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押井論

方法・地平・射程



Vol.1

へーげる奥田





§序・解釈の希哲学





真性の了解とは、解釈されるべき作品のうちで樹てられている要求に耳を傾けることである。

ブルトマン







『天使のたまご』は「不毛な実験的作品」か


 以前商業誌OUTの誌上において、『天使のたまご』について触れた文章を見たことがある。その記事では『天使のたまご』を「不毛な」「実験的作品」として決めつけた書き方をしていた。

 これはおそらく、どこかその辺のあまり教養や才能に恵まれないフリーライター(自称)あたりが無責任に書きなぐった紋切り型表現なのだろうが、なかなかに興味深い発言である。当時これを読み、押井作品に対するこの業界のいわゆる“一般”の見解を目の当たりにした気がしたものだった。

 いまでも、この種の作品に対して快い感情をもっていない人がいる。よくわからないというのがその根拠である。もちろん、よほど率直な人でないかぎリ、そういう表現はとらないだろう。表向きは、理屈っぽい、エンターテイメントに努めていない、前衛的すぎるなどという理由づけになる。先のOUT誌の記事にも、そういった意識が強く感じられる。だが、この記事のよくないのはその見識の浅さではなく、その態度と、方法のないものの考え方である。「紋切り型」というのは「スローガン」や「モットー」と同じく、思考の省略である。自分にとって理解が困難であリ、興味もないゆえに「不毛」というのは、あまりよい態度ではない。

 ともかく、この文章の執筆者にとってまず必要なのは、自分の乏しい認識力を過信して一見格好よく見えるドグマギーに満ちた文章で価値あるものを断定的に否定し、自分の才能を誇示することではなく、いったい画面の上で「何が語られているのか」を「問題とする」という態度である。注意深く探究していくことによってはじめて、この作品はその真のストーリーを観賞者の前に現すのである。だが、ここで観賞者は、ある過ちに気をつけなくてはならない。それは、「作品」を作者の《言葉》として、すなわち単なるひとつの《陳述》のエレメントとして受けとる認識論的科学方法論的二元論の思考習慣がもたらす過ちである。

 この誤謬はたいへん根深く、われわれの考え方の根底にしみついている。われわれはつい、学校の授業でやらされたのと同し具合に「作者は何を言いたいか」を捉えようとする。しかしそれはあくまで“陳述された”《言葉》の理解にしかならない。われわれが本当にめざすべきなのは、解釈学的な地平における《語り》としての作品への接近である。

 「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。問題は、世界を変革することにあるだろうに」というマルクスの揶揄は、かつてに比べ色褪せた観がある。何よりマルクスの知的地平を凌駕するパラダイムとしての“存在”の思惟の深化が、現代において《解釈》の本質的哲学的意義についての議論を導きだしたためである。《解釈》がすべて人間にとっての最も根源的な遂行運動であることを論証することはここでの主要な目的ではない。だが、人間の“生”の領域におけるあらゆる活動が、すべて解釈学的関係論に立脚した遂行運動に他ならないことは、現代の思想的潮流のすべてが示すとおリである。すなわち、かつて追い求められた“世界の知(Weltweisheit)”としての学術全般は、主客二元論に立脚した要素論として後退を強いられ、世界内存在としてある主体と、解釈を迫るテキストとしての世界との解釈学的循環を前提とした思想潮流にその主要な場をあけわたしている。むしろ現代の知は、そういった関係を前提とした解釈の能動性の発揮、また《解釈》の背後に横たわる深層構造にその興味を移しているように思える。とにかく、主体は解釈をもって世界に語りかけ、世界は開示をもって主体に語りかける。この関係論を、文献学的次元において実践せんとするのがこの文章の方法である。

 つまりこの文章の目的は、「押井守が何を言いたかったか」の解説ではなく、あくまで現代においてのわれわれと作品世界との《関わり》を前捉として展開される、解釈学的な議論である。それはつまリ、現代という場において語られた《声》としての作品に実存論的に身を開き、「耳を傾けつつ《聴従》(hoerig)する」ための先行的理解のための研究である。極端な言い方をすれば、押井守が個人的にどのような主張を作品に込めていようと筆者にはあずかり知らぬところであるし、またこの文章を読む読者諸君が押井作品をどのように観ようとこれまた筆者の知るところではない。ただこの「“押井作品”が語られる《場》の先把」とも言うべき、《現代》という地平へのアプローチであり、そしてまた観賞者の、作品世界に暗号として隠された作者押井守の真理要求との対決を、あるいはその知の地平と観賞者自らのもつ世界解釈をなすべき地平との融合を、“可能ならしめるための”一運の論述にすぎない。

 押井守の作品を観た時のことを想い出してほしい。一部の観賞者は、ある瞬間、不思議な、そして深遠な問題の存在を感じたことだろう。誰もがそのとき、何らかの意味で本質的な思惟への衝動に襲われたにちがいない。

 “現実と夢”──それはまず、このはてしない永遠のテーマの形をとって現れた。

 「われわれが生活しているこの世界は、一見確固たる現実と思われる。しかしはたしてそれは本当に確かなことなのだろうか。ある誰かの見ている“夢の世界”との決定的な違いは、はたして証明できるのだろうか……」この問題は、人類の思想史上で繰り返し問われてきた問題である。しかし同時にそれは、われわれ自身があるとき必ず出会い、考えることとなる問題でもある。その思惟は、ある者にとってはふと頭をよぎりすぐまた去っていく子どもっぽい錯覚であろうし、またある者にとっては人生の大半をすら費やすほど深く素晴らしいスフィンクスの謎かも知れない。

 現代ではだれでも手軽に習得できるような分野でないと流行にはなりにくい。こうした問題領域はしたがって、あまり一般的な流行にはなれそうにない。だが、そんな時代の子であるわれわれにとっても、こうした問題領域は知的興奮をかきたててくれる興味深いテーマである。こういった問題領域は一般に“哲学”と呼ばれている。実のところわれわれは、一般に考えられている以上に、人生や世界、認識や存在などの問題について思索し、論じることが好きである。これは、“哲学”が流行であった戦前の旧制高校生の事情とそれほどかわらない。だが少なくとも現在の日本の中学・高校教育では哲学の講義はほとんど行われず、そのような問いかけは成績や経済価値に反映しないものとして軽んじられる。そんな状況にあって、押井守の作品を観ることにより初めて、あるいはまたあらためて、かつて幾度か心の片隅に芽生えては燃え上がった記憶のあるさまざまな問題たち──認識や世界や存在の哲学の問いかけを、明瞭に意識した観賞者もおそらくいるだろう。すくなくとも我々はそのとき、押井守の世界の入り口に立っている。





 


§第一章 存在の思考 ──存在の哲学──





1 知の方法論


テクストを了解するには、私たちみずからが問いはじめなければならない。

ガーダマー






問い


 さて、われわれはまず押井守の世界をどこから、どのように読み始めるべきなのだろうか? 正直なところ、領域をいちはやく特定することは大変困難である。押井守の作品世界に内在するテーマは、ひどく広範囲にわたり、またなおかつその深さにおいても非常にさまざまな水準に及んでいる。たとえばある者は『ビューティフル・ドリーマー』に古代中国思想の問題意識を見いだしたろう。またある者は『天使のたまご』の中に、フロイトやメルロ=ポンティのいわゆる“肉の存在論”のほのかな香りを嗅ぎ取ったかも知れない。『紅い眼鏡』にファウス卜的逃走や60年代イデオロギー闘争の世代の思想的背景を感じた者、『御先祖様方々歳!』の背後にレヴィ=ストロースの親族構造論の片鱗を見た者、パトレイバー『劇場版』に象徴言語の隠喩によってなる超越諭的な言語ゲームを垣間見た者、『迷宮物件/FILE-538』にホフスタッターの不思議な論理の存在を感じた者……いったいわれわれはどの先達に教えを請えばよいのだろうか。

