 ただ、先に書いた文章で触れなかった点がある。それは、物語の前半に構築された安定と平安の世界観が、その後半において崩壊することによって効果する一種の喪失感という異化効果だ。これは押井作品でしばしば現れる異化の契機である「終末の意識」とその根底を同じくするものと言ってよい。ひとつの話が発売されてから何ヶ月かのちまで待たされるオリジナルビデオアニメという形式の発行ペースが、ある意味この感覚を増幅したように思う。

 また、この作品は虚々実々二重のストーリー構造をもっている。はたしてこれはペテン師の物語なのか、はたまたSFのストーリーとして解釈するべき物語なのか。常識的に考えれば、おそらくそれは前者の解釈が正しいのだろう。だが少なくとも結論は最後まではっきりとはせず、「最後に答えられぬ謎を残し、」ストーリーは終焉を迎える。この「ゆらぎ」を持たず、一本のストーリーラインを淡々と語る劇場版作品『麿子』はあまり好みではない。『御先祖様万々歳!』の各話冒頭に入る鳥の一席も、話の端々に入る小気味のいいギャグもすべて削られ、少々興が冷めたものだ。

 ともかく、私にとってこの作品は、いろいろな意味で忘れられない一作である。

 

 

1999/12



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