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§序・根源への知






プログラムのテストは、バグが「ある」ことを示すのには有効だが、バグが「ない」ことを証明することはできない。


E.W.ダイクストラ




評論は必要か

 評論不要論という意見をしばしば耳にする。作品というものは、その鑑賞者がそれぞれ好き勝手に鑑賞すべきであり、評論者という他者のものの見方や考え方などにわざわざ耳を傾ける必要はないという思考態度である。

 じっさい、読む必要のない、あるいは読んだことによってかえって害になるような評論、解説、書評なども少なくない。特に論者のドグマギーによる恣意的なものの見方の押し付け、またはなはだしき場合は感情的な単なる感想文でしかないような文章などは、作品の鑑賞にかえって有害である可能性が高い。

 また、いかなる評論も解説も無用であるようなある種の作品がある。ロマン的芸術に対する古典的芸術の一部などが、そういった範疇の例としてあげられよう。数千年の星霜をへて佇む古代の建築は、それを見る者にある種の感銘を与える。そこに論の多弁は不要かもしれない。評論の使命が、作品の分析や説明による作者の意図の補足や、理解や了解の手助けにあるのだとすれば、われわれの眼前に展開する作品の多くは、評論という第三者の知的介入を必要としないだろう。

 だが、ひとたび「解釈」という知的態度を射程に入れた場合、状況は一変する。

 芸術作品が、単なる「説明」の対象としてあるならば、それは言ってみればひとつの記号であり、作者の意図を伝達するための言語活動にすぎない。しかし実のところ、われわれの認識の構造はそれほど単純なものではない。われわれがある作品を鑑賞するとき、それはただ作品と、それを鑑賞するわれわれとの素朴な関係論で説明すべきではない。そこには単なる「データ入力」以上の関係構造が存在する。

 われわれは「世界」を持って生きており、同時に「世界」の中に生きている。われわれと世界とのかかわりは、非常に総合的で、有機的である。そして、われわれの芸術作品との出会いは、あくまでその「世界」に属するイヴェントとして展開する。

 コンピュータの世界には、「環境」という考え方がある。コンピュータにおけるプログラムの多くは、まったく単独で動くことは少ない。一見まったく単独で動いているように見えるプログラムも、まず一般にオペレーティング・システムと呼ばれる基本的な運用支援プログラムの支配下にあるし、またしばしばいくつかのファイルを参照していたり、他の部分的プログラムの呼び出しや外部のシステムの環境との連携が不可欠であったりする場合が多い。このことからも、コンピュータの世界において、「環境」の持つ意味が非常に大きいことは想像に難くないだろう。事実、大規模なコンピュータであればあるほどシステム環境はデリケートになり、その重要性は大きくなる。

 こういった事情は、現在地球上にあるあらゆる種類のコンピュータの中でも比較的性能がよいと言われているわれわれの脳にもある程度あてはまる。まったく独自に、恣意的にものを考えているつもりであっても、われわれの思考はまず一般に思考習慣と呼ばれる知的社会慣習や通念の支配を受けているし、またしばしば過去に教わった学問上の知識・理論等を前提としていたり、特定の思考技術や自分が生活している社会の常識、また幼年期からの個人的な体験などが思考に(意識的にも、また無意識的にも)反映している場合が多い。

 人間をコンピュータ・システムに喩えるならば、現代の思想潮流の方向性は、単体のプログラムやシステムの構造への分析的なアプローチから、こういったいわゆる「環境」への総合的なアプローチへと、その興味を移しているように思える。

 解釈学的な方法とは、言ってみればこのようなシステム全体への総合的視点を射程に収めたものの考え方である。そこでは作品単体への分析的アプローチという方法は、単に部分的な一方法となるだろう。あくまでも鑑賞者が、「彼の世界の中で」その作品に出会い、《世界・内・行為》の究極形態である「解釈」をもってそれと接し、対話し、作品のもつ地平と、彼の世界を形成する「環境」としての地平との融合をもってその作品鑑賞の完成とすること、それ自体が、「偉大な暗い本」としての《テクスト世界》を読んでいく、解釈学という一個の思考プログラムの言及対象なのである。