 押井守が現在の形で注目を集め始めたのは、TVシリーズ「うる星やつら」におけるオリジナルのエピソード『みじめ!? 愛とさすらいの母!』から、というのが現在もっとも支配的な説である。この作品において押井氏はずいぶんと苦言を受けられたそうだが、マニアックなものの見方をするファンの間ではその評価はかなりあがったらしい。たしかに、その内容は、すくなくともゴールデンタイムに放映されたTVシリーズアニメとしては、たいへんハードな問題を扱っている。現実と夢の不可分性を論じたこの作品は、それ以降の押井守作品の作品性を方向づける原基的なものであった。じっさい、それ以降の押井守作品の評論を読むと、そのほとんどすべてがこの作品の固有の問題地平を、それ以降の作品のものと無差別に近い扱いで論じている。

 だが実際のところ、この段階の議論には限界がある。現代に生さているわれわれは、整備されたマニュアルがないと新しい行動を起こすことをためらいがちだが、この傾向は残念なことに“思考”の面に最も顕著にその例を見ることができる。考えなくてもよい場合、われわれは思考を休む。どう考えてよいかわからない時はなおさらである。たいていの人は押井作品の中に、何か漠然と「高度な思考」を嗅ぎとるが、数の観念の未熟な未開人が両手指の数以上をすべて「タクサン」として総括してしまうように、多くの観賞者はそれを「むずかしいテーマ」として総括する。彼はそれ以上考えることをしない。そしてそんなとき彼の自我を守るのは、「作品は“感性”で観るものさ」という常套旬である。

 シュペングラーの詩的な記述で有名な、崖から落ちる瞬間の人間の脳裏を横切る瞬時の回想は、実は蓄積されたあらゆる記録から打開策を検索しようとする脳の最後の情報処理機能だという説がある。新しい方法がない、あるいは必要ないとき、われわれはいままでの経験の範疇と方法とで考えようとする。だがこのとき、われわれが超個人的な技術的思考に到達する確率は、がっかりするほど低い。

 押井守の作品と対決するためには、あなた個人の限られた思索の歴史を超えた“方法”が不可欠である。そのマニュアルはあるにはあるが、大学の図書館へ行く労力と、はげしい退屈に対する覚悟が必要である。そこでこの章ではまず、ひとつの技術的思考方法と、“知”のフィールドがそこに至った軌跡をおおざっぱに記すことにする。大学等で専門的な研究をされた諸氏には退屈な記述となるだろう。その場合は読みとばしていただいて結構である。




存在と意識


 われわれは一般に、周囲をとりまく日常的な《世界》を、客観的・公開的な環境世界として無条件に信じ、疑わない。こういった素朴な認識態度は“自然的態度”や“素朴実在論”などとよばれる。

 しかし一方、一見自明とも思えるこうした客観的世界を無条件に信じず、主観的認識を中心に素朴な実在論に疑問を唱える立場がある。世界の成立根拠を客観的な実在に置かず、あくまで意識と意識に映ずる表象に求めるという思想群である。こうした立場は内省論、懐疑論、観念論等とよばれ、時代・地域に関係なく常に人類の思想史上に現れる傾向にある。なかでも近代以降に限定すれば、特にヨーロッパにこの思想的傾向が強い。

 そもそも近代人のこうした思考習癖は、デカルトのコギト以降“意識”に対する興味が特別な重要性を帯びてきたことに大きく由来するだろう。意識自身にとって“意識”は比較的透明性をもっているのに対し、意識の“外”の世界は常に不透明性を帯びている。バークリーやフィヒテのように主体の意識の内部に認識の王国を築く没世界的な内省論にしろ、デカルト自身やデイヴィッド・ヒュームのように主体の認識の不完全性からただ眼前に広がる世界の実在を信じ得ず、意識それ自体の内部と外部とにそれぞれの世界を創造し、その双方の間に絶望的な断絶を設けてしまった二元論的な懐疑主義にしろ、その深層構造を同じくする知の場からきわめて自然に産み出される思考と言うことができよう。またこういった視点から考えた限り、空間の認識にとどまらず時間の認識にも同様の知的態度を見ることができる。すなわち、客観的な時間の存在を完全に、あるいは条件つきに否定し、時間の成立根拠をそれを認識する主体に由来するとする思想である。西洋哲学において、アウレリウス・アウグスティヌスに一つの源流をもとめられるこの思想もやはり近代思想史にその姿を現し続けている。カントールによる時空間の実在性の証明もこれらの思想群を沈黙させるには至ってはいない。

 こうした知的態度の対立の根底には、存在と意識の対立の思考習慣がある。

 伝統的な哲学では、意識や精神は神からの付与をその由来とし、広く“存在”の中に含まれるものであった。この“存在”は総括的に第一哲学としての形而上学において語られ、精神と存在とは対立するものとしてはとらえられていなかった。はるかな時間を経、中世から近代に移ろうとする時代、デカルトの「懐疑」という方法において初めて《意識》は《存在》の従属物以上の地位を与えられることとなる。のちに実存哲学の先駆と称された“我”の発見は、人類の思想史中最もドラマティックな瞬間であった。だがそれは同時に、人間がまさに死にゆく神の呪いを受けた瞬間でもあった。オリュンピカに記された悪夢において雷鳴とともにデカルトを襲ったのは、“悪意の霊”に象徴される涜神の意識と、自身の所業に対する激しい不安と怖れであったという。そしてその時より始まった、存在と意識のトートロギーに満ちた関係を明らかにしようとする近代西洋哲学の必死の試みは、独断と懐疑との峡をあてもなく彷徨することとなる。

 この問題は、カントが「コペルニクス的転換」ののちに慎重に提示した紳士的な説明で、ひとたびは結論づけられたかに見えた。だがその結論すら、多くの不徹底さを残していた。結局、存在と意識とのリアルな関係論の総合的な理論化は、カントの後に現れ“近代”を終焉せしめたヘーゲルの巨大な体系の出現を待ってすら完全には成し遂げられなかった。そしてその近代最後の激突は皮肉にも、へーゲルに挑むマルクスとキェルケゴールという三つの弁証法の中に発現するのである。

 ヘーゲルの体系は、意識の論理によって成っている。デカルトはコギトという“意識”によって“存在”に懐疑をとなえ否定したが、ヘーゲルにおいて“存在”は“存在の意識”であって、意識による存在の否定はすなわち“意識”による“存在の意識”の否定、つまり意識による意識の自己否定という矛盾の構造を展開する。“存在の意識”は意識であるとともに在在であるから、自己自身を自己の対象として外化する。しかし同時にやはりそれは意識でありつづけることによって自己を自己へと統合する。このダイナミックな発展の構造がへーゲル弁証法の基本原理である。

 これは“意識”の体系でありながら、存在論としての形而上学の形式をとる独特の体系である。だが、近代最大の体系であるヘーゲル論理学も、やはり真に総合的な“存在”の論理を解明しつくすには至らなかった。その一つの現れとして、ヘーゲル形而上学の方法に対するマルクスの攻撃的な評価はあまりにも有名であろう。また、現実的な“生”のカテゴリーとして“実存”の問題を提出し、質的弁証法によって観念論としてのへーゲル体系を此判したキェルケゴールの立場も忘れるわけにはいかない。

 しかし、自らの方法に“科学”を標榜し、唯物論の弁証法を展開するマルクスの立場は、つまるところすべてをプロトコル命題に還元しようとする論理実証主義と同様、存在の深層を知らずただ此岸的事実の総体を読む“ただの”唯物論であった。また逆に、世界公開性と、主体が物理的次元で依存せねばならないはずの客観的存在を見失い、なおかつ彼岸者である神にのみ救済を求めねばならなかったキェルケゴールも、やはり不完全であった。真理の真相は、存在と意識、主体と客体を、高次の次元よりともにつらぬく“何か”にあった。究極の真理を夢見つつ、果たすことなく消えていった哲学者の幾人かは、ぼんやりと、しかし確実にそれを“見て”いた。押井守も、いまそれを見ている。




意志の哲学


 科学の歴史は進歩の一途をたどってきた訳ではない。現代の科学的世界は人類にとって二度目の経験であり、その間には明らかな退歩の歴史があった。

 科学的思考法の最初の発達は、紀元前約六百年のイオニアで始まった。世界を秩序あるものとし、論理と実験を武器に世界の真相に迫るその態度は、現代の方法と大変よく似ていた。それは数百年のうちに衰退し、アレキサンドリアの崩壊とともに失われた。そののち、長い中世の暗黒が歴史を覆っていく。人類がこの成果を再び手にするのにはルネッサンスの時代を侍たねばならなかった。哲学の歴史にも、きわめて似た事情を見ることができる。

 イオニアの科学が栄えていたころ、哲学の追及は世界の真相に対してなされていた。存在の実相こそ哲学的思索の変わらぬテーマであった。ある人物の出現を境に、哲学は“存在の実相”から離れることになる。それは必ずしも退歩ではなかったかもしれない。だがそれはある意味で“堕落”であった。その人物は、ソクラテスだった。

 二ーチェは、哲学を堕落せしめた張本人としてソクラテスを糾弾する。この“自ら名乗る愚者”によって、人類の知は存在そのものの意味を語る“大地の思惟”を忘れ、矮小な“道徳”を云々するようになった。以来、人類が再び存在の思惟を取り戻すには近代の到来を待つことになる。

 存在の真相の思惟が人類の思想史に再びその姿を見せたのは、19世紀を持った近代の終盤の時代であった。実在と現象の二元論が激しく交錯している時、それは“意志の哲学”という奇妙な思想の形をとって現れた。

 アルトゥール・ショーペンハウエルの“盲目的な生への意思”は、激しい批判を経てニーチェの“権力への意志”の思想を生む。だがそれらの思索の背後には、イマニエル・カントの“物自体”があった。

 マルクスがカントの哲学を批判した「不可知論」という嘲笑的な評価は、あまりにも広く知られている。だが、このときマルクスのおかした過ちについてはそれほど広く知られてはいない。“存在の思惟”はマルクスの時代の射程を超えたものだった。そして何よリマルクスは「嘲笑わねばならなかった」。嘲笑うことこそが、みずから起こした宗教に対する彼の開祖としての最も誠実な儀礼行為だったのである。

 カントの“物自体”の思想は、つまるところカテゴリー論である。カントは思惟の形式を「分量」「性質」「関係」「様相」の四つの群から成る十二の範疇(カテゴリー)に分け、理性の可能的経験の領域と、その限界を示唆することに取り組んだ。この仕事は、理性の理論を確立し、宇宙の涯や時間の限界の問題に一つの解答をもたらした。だがその成果の本質は、後のハイデッガーの展開した存在論的差別の方法論に通ずるものであった。すなわちそれは哲学史にとって、単なる実在と現象の二元論を超越した、高次の存在論の可能性を開示する“事件”だったのである。“物自体”に対するニーチェの心酔、『カント・ブーフ』にみられるハイデッガーの評価は、この点にその由来をもっている。


〔補遺 こういったカントの思惟は、ただ思弁的、形而上学的な段階の議論に留まるものではない。この思索は、あらゆる学術や文化の局面にその現実的な発露の例を見ることができる。たとえば言語学的哲学における世界とシンボルの乖離、行動主義的な心理学における性向と行動の関係論、経済学における産業的部分と企業的部分の弁証法、格闘技における勝負と勝敗の不一致、キリスト教における救済と原罪の思想──人間の認識領域は現象界に限られており、物自体を直接認識することはできない。人間が宇宙空間における光線を直接見ることができず、ただその反射によってしかその存在を知ることができないのと同様に時間や空間などを直接認識しえず、ただその内的存在物(即ち現象)によってそれを認識するしかないという“認識力の限界”こそ、人類の悲劇の大きな原因なのである。また、このことはひとつの思考実験を生んだ。もしも、人間の認識力にこのカテゴリーを超越する能力があったら? 感覚的知覚に依存し、現象の世界のみに束縛された悟性に、存在の実相を直接感じとることのできる認識力があたえられたら?……おそらくその者は現在の人間とは認識論的に次元のまったく異なる存在者となるだろう。彼らは“存在”を、その基体そのものから(すなわち物自体の次元から)認識することができる。われわれには“見え”ない非ユークリッド幾何学の世界も、彼らには“見える”だろう。彼らはテッサラクトがどのような立体かを知っている。3次元の空間的延長しか知らないわれわれには、それを“見る”ためのカテゴリーが不足している。それは神の認識に近い存在になるかもしれない。彼らの文化、文明はわれわれのものとは劇的に異なるものとなるに違いない。経済価値はあるが人類に何らの本質的利益ももたらさないような経済財も、“正義”や“平和”といった人工の概念のためになされる戦争も、彼らには無縁のものであろう。そういった認識の能力は、かぎりない憧憬を込めて“超・感覚的知覚(Extra Sensally Perception)”と呼ばれている。このような能力を持った人々の呼称を、“E.S.P.er”という。〕




 自らをカントの正当な後継者とするショーペンハウエルは、残念ながらあまりに“詩的”だった。“存在の真相”をいちはやく見抜いたその『意思と表象』の哲学は、しかし彼自身の望むようには評価されなかった。だがその悪魔的な魅力に満ちた形而上学は、超時代的な天才を出現させた。ひそやかに死への誘惑を囁くショーペンハウエルの哲学に対する激しい憤りとともに、ニーチェは現れた。その“権カへの意志”の思想は、存在の本質を求める古代の思索を復活させた。二十世紀最大の思想家マルティン・ハイデッガーも、知の考古学者ミッシェル・フーコーも、大地の思索者ツァラトゥストラの弟子だった。

 そして時代は、“近代”の終焉を迎えようとしていた。



現代


 19世紀末、物理学は混迷の時代を迎えていた。ニュートン力学に対するマッハの無謀とも思える挑戦は、近代物理学の根底を問いなおすものだった。彼の比較物理学の提唱は、皮肉の意味をこめて『物理学的現象学』と呼ばれた。また数学界においても、新しい知的潮流が起こっていた。デーデキントの無限小解析やカントールの集合論などをその例とする数学的思考の算術化の傾向である。

 これら思想的流派の知的運動は、近代までの世界を何らかの意味において裏打ってきたプラトン主義の思考習慣を打ち破る胎動であった。「証明の背後の何ものかではなく、証明が証明するのだ」というヴィトゲンシュタインの言葉に顕されるように、知は自らを“構成”する。それは、“現代”の到来を意味していた。


 時を同じくして、哲学の世界にもひとつのエポックが訪れようとしていた。カントールの同僚のひとりが、数学の思考法を哲学に持ち込んだ。彼の名は、エドムント・フッサールといった。彼は、物理学のマッハからその学派の名称を借用した。それまで何らかの形で“芸術的”な様相をすら持っていた“哲学”を、彼は「厳密に学問的な方法」によってあらたにシステム構築しようとした。彼はその知的運動を、誇り高い自負とともに『現象学』と名づけた。

 現象学は、記述の哲学である。それはどこまでも冷静に、的確に、あらゆる諸科学が暗黙のうちに認め問わないその根底にまで立ち戻って記述する一種の科学哲学である。したがってそれは、あらゆる認識の大前提となる“意識”の、その“指向性”という根源的な性質が向かうもの、すなわち“直感に原的に与えられた事象”としての《現象》をその固有の対象とする。そのとき、われわれが自然的態度のもとにひたっている歴史、文化、伝統的な思考習慣、諸科学からの理論や知識、個人的および主観的なものの見方などといった各種のイドラ、さらには世界そのものを在りとする存在定立一般をすら問題対象の外部へ置く。それは“括弧入れ”と呼ばれる思考技術の一方法であり、“判断中止”(エポケー)とも呼ばれる。それはあたかも、複雑な外科手術が、各器官の有機的関連の維持に対する十分に注意深い配慮のもとに、麻酔され、切開され、処理されるのによく似ている。この思考実験的な方法を、方法論的に“還元”と呼ぶ。

 この“還元”は、世界の実在を疑うデカルト的懐疑とは異なり、世界への関与や関心から一時的に身を引くことにより自然的態度においては到達し得なかった認識と世界の真の関係に迫ろうという思考技術である。だが同時にこれは、世界と主体の関係を超越的に理解するための技術でありながら、世界と主体の関係そのものを一時的にしろ問題の外に置くという矛盾を内包している。したがってこの思考作業は、段階的に、精密に、注意深く進められる。まず「形相的還元」においては、眼前に提示された対象の本質的把握がめざされ、次いで“主観”の領域を主題とする「現象学的還元」では没個人的な“私の”世界構成としての自我論的構成が問題とされ、さらに「間主観的還元」において多数主観の共同主観的構成による普遍的な対象の客観性が確保される。