評論活動の使命

 こうした知の視線をもった立場は、評論活動のもつ意義の別の側面をあらわにする。芸術の鑑賞は、ただのデータ入力でなく、ある世界と、未知の世界との、言うなれば邂逅接触という形で展開する動態的な「できごと」である。われわれは多くの場合、このような構造を静態的なまなざしでとらえてしまいがちである。この場合われわれは、生きた動物をかわいた標本にしてしまうような過ちを犯している。「世界」とは静態的なものではなく、それは無数の対話によって織り成された、生きた存在である。世界としての鑑賞者(とその地平)にとって、ひとつの「作品」は、単なるパッケージ・データとしてのみあるものではない。それは、時事刻々と変化しつづける「邂逅」にほかならない。

 そこにおいて、鑑賞者の世界の変化は、すなわち作品そのものの変化である。評論は、そこに立ち会う。それは単なる紹介でも、解説でもなく、遂行運動としての鑑賞へと立ち入るもう一つの邂逅である。

 「できごと」の中に立ち入り、その意味を繰り返し問い直す。こうした知的態度において、作品そのものの解析という方法にとどまらず、その作品をすぐれた作品たらしめている現代の知的環境へのアプローチを加え、作品への認識論的介入をこころみるといった手法こそ、本論の標榜する主要な方法のひとつなのである。

 だがここで、こうした思考技術的方法を超えたある問題が残されていることを、われわれは忘れるべきではない。そしてそれは皮肉にも、最も原基的な哲学の問題である、根源への問いをわれわれへと提示する。

 われわれはなぜ、芸術を求めるのだろうか。
 われわれはなぜ、哲学を求めるのだろうか。
 われわれはいったい、何者なのだろうか。








§2・第4のアルケー


──契機スイッチの哲学──







3つの根源



真理は時として奇妙で滑稽なものだ
そして美しい

──サンサーラ・ナーガ/幻獣シンの夢の中の都市に佇む修行僧の独白





SWITCH

 コンピュータのプログラムの論理手順というものは、かなり特殊なものでない限り、基本的には反復処理(ループ)という形をとることが多い。だが、ほとんどのプログラムは、基本的な論理の筋道だけを通りつづけることはしない。そのプログラムの目的が、永久に同じ作業を続けていくこと自体である場合をのぞいて、なんらかの条件がそろったとき(例えば入力データがなくなった場合や、異常なデータが入力された場合──etc.)、プログラムはきまりきった基本の動作をやめ、別の論理の道筋へと移っていく。

このとき、条件の成立を告げるために設けられた論理装置のことを「スイッチ」と呼ぶことがある。

 ひとつの情報処理システムと考えた場合、われわれの精神活動も、通常は基本的な処理パターンをくりかえしている。生活時間の大半の部分においてのわれわれの思惟は、現実的な、実務的な領域を逸脱することは少ない。宇宙の神秘や精神の深淵、時間の果てなどのごく特殊な問題ばかりが(それを職業としている人は別として)われわれの頭を占めることがそれほど一般的でないのは、そういう習慣が世間からあまり快い目で見られないという事情によるためだけではない。天文学の観測に没頭するあまり足元のどぶの存在を失念して下女の失笑を買ったタレスの例はあまりにも喧伝されたため、世の中の天文学者や哲学者はどぶに対してことのほか注意を払うようになったが、哲学や芸術などの思索そのものは、生産活動や実務業務には比較的向いていないように思われる。芸は金を稼ぐが芸術は金を浪費するといった言葉や、哲学は一片のパンも焼かぬというショーペンハウエルの謂のとおり、われわれが四六時中哲学や芸術の問題について思索し続けていたとしたら、社会の生産性はおそらく現在より若干低いものとなっていたことだろう。