〔補遺 単純な見方をすれば、作品『天使のたまご』はこの“現象学的還元”の段階から“間主観的還元”にいたる知的フィールドにおいて語られる「現象学的作品」であるという理解も極端な誤りではなかろう。しかしそもそも、アニメーション等映像メディア上で語られる芸術は、それ自体現象学的要素を強く持っている。虚構であることを前提としつつもその作品世界を感覚対象とする態度は、(不徹底ではあるが)ある意味で明らかに現象学的な思考技術としてのエポケーであり、ひとつの還元である。また特にアニメーションは、非実在的(irreal)な“絵”でありながら、それが動き、声を発することによって「意味を付与され」、「生気を吹き込まれ」、“指向的対象”として構成される。これは、やはり非実在的で客観的な色や音、すなわち「色のごとき或るもの」といった“感覚の色”や“感覚の音”などの材料的成分から成る、いわゆる“ヒユレー的契機”が、“ノエシス的契機”によって「意味を付与され」、「生気を吹き込まれ」て“指向的対象”としての“ノエマ”として構成されるという“現象学的還元”の説明とほぼ一致する。

 またこの場合、声優の存在はきわめて大さな意味を持つ。知覚感性論における“外”の原初的指標は「眼」と「声」によって啓発されるが、特にデリダの指摘によれば、自己現前性を出発点とする明証性は音声記号中心主義に起因するのである。

 現代においてこうした例は、映画のスクリーン、テレビのブラウン管もしくは液晶スクリーン、コンピュータのCRT等の中に非常にしばしば見ることができる。これは、フッサールの時代にはまだあまり見ることのできなかった情況である。すなわち現代は、過去のいかなる時代にもまして現象学的な時代だと言える。そういった意味で、現象学的視点は見直されるべきなのかもしれない。以下述べることとなるが、フッサールのこの思考技術は、(必ずしもフッサールの意図どおりの形でなしに)さまざまな知的潮流に受け継がれていく。アメリカの実在論および自然主義哲学、ヨーロッパの実存哲学、また心理学をはじめとするその他の精神諸科学、そして各種の視覚的芸術。タルコフスキーや押井守も、この影響下にある。このことはこの章の重要な主張のひとつである。〕




 フッサールの試みは、極端な見方をすれば要素論的な“観照の記述”の学であり、一種の思考技術である。それは眼前の世界に無秩序に広がるままにされていたさまざまな存在物を、いったん全体化し、排去することによって得られる「もの」、すなわち現象学的残渣としての純粋な意識と、それに指向的統一を与える“ノエマ(意味)”および“ノエシス(意味付与作用)”などに関する厳密な記述を目的としていた。だがそれは結局のところ、その名の示すとおりあくまで“現象の学”であった。このあとヨーロッパの知的潮流は、フッサールの思いもかけぬ方向へ、すなわち“存在”の思考へと向かっていくこととなる。




存在への思索


 フッサールのこの思考技術は、思いがけない効果を生もうとしていた。眼前的な存在物の排去という操作は“世界”に被われていた自己意識から、それを被う対象的存在を剥ぎ取リ、その内部の深淵を剥きだす結果を生んだ。それによってもたらされたのは、自己意識と対象的存在との背後に共通に横たわり、その深殻に見え隠れる“深淵的存在”の示唆と、それの周囲に漂う“不安”の概念であった。ここにおいて思想史は、M・ハイデッガーの出現という決定的な事実を刻むこととなる。


〔補遺 かつて“存在の思惟”への到達をはたした哲学を検討したとき、ひとつの方法上の共通点を見いだすことができる。それは意識に映ずる現象からの“存在”への接近が、人間の能力として保証されること、言葉を変えれば、人間という存在者そのものが、深淵的存在へといたる認識の現実的通路として重要な意味を擁しているということである。たとえばカントは、因果律に規定された現象界においては保証され得ない人間の本質的自由を、唯一確保できる方法として、現象界から物自体への意識の超越を説いた。そしてここで注目すべきなのは、その超越が人間の遂行行為(カントにおいては定言命法による道徳的格率の遂行)によってなされうるという考えである。同様にニーチェにおいても、精神の革変によって向かうべき“超人”がやはり深淵的存在への鍵を握っている。フッサールの弟子たちが、現象学的方法とキェルケゴールの遺産である“実存”の融合へと向かったのはこうした必然性があったのかも知れない。また逆に言えば、人類の思想史が“存在”へのアプローチのためにこの“実存”の概念に到達するまで、数千年の歳月を要した訳である。だが反面それは人類思想史にしばしば見られる合理的、理性的な形態の“知”ではなく、ニーチェの叫ぶディオニュソス的な生の深層からその不気味な姿をのぞかせる非合理的な地下存在としてしか捉えられないものであり、いわばニーチェの“深淵”、フロイトの“イド”やソシュールの“パロール”、フーコーの“狂気”などと同様ひとつの“アンパンセ(思考されざるもの)”であると言えよう。いわゆる実存の思想群が、どちらかと言えば“夜の思想”、“暗黒の哲学”の一派に数えられるのには、実存という概念のもつこうした性格が由来しているのかもしれない。

 ともかく、フッサールの現象学の知的潮流は、実存の思想群の母胎となった。人間として生きる“実存”にその力点を置き、ただひとり『実存哲学』を名乗ったヤスパース、“実存”を鍵に“存在”の追及にひたすらその生涯を費やしたハイデッガー、生涯を通じて現実問題と闘い、存在と意識と実存の謎に挑んだサルトルらは、みなフッサールの異端の児らである。〕




 ハイデッガーの目指したものは、現象の学でもなければ意識の学でもない。あくまでその背後に基体として積たわる“存在”の学、徹頭徹尾存在の意味を問うことによる一般的哲学であった。この「存在一般」への追及はいかにして実践され得るのだろうか?

 われわれ目の前に与えられているテキストは、あくまでも単なる「存在するもの」である。それは“存在者”もしくは“存在物”であって、けっして“存在”そのものではない。ハイデッガーの指摘によれば、従来の哲学における観念論や実在論の論争は、どちらもこの“存在するもの”と“存在”の差異を不明確なままに展開された、下位の議論であるという。すなわち、世界所属的なレベルにある“存在するもの”を、いかように──たとえば内省論的な観念論の立場からであろうと、唯物論的な実在論の立場からであろうと──解釈しようとも、それは存在論的無差別をおかしたオブジェクト・レベルの議論にすぎない。存在そのものについての論及は、存在するものについての議論とは峻別されねばならない。これが“存在論的差別”である。

 こういった存在論への手がかりとしてハイデッガーは、人間の存在への研究、すなわち現存在の実存論的分析論を具体的方法とする解釈学的現象学を提唱した。そして押井守は、ハイデッガーのこの方法から出発した。以下、ハイデッガーにおける方法論的展開について記述するが、押井守作品群との関係については、特に重要と思われる部分を除き、いちいち述べることはしない。読者諸君自身の記憶と思考力をもって、その方法論的相似性を読み取っていただきたい。







2 ハイデッガーにおける世界内存在としての現存在の解釈学的分析論を方法とする基礎的存在論の展開の試みとその挫折および放棄



三人のきょうだいが、ひとつの家に住んでいる。
ほんとはまるでちがうきょうだいなのに、
おまえが三人を見分けようとすると、
それぞれたがいにうりふたつ。
一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。
二番目もいないが、こっちはもう家から出かけたあと。
三番目のちびさんだけがここにいる、
それというのも、三番目がここにいないと、あとのふたりは、なくなってしまうから。
でもそのだいじな三番目がいられるのは、一番目が二番目に変身してくれるため。
おまえが三番目をよくながめようとしても、
そこに見えるのはいつもほかのきょうだいだけ!
……さあ、それぞれの名前をあてられるかな?
それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。
彼らはいっしょに、ひとつの国をおさめている──
しかし彼らこそ、その国そのもの! その点では彼らはみなおなじ。


ミヒャエル・エンデ『モモ』より



基礎的存在論の方法


 人間の感性はふつう、地球の球面を認識することはできない。人間のあわれな認識力は、地面を球面としてではなく、平面と感じてしまう。この認識は、ほんとうは誤っている。

 だがわれわれは、いま立っている地面がじつは球面だということを知っている。これは感性の認識能力を超えた論理と知性がそう教えるからである。われわれはアレキサンドリアとシエネの日照角度の差を測った経験がなくとも、遠ざかる船が水平線に隠れるまで見送ったことがなくとも、大気圏を離脱する機会に恵まれなくとも、とりあえずこのことを知ることができ、疑わずにすんでいる。

 人間の通常の感性の認識力を超える範疇であっても、われわれの技術的思考は、近似値的にそれに到達し得る。人間は三つの空間的延長しか知らないが、すくなくとも数学者は四つ目の空間的延長のもとに成り立つ超立体というものを知っている。われわれの認識力のメモリーエリアはたしかに地球の本当の姿を直接認識するほどの容量をもっていないが、われわれにはさまざまな図法による地図がある。地図は平面だが、球体である地球をいろいろな投影法によって図表する。地図とは、技術的思考の産物である。われわれは地球の姿を理解するのに、実物大の地球儀を求める必要はない。このとき問題となるのは、認識力の限界ではなく、技術的思考の“方法”である。

 ハイデッガーがその思索の初期に提示した方法は、先に述べたとおり現象学的な解釈学的現存在分析論であった。その根拠は現存在の存在構造にあった。

 “問いをたてる”という行為は、了解と解釈との構造循環の前提のもとに遂行される。ある問いをたてる場合、問うている者は、その問われる対象について、何らかの“了解”を持つことが前提となる。すくなくとも、“問いの構造”についての了解をもっていなければ問いをたてることはできない。問いをたてるためには、何よりまず自分が何についてどのように問うのか知っていなければならない。

 「存在」についての問いをたてることは、非常に特殊な行為である。というのは、「存在」について問うためには、あらかじめ「存在」というものを(曖昧ではあるにしろ)了解していなければならない。これが存在了解(Seinsverstaendnis)である。

 一方、ハイデッガーによれば、人間とは、他のただ存在者としてあるだけの単なるオブジェクト・レベルの存在者ではなく、自己自身をその“存在”において了解し、自己の存在の在りようについて慮り、干渉する、メタ・レベルの存在者であるという。こうした「自己自身の存在の在りように存在関係を持ち」、「おのれをその“存在”において“了解”する」という高次元の存在構造が、人間という存在者の特異な性質なのである。こうした特殊な存在者である人間を、ハイデッガーは“現存在”(Dasein)と呼ぶ。

 現存在は“存在”というものをそのまま認識し得ず、したがって“存在”に対して問いをたてる。だが、その「存在に対ずる問い」をたてることができるためには、“存在”に対ずる了解(存在了解)をもつという特殊な構造が不可欠である。つまり現存在としての人間は、“存在”というものに対して、不透明さをともないながらも、「その本質的な解釈に到達し得る可能性を秘めた」了解をもっている。したがってハイデッガーはその初期の段階において、現存在にはその存在傾向として「前存在論的な存在了解」が属しているため、これを技術的に徹底してゆけば“存在”の問題が表出して来、さらにこの一般的な理論的透明化は単なる「現存在の存在的(ontisch)実存的(existenziell)自己了解」を超え、「現存在の存在論的(ontolosisch)実存論的(existenzial)」了解に到達し得ると考えた。これが「現存在の実存論的解釈学的分析論」を方法とする「基礎的存在論(Fundamentalontologie)」の根拠である。




世界内存在


 ところで人間は、世界の中で、世界にとりまかれて生きている。だが“世界”は、「それを見るもの」の存在の在りようによって、その構造にいくつかの段階をもつ。自然的態度にある人間の素朴な言葉をもって言うならば、世界とは「眼前に存在するもののいっさい」である。これはその存在者の固有の生に立脚する、実存的、存在的な“世界”観である。また「前‐存在論的」視点をもってみた“世界”は、自己の実存形式をその射程に入れた観点より、「事実的な現存在が現存在として“その中に生きている”ところのもの」に変貌する。それは単なる“私の”世界を超え、「公開的な(Oeffentlich)“われわれの”世界」として、またその現存在の生にとって“もっとも近しい”「環境世界(Umwelt)」として了解される。

 しかしこのとき、この意味での“世界”は、一般的存在的“世界”が「現存在がその内で生きているところのもの」である一方、「現存在を構成するひとつの構成要素」であるとも言うことができる。現存在はその属性として“世界”をもち、そしてそれと同時に“世界”の内に生きる“世界内存在”(In-der-Welt-Sein)ということができる。そしてこのとき現存在は、この“世界”の中に“投げ入れられている”という。現存在はその本質的な属性として世界を有しながら同時にその世界に投げ入れられていることを自ら引き受けている。現存在のもつこうした性格を“被投性”(Geworfenheit)と呼ぶ。

 じつはこのとき、この循環構造の背後に、世界概念の根底にひそむある存在論的実存論的な概念がある。これは“世界性”(Weltlichkeit)という概念である。

 この「世界の“世界性”」は、世界内存在としての現存在を根拠づけているところの概念である。現存在にとっての“世界”とは、つまるところ「“ために”(um zu)構造」によって成り立っている。“世界”における人間の日常生活は、この「“ために”構造」と、「手許に存在するもの」(Zuhandenes)すなわち“道具”(Zeug)の連関体系によって成立している。“道具”は、常に現存在によって「“として”構造(Als-struktur)」のもとに了解される。ハンマーはただ木と鉄の塊なのではなく「釘を打つためのもの」“として”、新聞はただ印刷された紙片なのではなく「親父がそれを広げ読むことによって自己のキャラクターを実現するためのもの」“として”、解釈されていく。このような“道具”はまた互いに“指示”(Verweisung)し合い、“適所全体性”(Bewandtnisganzheit)の中へと組み込まれていく。現存在は“配視”(Umsicht)をもってこれにかかわり、かくて世界のさまざまな局面は現存在の“視”(Sicht)のまえに「明るんだ場」としての姿をあらわしていく。コンビニエンスストアーは食糧を調達する「ために」、ガスは料理をする「ために」、映画館は映画を楽しむ「ために」……、そして快く生活するための「街」という、ある目的手段関連のためにしつらえられた全体性が、“究極目的”(Worumwillen)へと収斂する「有意義性」という地平のもとに現存在の眼前に姿をあらわしてくるのである。

 “世界”の“世界性”は、こうした「指示性」(Bedeutsamkeit)の構造を根底にもつことによって確立しているのであるが、われわれは多くの場合、この構造を見落しつつ生活している。われわれは無意識のうちにこの「“道具”」と「“ために”」の関連の全体としての世界の内に生きているが、われわれのもつ社会的知識や科学的知識などのさまざまなイドラは、かえってこの構造をわれわれに気づかせない。それはたとえば、われわれがわれわれの感性の認識を正直に受け入れれば、「地球は平らであり」、「太陽は東から“昇る”」という見方こそが真理であるにもかかわらず、われわれの常識的な知識が「地球は巨大な球形であり」、「太陽が昇るのではなく、地球が太陽の周囲で自転している」ことを告げ、感性の認識を拒んでいるという事情に似ている。われわれは電気料金の請求経路やコンビニエンスストアーの流通形態に詳しくなくても、必要に応じてこれらさまざまな施設を利用することができる。そういった意味で、われわれの生きる現代社会という“世界”は、われわれの生活に不都合がないよう、極めて緻密に、またその全体的把握が困難なほど複雑に成り立っているのである。