 人間の思考は、常に自由に活動しているわけではない。普段はもっぱら習慣的な思考がわれわれの頭を支配しており、われわれはいちいちそのたびに物事の根本に立ちかえった思考を巡らさずとも日常生活を送ることができている。例えば、われわれは毎日職場へ通う場合、しばしばほとんど無意識に電車に乗り、特に深く考えることなく目的地に到着することができる。職場にたどり着く方法についての都市交通論上の議論や、あるいはまた職場へ出掛けるという行為の持つ哲学的意義についての思索は、早朝のラッシュで殺気立ったサラリーマン諸氏にはあまり似つかわしいものではないかもしれない。もっとも、このこと自体別に悪いことではない。もしもわれわれが、毎日のごく瑣末な行為のたびにいちいち心を砕かなければならないとしたら、われわれの精神的疲労は今よりもずっと大きなものとなっていたことだろう。

 しかしわれわれは、ある時ふと奇妙な感覚に襲われることがある。ふだん特に意識せず見慣れていた物や風景が突然見慣れないよそよそしいものとして映り、今まで疑うことなく信じていた事実が急に不確かなものに思えてくる感覚、このような感覚についての体験は、ごく一部の者のみが味わう特殊なものではないであろう。時としてわれわれは、こういった気分を作為的に作りだし愉しみさえする。たとえば、一般に旅行が人気があることのひとつの要因として、日常的な感覚からの逸脱という動機をあげるのは決して的外れなことではあるまい。われわれの生活の局面において、こうした逸脱はしばしば訪れ、われわれにさまざまな気分を味わわせる。  こうした「逸脱」のある部分は、芸術の鑑賞や哲学的思索の本質的部分に重要なかかわりを持っているように思われる。本質や意味についての思惟、存在そのものへの思惟は、日常的な意識の範疇では到達することのできない知の領域である。それはわれわれが普段埋没している日常からの、意識の逸脱を必要とする。いな、それは単なる「逸脱」を超えたもの、いわば「超越」だといえよう。われわれは、芸術や哲学の中に「超越」をもとめ、「超越」の中に芸術や哲学の本質を見いだそうとする。この循環の意味を明らかにすることは、当論の目的の重要な要素である。

 それでは、われわれの「超越」は、はたして何によって引き起こされるのだろうか。精神の「超越」を触発する契機──われわれの意識を日常生活の習慣的思考という反復処理のロジックから抜けさせる「スイッチ」とは、いったい何なのだろうか。

アルケー

 古代のギリシャ哲学の主な目的は、自然を説明する「原理」を見いだすことであった。自然の中にみられるさまざまな現象への探求心は、「万物の根源」という知の形態を生み出した。根源の思想の時代、哲学の根源という問題もやはり議論の対象となった。アルケーという言葉はふつう、世界をかたちづくる根源的なものという意味において語られる。タレスにおいてそれは「水」であったし、ヘラクレイトスにおいては「火」であり、ピタゴラスは「数」こそが万物の根源──アルケーであると考えた。  この時代、知のまなざしは自然の構造へと注がれていた。自然の構造をつきとめ、その知を体系化することが、知の使命であった。そしてその知の背後には、自然に対する素朴な驚きの感情があった。  人をして知へと駆り立てるもの、いわば知のアルケーとはなにか。プラトンは、「驚異の念」(タウマーゼン)こそ、哲学者のパトスでありアルケーであると記している。アリストテレスらにおいても唱えられたこの考え方は、世界の実相を探求し、最初の学術体系を構築せんとするイオニア哲学以来の知的態度と深くかかわっていた。すなわち驚異の念は自然への視から生じ、その結果、その真相を極め、世界を体系化しようとする、いわば「構築の知」へと向かう傾向を持つのである。