〔補遺 こういった世界の“世界性”の要素は、通常われわれの認識の背後にまわっており、われわれはこれをわざわざ認識しなくとも、何の不都合もなく生活することできる。しかしここで、ひとつの思考実験をしてみよう。何らかの方法によってこの“世界性”だけを抽象することによって、反対に“世界”をわれわれの眼前に再現することが可能なのではないであろうか。人間は自分が完全に恣意的に生きているという一種のドグマを持っているが、その人間の生活において眼前に展開する“場”というものは実のところ非常に限定されたものでしかない。彼の眼前的な“場”を、生活するために不都合をなくすようにすべてシミュレーション化してしまえば、それが現実の世界でも、シミュレーションされた世界像であっても、少なくとも“世界性”という実存論的意味においてかわりはない。これらの意味を総合して考えると、ロールプレイングゲームというジャンルは、まさに“世界性”をその本質とする、極めて実存論的かつ存在論的要素をもつメディアだと言えるかもしれない。ロールプレイングゲームのプレイヤーはまずその世界を「見回し的に解釈し」、その“世界”を規定し意味論的に収斂する“究極目的”の「ために」、「道具の連関」の構造の中で行為してゆく。われわれがロールプレイングゲームの中に極めてリアルな“世界現象”を感じるのは、こうした深層構造のためであろう。逆にロールプレイングゲームの作者は、こうした世界性の存在論的把握の能力を持っていなければ、よいゲームをつくることはできないかもしれない。実のところ、筆者の個人的な興味として、ハイデッガー自身にこのロールプレイングゲームをプレイさせてみたい気がする。ドイツ語と英語という言語上の問題さえ度外視するならば、ハイデッガーが『ウィザードリィ』を楽しむためには、彼はあと5年長生きする必要があった。この期間の長さは、われわれとハイデッガーがそれほど絶望的な時代的断絶の関係にある訳ではないことを意味している。〕




 “世界”の構造は、このような実存論的存在論的体系のもとに成り立っているが、その“世界内存在”としての人間は、その構造を存在論的にはっきりと把握しているとは限らない。むしろ多くの場合、人間の認識は、世界のたんなる「見回し的な解釈」にもとづく“前”存在論的段階にとどまり、“世界性”という構造の了解は、内世界的・世界所属的な「道具」としてしか行われない。人間が自分自身を認識する場合も、自己を実存論的存在論的段階においてそのまま認識する訳ではなく、多くの場合は自己自身を「○○という家の家族構成員であり」、「○○という企業の社員であり」「○○という車の所有者であり」……という形で、すなわち“道具との関連”においてとらえているのである。

 その場合の人間の認識は、“世界”を超越する立場にはない。あくまで「存在するもの一般」として、世界所属的・従属的な立場にある。自分自身をすら自己を取り巻く“道具”としてしか了解していない、人間として非本来的なこの状況をハイデッガーは、平均化された“ひと”(Das Man)と呼ぶ。




超越の契機


 こうした自己了解の状況にある人間は、世界や存在について思考しない。彼はただ安心し、いつ果てるともなく続く「非本来的な現在としての“今”」というよどんだ時間の中で、下らぬ“世間話”(Gerede)に興じながら、世界埋没的な実存状況に甘んじる。

 こうした道具世界の完全性すなわち“適所全体性”は、「世界の存在の意味」への問いを必要とせず、したがって彼に“世界”のもつ深層構造としての“世界性”の認識を必要とさせないのである。

 しかしこの場合でも、人間がある程度の実存論的な了解(前−実存論的了解)に到達する契機となるものがある。それは“情態性”(Befindlichkeit)と呼ばれる実存様態である。情態性は“気分”として現象する。人間はただ存在するものとして客観的に世界を見、了解している訳ではなく、自己の実存様態としてのさまざまな“気分”を介して世界を了解する。それは、「“世界”に投げ出されつつ実存する」という人間存在の“在り方”、すなわち被投性とその基根を同じくする人間存在の超越論的な“在り方”である。あるときは『恋人のそばにいる時の気分』の親近感に満ちあふれて眼前に開示した世界の存在物も、『たいくつな気分』の情態においてはそれが限りなく厚かましい存在物たちとして開示されるのである。

 この情態性もしくは気分性という“在り方”は、人間が現存在としてあり、ただ存在物に埋没してあるばかりでなく、漠然とながら“存在”にかかわりつつ実存していることを意味している。

 また、“世界”に埋没し、たんなる“ひと”という非本来的な存在状況に頽落している人間が、“ひと”を超えいでて“現存在”たる契機となる状況がもう一つある。それは、“不在性”である。

 われわれをとりまく世界において、その道具体系の中で当然あるべき「道具」が不在であること、あるいはそれが破損や紛失などによってその召喚に応じなくなったこと、この状況は、たんなる通俗的な「不便」を意味するものではない。前−存在論的世界が、ネガティヴな意味で地盤沈下してゆき、その完成された道具関連体系の完成度の背後に隠蔽されていた“世界性”が、超越論的な存在形態のもとに現存在の前に噴出してゆく状況なのである。

 このとき、その意味が大きければ大きいほど強烈に、現存在を襲うひとつの“気分”がある。それは“不安”(Angst)である。不安は、あらゆる情態性の中にあって最も根源的な現存在の在り方である。たとえば「心配」などといった気分は、自己と、自己をとりまくある状況との“関係”に基づく情態性である。だが“不安”は、自己と、自己をとりまくすべての対象的存在との関係そのものが断ち切られることの開示となる“気分”であり、またその現存在にとって、かつて自己が微温的に埋没していた「“世界”の意味」が問題となり、またそれが「不在となる」ことを開示する情態性なのである。


〔補遺 “気分”という要素は、各種の芸術領域において重要な扱いを受けているが、音楽はそれを表現するために非常にしばしば使われる。たとえばへーゲルは、あらゆる芸術メディアの中で音楽は最もロマン的であり、最も率直に精神へと語りかけるとしているが、鑑賞者の心理を誘導する契機の媒体に、音楽は非常に優れた特性を発揮する。押井作品において音楽は、特に“不安”という気分を誘導するものとしてきわめて有効に機能しているとする見方は、それほど独断的な意見ではあるまい。〕


〔補遺2 “世界”におけるあらゆる「道具の不在」の状況の中で、その極限に位置するものは“廃虚”である。廃虚とは、いままで眼前にあったはずの世界の意味がもはや不在となったことを意味する一つの記号(サイン)であり、象徴(シンボル)である。人はかつて親しんだ世界の“廃虚”に立つとき、多くの場合、言いしれぬ「不安」に襲われる。そこにはもはやすベての対象的な“配慮”(Sorge)や“顧慮”(Fuersorge)は断ち切られ、そこにあって彼は「世界そのもの」を問題とせざるを得なくなるのである。〕




超越の地平としての時間


 “不安”のただ中にある人間は、今まで考えることすらなく依存していた“世界”の全体が、あたかもその足元からすべり落ちていくような感覚を覚える。そこで初めて“ひと”は、非本来的な存在状態から“超越”をもって抜け出で、“存在”の次元へと到達する──“脱‐自”(Ausser-sich)──可能性の開示を迎える。そしてこのとき、超越の地平となるのが“時間”である。

 すくなくとも前期のハイデッガーにとって、“時間”は中心的な位置を占める。現存在はその時間性によってこそ現存在たりえ、また現存在は時間の了解によってこそ自己を脱して自己に立ち戻り得る。

 現存在たる人間は、世界に投げ入れられている被投存在である。しかし同時に、自己自身より抜け出で、自己を超越の目で見、自己に対してはたらきかけることができる存在である。言ってみればそれは、現在の自己から超越し、自己自身を投げ企てる存在である。こういった現存在のもつ超越的な性質を“企投性”(Entwurf)という。

 現存在は、たえず自己自身に先立ち、自己の存在可能性に向けて前走しつつ自己を実現し続けている。この前走的存在様態を可能ならしめる地平こそ、“未来性”(Zukunft)なのである。“未来性”はあらゆる時間に対して優位にたつ。不安による存在論的な超越も、じつはまずこの未来性における前走的企投をその前提に行われるのである。


〔補遺 このとき、その前走の極限的状況として開示されるのは“死”(Tod)である。死は究極のア・プリオリとして現存在に立ちふさがる。それは現存在にとって決して見ることのできないワンシーンであり、「未来からの不安」として浮かびあがる存在論的次元への通路である。“死”への“視”すなわち“死”そのものへの“思”は、人間を自己の本質的な自己性へと立ち戻らせる。なぜなら人間は本質的に終わりへの存在(Sein zum Ende)であり、そして“死”こそは、他の誰でもなしに、純粋に“私”の体験となるはずの究極のイヴェントであって、またそれでありながら死は、その個人史において決して「過去に属さない」性質のもの、すなわち“未済”(Ausstand)をその宿命的属性とする現存在の、「未済の解決」をもってなされる「現存在の全体性(Ganzheit)を構成せしめる“終局”(Ende)」の場だからである。〕




 しかし、人間は自己をまったく自由に未来へと投じて行く訳ではない。それはそもそも人間が、“企投性”をその本質的な性質としながら、同時に“被投性”という逃れ得ぬ宿命を引き受けていること(“現事実性”: Faktizitaet)に由来する。この循環の構造を、“被投的企投性”と呼ぶ。

 世界内存在としての人間は、その最初の存在様態として、世界に「投げ入れられている」すなわち“被投性”を持つ。この被投性の本質は、“過去”にある。自己の本質的な存在様碑である被投性を“不安”のもとに見抜いた現存在は、その根底に「過去性(Gewesenheit)」をも見いだすであろう。なぜなら人間は、いわば「“過去”の塊」としての存在だからである。過去性はまた既在性ともいい、現存在はそれゆえ本来的に“負い目存在”(Schuldigsein)として被投されている。


〔補遺 人間は過去(既在)の集積であるがゆえに、本質的に「負い目存在」である。負い目は、「でない性」によって規定されている。自己が自己である以上、他人「でない」存在である。男である者は女「でない」。これは現存在にとって、自己の自己性のネガティブな開示であると同時に、自己の存在の内部に穿たれた“不在性”の開示であり、“無”との邂逅である。余談だが、ヤスパースにおいてもこの“負い目”は人間にとって本質的な意味を持っている。ヤスパースはその主要な概念である“限界状況”として負い目をとらえている。人間はその人生におけるさまざまなイヴェントに対して、ある程度の技術的な選択能力を持っているが、それ以外に、もはや技術的に処理し得ず、回避することのできないいくつかの状況がある。これが限界状況である。さらに余談であるが、ヤスパースはこの限界状況の具体的な例として、「苦悩」「負い目」「闘争」「死」の四つの局面を挙げている。これが押井守のどの作品のどの部分に投影されているかは、あえて述べるまでもあるまい。




 このように現存在は、“負い目”を始めとする「過去(既在)からの不安」をその“責任”のもとに引き受け、“死”をその極限とする「未来からの不安」に対し“想像力”をもって実存論的に対峙しつつ、自己を投げ企てて行くという“反復”(Wiederholung)の存在様態をとる。ここにあって初めて、人間はその本来的な存在様態に立ち戻り得るという。そしてこのとき、現存在をしてこの本来的な人間存在へと決定づける在り方は、“先行的決意性”と呼ばれる。

 ここにあって現存在は、かつて手元の道具的価値への配慮や平均的な“ひと”への顧慮にのみ腐心し、みずからも“ひと”へと頽落(Verfallen)していたところの「非本来的な“現在”」(いま)という時間を抜け出で、既在を引き受けつつ未来に前走したのちに彼の存在のもとに到達する、真なる現在性としての“瞬間”(Augenblick)へと戻って行く。ここにあって人は、かつて埋没していた「非・本来的な未来」としてのなりゆき的・打算的な“期待”(Gewartigen)からも、「非・本来的な過去」としての自己の真実からの逃避である“忘却”(Vergessenheit)からも、「非・本来的な現在」としての退屈しのぎの喧騒や好奇心と曖昧性に満ちた「空談」(Gerede)にいろどられた“いま”からも超越し得るのである。

 このように、まず未来に前走し、ついで既在を引き受け、瞬間という現在性に立ち戻るという時間性の作用を、ハイデッガーは“時熟する”(Zeitigen)と呼んであらわす。“時間”とは、根源的に「時間性の時熟」であり、「存在するものではなくして時熟する」ものなのである。そして、現存在が時熟し実存する限りにおいて、そこには常に何らかの“世界”が実現する。逆にいえば、いかなる現存在も実存しないならば、いかなる“世界”もまた現に存在するものではない。




転回


 『存在と時間』(Sein und Zeit,1927)当時のハイデッガーはすくなくとも以上の方法によって、すべての存在するものを同時に貫き、そしてまたそれらすべての存在物の基体となる“存在一般”に対する技術的思考、すなわち基礎的存在論への道が開示すると考えていたと思われる。

 だが、実はこのときハイデッガーは、その研究に深刻ないきづまりを感じ始めていた。“世界内存在”を前提とする現存在の実存論的分析論によって明らかとなっていったさまざまな世界構造、実存構造は、それが“世界内存在”を前提とする以上、“存在一般”なのではなくあくまで“自己存在一般”なのではないか。真の存在一般に到達する道へ至るための最後の難関として残された無限小のテイク・オフ、あとたったワンステップの──しかしその哲学的距離は絶望的に大きい──超越に、『存在と時間』の方法は決定的な蹉跌と挫折を迎えるのである。

 “世界内存在”という立場をまもり存在一般への知的冒険を断念するか、この方法を放棄し新たな知的地平を切り開き、真の存在へと向かうか……その思索の十年におよぶ迷いののちに、“世界内存在”の立場を放棄する決意を固めたハイデッガーが見いだしたものは、“無”であった。


『存在と時間』の思索ののち、ほぼ十年の“形而上学の時代”を経て『ヘルダーリンと詩作の本質』(Hoelderlin und das Wesen der Dichtung,1937)に至ったハイデッガーは、その後期の思想を展開することになる。

 後期のハイデッガーの哲学は、現存在の問題よりもむしろ存在をその直接の対象とする。その思想からは前期には主要な概念であった“時間”は姿を消し、かわりに“無”(Nichts)が重要な存在解明の鍵として取り上げられていく。またその知的地平の上に、“言葉”の哲学が姿を見せるようになり、そしてその思索はしだいに非合理主義的、神秘主義的、いやむしろ詩的哲学的な色彩を帯びていくのである。これが哲学史において有名な、ハイデッガーの転回(ケーレ:Kehre)と呼ばれる変化である。








 

3 後期ハイデッガー哲学の自己解体と押井守の使命





Dichterisch wohnet der Mensch auf dieser Erde.

功業多けれど、詩人的にこそ、ひとこの世に住まう


ヘルダーリン





無・世界・言葉・存在


 もはや“世界内存在”の立場を放棄したハイデッガーの思索において、“先行的決意”のように、不安のただ中にあるとはいえ現存在の自由意思や理性、また想像力などに立脚する能動性によって、失われた“世界”をみずからの力によって取り戻すという立場は大幅に後退する。

 いま、現存在の“不安”によって“世界”はその「われわれの世界」としての日常性を失い、かつては自明化して思惟の要を持たなかった世界の“意義”は喪失する。常識や日常的安穏を剥ぎ取られたむきだしの“世界”は、現存在の前に、唐突に、見馴れぬ、不気味なその姿をもってただ横たわるのである。

 “不安”によってどすぐろい姿をさらす“世界”の不気味さ(“居心地の悪さ”:Unheimlichkeit)を体験した人間は、かつてよりどころとしていたもろもろの事物の関連がその足元からすべりおちてゆくような感覚に襲われ、その背景として浮かび上がる“無”の中に「さしかけられる」。その「不安の“無”の明るい夜」のなかで、もはや現存在は“世界内存在”としてではなく、「無の中に保ち入れられた」“無内存在”としてとらえられるのである。


〔補遺 『天使のたまご』に描かれる世界はこの「不安の無の明るい夜」を象徴しているのだろうか、それともまた、同じく後期ハイデッガーが「存在忘却を極まらしめた技術において形而上学の終焉をもたらした“現代”」を評して述べた、「たんなる技術的な昼へと仕上げかえされた“世界の夜”(Weltnacht)」の隠喩なのか。いな、そのようなメタファー的解読そのものに、そもそも意味がないのだろうか。──判断をするのは諸君である。〕




 このとき、沈みゆく「在るものの全体」は、現存在の前からただその姿を消すのではなく、あくまで自己との存在関係をずたずたに切断された不気味な姿をあらわしつつ、世界そのものの原的な姿それ自身として現存在の前に在り続け、かくして「在るものの全き奇妙さがわれわれを襲う」。そしてこの驚愕は、ひとつの問いに現存在を導く。すなわち、「何故、一般に在るものがあって、むしろ何も無いのではないのか」(Warum ist ueberhaupt Seiendas und nichit vilmehr Nichts ?