 人はまず、驚異のまなざしをもって世界を俯瞰する。この視線より生じる知は、圧倒的な「世界」への知であり、そして世界に対するそのまなざしそのものはあまりに弱くかぼそい。だがそのまなざしは、巨大な世界を「知」をもって区切り、混沌の連続性を秩序の非連続へと体系化しようとする、構築の知なのである。

 一方、構築された体系の中で培われた知は、時代を経るにしたがって素朴な驚異のまなざしを失ってゆく。むろんそれが知的営為の動機として常にあり続けることが変わることはない。だが人を知へと向かわせる根源は、一次的なものから二次的なものへ、すなわち自然への素朴な驚異のまなざしから、知の形態を規定する前提そのものに対する疑いと批判のまなざしへと移ってゆく。

 それは特に、「我」の意識の確立に深い関係をもっている。「我」という点、すなわち主体をもったまなざしは、言い換えれば視点の定まった「観照」の産物である。主体という特殊な一点を得たときより、知は神の知から人間の知へと変わった。無垢な観照は驚異を生む。だがそこに「主体」のまなざしが立ち入るとき、それは「解釈」の視線へと変貌する。そしてその根底に見え隠れするものは、果てることのない疑いの精神である。

 限りない疑いと批判の精神は、既在の体系をどこまでも追いつめてゆく。こうした疑いと批判のまなざし――「懐疑の念」によってつき動かされる知の形態は、あるときは厳密学へ、またあるときは不安の思想へと向かってゆく。そしてその知的営為は、しばしば破壊という方法において展開するのである。デカルトの「我」の発見が懐疑の念から生まれたことはあまりにも広く知られているが、この思想は厳密な方法論のもとに過去の数々の形而上学の体系を破壊し、厳密学として再構築することを目指したものであるとともに、時代に神を失った近代の不安をもたらした思想でもあった。こうした懐疑の念は、驚異の念とともに本質的な知の根源として、常に人を知的営為へと向かわせ続ける。

 驚異の念によって喚起された知の形態は、主として客観の地平に展開する。こうした知に対して、まったく主観的な内省の知もまた、ひとつの地平を形成する。懐疑の念によって芽生えた「我」の観念は、その思索者を「主体」の思考へと導いた。

 こうした知的地平を喚起するものは幾つか考えることができる。だがその中でも、ひときわ根源的に、本質的に、人をして知的営為へと駆り立てるものをあげるとすれば、「単独者の意識」(アウスナーメ)がそれにあたるだろう。

 単独者の意識とは、自己の非・他性に由来する。自己の人生が唯一無二であり、他のいかなる者とも交換不可能であるという意識、言ってみれば自己以外の世界からの例外者の意識とも言える。この形式の知が特に着目されることとなったのは、主に近代における実存の発見によるものが大きい。しかし、ニーチェやキェルケゴール、ヤスパースなどの哲学にみられる単独者の意識は、みずからを世界の例外者とする「個の哲学」の根源として、あらゆる時代のあらゆる知の地平に潜んでいるのである。

 以上挙げた3つの意識は、人を本質的な知へと向かわせる重要な契機として機能する。過去の優れた思想体系や芸術はみな、何らかの形でこうした本質的な知の根源──アルケーにかかわっていると言ってよい。そしてその中で、驚異の念、懐疑の念、単独者の意識のうち、どの知的契機に強くその由来を持っているかにより、それぞれその体系の性質は異なっていく。

 押井守の作品はしばしば、われわれを深い思索へといざなう。その大きな理由は、押井作品がこうした根源的契機に極めて原基的な部分からかかわっているためにほかならない。この章ではまず、押井作品に内在するこれらの知的契機を、分析的なアプローチによって明らかにしたいと思う。




 


野に咲くパンジーの伝説    ──犬の視──








二酸化炭素を吐き出して あのこが呼吸をしているよ
 曇天模様の空の下 蕾のままで揺れながら
野良犬はぼくの骨くわえ 野生の力を試してる
 路地裏にツキがおっこちて 犬の眼球はシカクだよ
きょう人類がはじめて 木星に着いたよ
 ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ

たま さよなら人類




トーテム

 近代の西欧文化は、理性の文化であった。その知的根拠は、「進歩」に対する確信、科学と技術に対する絶対の信頼をもとにした一種のオプティミズムの世界観であった。この世界観の背後には、永く続いた前理性的な中世暗黒時代の克服の自信と、キリスト教的な神に約束された、上昇志向としての弁証法的な時間の観念があった。時間とは、人間が神の国へと進歩してゆくための梯子であり、進歩とは人間が根本的に持っている属性である──それはもはや疑う余地のないものであり、当時の人々にとってこうした世界観は、もはやその他の世界というものを考えることの出来ない、神の世界を模したはずの唯一無二の世界観であった。

 そうした時代にあって、人々の好奇の目を引き続ける異質の世界があった。それは、キリスト教宣教師の布教などによって西欧に伝えられる、いわゆる未開社会の見聞であった。

 キリスト教的世界観において、神の姿に似せられた存在である人間は、自然界にあっても特権的な位置にあった。人間と、非人間としての被造物である動物とは質的な断絶の関係にあった。そしてその隔絶もまた、神に約束された絶対的な真理であった。だが、暗黒大陸や新大陸に見られる未開人の社会は、そんな西欧文明人の倫理常識を根底から揺さぶるものであった。

 たとえば彼らのある部族は、みずからの一族をバナナの末裔であるといい、またある部族には、自分を熊や狼の子孫だと考える者がいるというのである。すなわち彼ら未開人は、ときに動物を自分の同胞とし、またはなはだしき場合は自己もしくは自己の一族を特定の動物の血族であるとすらいう、ときの西欧文化社会とは明らかに異質な世界観をもっていたのである。そしてこれは、キリスト教的西欧合理主義のもとに生きる文明人にとって、自己の立脚する知的基盤を否定する恐れすらもつ、涜神的で危険極まる世界観であった。18世紀を待ってようやく確立した近代的自我を守るために西欧文明社会がとった態度は、こういった未開文化社会に対する徹底的な差別の姿勢であった。モダン・アカデミズムの学術界は、この異質の文化に、考えられるありとあらゆる異常で醜怪な要素の概念を重ねいれた。彼らは、動物と人間を無差別に連続的なまなざしでとらえるというこの野蛮な思考が生む劣悪な文化現象という独断的評価を、何もかもひっくるめて「トーテム現象」と呼んだ。

 未開社会の文化現象に見られる異質な思考の形態に対して与えられた「トーテム」という多分に乱暴な名辞は、実のところかなり古くから特に人類学の世界で扱われていた。トーテムとはそもそも、北米大陸五大湖北部に住むalgonkine族の言語ojibwa語において、『其は我が一族の者なり』を意味する言葉「o-t-ote-m-an」の音韻をとってつくられた造語である。合理的思考のもとに世界を秩序ある「非連続」の体系と見做す(ことを標榜する)キリスト教的世界が、「野蛮な思考」において世界を混沌とした連続のまなざしでとらえている(と考えられていた)未開社会に対して下した評価は、このようなトーテミズムといった思想に代表される、ほとんどヒステリックなまでに断定的・目的論的なものであった。

 このトーテミズム論は、長きにわたり西欧合理主義の常識であり、大局において揺らぐことがなかった。しかし20世紀の半ば、この知的態度は急激な批判にさらされることになる。それは、後に世界のあらゆる知的潮流に革命的な影響力をふるうこととなる「構造主義」の出現によるものであった。

ソシュールの記号学・トルーベツコイの音韻論

 構造主義という思考法は、文化人類学の分野において出現した。だがその源流は、ソシュールやトルーベツコイらの言語学に求めることができる。

 ソシュールは、1907年から1911年に行われ、1913年に再編成された『一般言語学講義』等において、「ランガージュ」(言語活動)を、「ラング」(言語)と「パロール」(言)とに分け、そのうちラングをもっぱらその研究の対象とした。パロールとは、言語を話す個人の、主体的で個人的な言語活動のことであり、一方のラングとは、言語体系社会を構成する言わば規約や制約の総体をいう。ソシュールの方法は、言語の無意識的・基礎構造的な要素であるラングを、ある意味の規約にのっとった記号の体系としてとらえ、特にその音韻と意味における「差異」に着目する。つまりソシュールによれば、「語」は単に何らかの意味や概念をあらわすものにとどまらず、「それと区別されるべき他の語」との対立と比較、すなわち「差異」の存在においてこそ意味と価値を獲得し得るものなのである。ソシュールはいう。「言語には差異しかない」

 このときソシュールは、意味論としての言語学を展開する。ソシュールの言語学の分析対象は、物理的な音声としての言語ではなく、意味するものと意味されるものとの連合という関係の中のみに存在する「記号の体系」なのであり、そこには実体というもののない恣意性が存在する。

 また、ソシュールの言語学において重要な点として、「サンクロニー」(共時態)の重視がある。言語は、「共時態」(サンクロニー)という軸と、「通時態」(ディアクロニー)という軸を持っている。共時態とは、言語という全体における、体系としての関係、すなわち言語の同時代的な体系としての視点であり、また通時態とは言語の歴史的発展の視点である。ソシュールによれば、ディアクロニー(通時態)とはつまるところ、ある時代と、別の時代との言語の体系の「ずれ」、すなわち差異の関係に還元されるべき問題であり、サンクロニー(共時態)こそが考察の対象となるべきものなのである。

          *

 自然科学の分野において核物理学が及ぼした影響と同等に論じられるほど強大な影響を、社会科学の分野においてふるったと言われるものがある。それは、トルーベツコイらに代表される、言語学の音韻論的革命である。この知的運動もまた、構造主義誕生の胎動であった。

 トルーベツコイはヘーゲルの知的影響のもと、ソシュールの言語学の成果を批判的に摂取した。すなわちソシュールは、歴史的視点であるディアクロニー(通時態)は意識されない次元の問題であるのに対し、同時代的なサンクロニー(共時態)は人間の意識にのぼる「意識された体系」であるとした。ソシュールのプログラムでは、この「意識されたもの」こそ首尾一貫した研究対象となりうるということになっていたが、トルーベツコイは共時態にも無意識的な部分があり、共時態と通時態との差異は小さいとし、また無意識なものも研究対象になりうるとした。

 トルーベツコイは、その言語学における音韻論の方法について、四つの基本項目をあげている。第一に音韻論は、意識的な言語的諸現象の研究よりもむしろ、それら諸現象の「無意識的な下部構造」を研究対象とする。第二に、音韻論は、さまざまな要素をそれぞれ「独立した実体」としてとらえようとせず、むしろその要素・項目間の「関係」をこそその分析の基礎とする。このことから、第三に、音韻論は「体系」という関係論を重視し、音素をあくまでも体系内の要素とし、さらにその体系間の「構造」を導き出す。そして第四に、これらの研究から、音韻論は「一般諸法則」の発見をその終局的な目的としてめざすのである。

 この基本的な方法は、まさに時代の要求だったのかもしれない。時代は、かつてデカルトのコギト以来近代的な知が追及してきた、神の精神への発展を前提とした「意識の思考」から、神の視線を失った、不気味な「無意識」や「下部の構造」の追及へと、そのまなざしの対象を移してきたのである。そしてそれは、現代的知へのひとつの決定的なターニングポイントであった。

マルデロールの歌

 19世紀の詩人ロートレアモンは、アルチュール・ランボーと並び、アンドレ・ブルトンやマックス・エルンストらシュールレアリストたちによって注目された。中でもその詩集『マルデロールの詩』の中にある「ミシンとこうもり傘との解剖台の上での偶然の邂逅のように美しい」なる一節は、シュールレアリズムの精神の状態を説明するひとつの例としてたびかさなる喧伝をうけ、あまりにも有名となった。

 それはまさに、まったく関係を欠くものたちの唐突な瞬間の狂気と、鑑賞者の瞬間の驚愕によって生み出される原基的・本質的な芸術性とに対してなされた評価であり、人工的な概念の体系である学術的説明の範疇の外にあるものとして提出されたテクストであった。しかし、記号学や音韻論の手法を学術方法論として採用した構造主義は、こうした狂気の構造を分析し、その背後に横たわる知的秩序を明らかにする。その成果を見る限り、この一節の章句は、押井守の作品『機動警察パトレイバー・劇場版』と同じ構造をもっていると言えるのである。これよりその思考経路をたどってみることにしよう。

 この章句には、ミシン(machine a coudre)、こうもり傘(parapluie)および解剖台(table d operation)という三つの物が登場する。このうちミシンとこうもり傘との間にはまず、音韻上の構造の相似という関係があるという。すなわちミシン(machine-a-coudre)とこうもり傘(par-a-pluie)は、母音[a]を基とする対比関係にある。

 また意味の構造関係において両者の間には、類似と相違が均衡を保っている。つまりミシンは布を「貫く」ためのものであり、一方こうもり傘は雨が「貫かない」ようになっている。そもそも金属製のミシンは「硬く」また「重く」、布に対して「能動的」な働きをするが、布製のこうもり傘は「柔らかく」て「軽く」、雨に対して「受動的」なものである。ミシンは一般に使用者の「下部」にあって機能を果たすが、こうもり傘はふつう使用者の「上部」にさして使われる。ミシンの「鋭い」針は「角張った」本体の端に「下向き」についているが、こうもり傘の「鈍い」先端は、「丸い」本体の中央に「上向き」についている。このように両者は、その潜在的な意味において連続的な二項対立の関係を構成する。

 言語学では特に二項対立のモデルを重視するが、この章句において両者の二項対立は無意識的下部構造を形成し、その鑑賞者はそれと知ることなく、無意識の驚異へと導かれてゆくのである。

 さて一方、『機動警察パトレイバー・劇場版』に対し押井守は、その潜在的な構造について、次のように語っている。

敢えて云わせて戴くならば/これは、なによりもまず対の物語なのです//過去と未来、滅びゆくものと来るべきもの/去りゆくものと訪れるもの/そして、呪われたものと祝福されたもの……//古い町と新しい町/後藤としのぶ/遊馬と野明/榊と実山/松井と片岡/98式と零式/帆場(エホバ)と後藤(ゴッド)/……(中略)……重要なのはその同じ構造を重ね続けることだったのです/それが構造をもつに至るまで/……(1989/12/09『機動警察パトレイバー・劇場版』札幌上映会によせて)



 芸術作品というものを、鑑賞者の精神に対してはたらきかける一種のコンピュータ・プログラムとして考えた場合、『機動警察パトレイバー・劇場版』は、そのステップ数において、『マルデロールの詩』の章句より圧倒的に大きく、複雑多機能である。だがその解読に構造主義の視点を取り入れて見た場合、プログラムとしての両作品は、同じ「タイプ」として分類されうるものなのである。

 先の解読に際して、分析者は『マルデロールの詩』の章句における二項対立の構造を発見するための「キー」の存在を挙げている。それは、「解剖台」という要素である。この詩句の中で「解剖台」は、ミシンおよびこうもり傘の共通な下部存在という位置にあり、そしてまたそれは、「学術的」な「解体」や「分析」などの諸概念を暗示する。これによって分析者は、当作品に関し、意味論や音韻論、また構文論などの諸視点に内在する構造に対しての「分析」という方法の妥当性を得ることができるのだという。それでは押井守作品にも、何らかの「暗示」はあるのだろうか。天才プログラマー押井守の、いまだ謎に包まれたプロテクトを解くパスワードは、はたして何なのだろうか。






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