 こうして“無化”(nichten)された世界に対し、後期ハイデッガーではそれを積極的に、対自するものとして働きかけ、取り戻そうとはしない。「在るものの全体」はもはや取り戻すべきものではなく、「おのずから生じるもの」すなわち“ピュシス”(自然:Physis)として、みずから“性起”(Ereignis)し、そのピュシスとしての世界の到来によって(前期において強調されたような“世界投企”によるのではなく)、歴史は生成されるのである。

 そのとき、その到来すなわち「真理の開示」の“場”としてなるものは、「在るものの全体の開け」である。ピュシスはその「現れ」の場として“開け”を創り、その“存在の明るみ”(Licht des Seins)においてそこを訪いくる“在るもの”を照らし出す。“無内存在”としての人間はその局面において自己を超え、立ち出でてゆく。このとき人間は“Existenz”(実存)としてよりむしろ“EK-sistenz”(開存)として、“無”の変貌としての「根源的な開け明け」(Offenen)へと進みいり、“存在内存在”(In-dem-Sein-sein)のトートロギーのもとに、一においてこれに同化する。

 こうして人為による世界限定から解放された「世界」は、そこにあって一切のものがそれぞれの“自性”(Eigenes)をあらわしつつ互いに連関しあうような世界として、自性発起すなわち“性起”(geschehen)する。そこでいっさいの物はそれぞれの自性に還りゆき、そしてこのとき人間も、“放下”(Gelassenheit)しつつ自己自身になり、自性へと還りゆくのである。


 現存在が“放下”によって自己自身へと帰還してゆくとき、その契機となるものが“呼び”(Ruf)である。“呼び”はこのときふたつの方向からその契機を提示する。ひとつは“良心の呼びかけ”(Stimme des Gewissen)として、いまひとつは現存在の「真理に対する了解のまなざし」である「語り(Rede)の一様態」としての“呼ぶこと”(Rufen)としてである。しかしまず“良心の呼びかけ”は、必ずしも声によってなされない。むしろ多くの場合においてそれは語らず、「ひとえにいつも、沈黙という無気味な様態で語る」。

 ただ言えることは、現存在がこの声なき声に気づき聞き従うとき、存在への一つの自己開示としての“聞くこと”(Hoeren)に覚醒する。つまりこの“良心の呼び声”の中にこそ、“語り”、“聞くこと”、“沈黙すること”のすべてが渾然一体としてあり、現存在の最深奥に属する語りとしての「真実の露呈」への契機となるのである。

 また、現存在の“語り”はその本質において「呼びかけられるもの」であると同時に「呼ぶもの」であって、これもまた根源的な“語り”の様態としての“呼ぶこと”において存在と接してゆくのである。


〔補遺 現存在の自己回帰における“放下”を考えるとき、われわれはまず『ビューティフル・ドリーマー』のラスト・シーンを思い浮かべるが、『天使のたまご』の少女の場合、また『ビューティフル・ドリーマー』における温泉マーク先生の場合を失念しがちである。これらのケースにおいてその決定的な差異をもたらすのは、その主人公の、叫びにも似た“呼ぶこと”の有無ではなかったか。〕




 こうして“世界”は人間による概念的記述と解釈から解放され、「世界は世開する」(Die Welt weltet)というトートロギーのみが語られ得る。そこにあって「無は無化し」(Das Nichts selbst nichtet)、「物は物となり」(Das Ding dingt)、「空間は空開し」(Der Raum raeumt)、「時間は時開する」(Die Zeit zeitigh)。そしてその極限において、「性起は性起せしめる」(Das Ereignis ereignet)という究極のトートロギーを残し、あらゆる言明、文言、陳述はいっせいに途絶え、沈黙するのである。






分裂の歴史と知の形態


 『形而上学入門』(Einfuehrung in die Metaphysik,1953)によれば、古代において、ピュシスは一なるものであったという。しかし古代ギリシアにおいて「ゾーオン・ロゴン・エコン」(ロゴスをもった動物)とされた人間によって、ピュシスとロゴスの分裂の歴史は運命づけられることとなる。

 現代という時代において、ロゴスが根源的な価値を見失った“科学技術的理性”としてある一方、ピュシスは非理性的な“権力への意思”の中にその極限的形態をみる。いま、この分裂と緊張のただ中に、われわれは生きている。

 現代は近代ヨーロッパ形而上学的世界の完成期であり、またその終焉の時でもあるという。その終焉ののちの、われわれの知は、いったいどのような相貌をもってわれわれを訪うのであろうか。

 ハイデッガーは、未来の哲学のあり方としてひとつの形態を提示する。それはもはや近代形而上学の地平にあるものではなく、「“存在”の声なき声」に耳を傾ける詩的思索の形をとるという。

 現に実存するものが、生きた真実の世界存在に接して在るとき、そのロゴスの知はピュシスとしての真性の存在へと接近する。その発露こそ“語り”なのだと、ハイデッガーはいう。“語り”こそ、生きた“了解”と“解釈”の地平であり、“語り”が語られ、陳述され、形骸化し、平板化した残渣が“言葉”であるにすぎない。この道具化された“言葉”、外在化された陳述に立脚する「論理学」「文法学」「言語学」を、彼は糾弾する。「科学は思索しない」というテーゼは、ハイデッガーの全生涯を通じての変わらぬ立場である。

 このような“語り”をもってなす「存在者の存在の語りかけ」としてある知の担い手としてハイデッガーは、“思索者”“芸術家”“詩人”を挙げる。「存在の家」(Haus das Sein)となる“言葉”、その建築者として、またその守護者として選ばれた彼らの仕事こそ、人間の営為の根源であり、そしてその営みは、われわれの未来の知の方向を示唆するものとなるのかもしれない。

 『森の道』に所収された論文『芸術作品の根源』には、ゴッホの『どろ靴の静物』についての論及がある。この絵の前に立ち、作品の中に立ち入るとき、鑑賞者はその「靴という“道具”の主」の姿を垣間見るだろう。その“靴”の中から呼びかける存在の声なき声に耳を傾けるとき、──その背後にあらわれる黄昏の野道の孤独、大地の匂い、生活の労苦、──われわれはピュシスとロゴスの一なる融合の瞬間に立ち会うのである。芸術作品はその本質を“美”にもとめるのではなく、存在者の真理との邂逅にこそもとめねばならない。芸術の使命とは、「真理の生成であり、生起なのである」。




押井守の世界


 あなたは、押井守の作品たちを、どのようにしてみているのだろうか。映像作品の目的とは、はたしていかなるものなのであろうか。映像作品の外的な価値の標板として、興業的な成功という観点もあるだろう。またある者は、その退屈を消し去る娯楽性、興奮、霊感などの諸概念にその価値をもとめるかもしれない。

 だが現代において、芸術、いなおよそ人間のなすあらゆる営為全般におけるその本当の目的は、見失われてはいないだろうか。いま多くの者が“アーティスト”──すなわち芸術家を名乗る。彼らはほんとうに、“在在”の深淵の激しい戦慄に耐え、その“語り”において彼らの存在との邂逅を明かし示すだけの力をもっているのだろうか。

 またわれわれが押井守作品に見るものは、たんなる興奮や、娯楽の気分だけなのだろうか。われわれは押井守という世界の内部に、あるときは思索者を見いだし、また芸術する者、なかんずく詩的なる思惟を感じ、そのロゴスとピュシスの瞬間の邂逅に、驚愕にみちた存在の真相を感じてはいないだろうか。

 われわれは、凡そ人間の営為の根底に在り続ける真相を知らねばならない。すべての語り手はそのために、その声をもって──思索者は思い、芸術家は顕し、詩人は謳い、──語るのである。われわれは、その真相を知りつつ、その声を聞かなければならない。

 押井守の作品は、さまざまな方法をもって語られている。だがそのとき語られるもの、その真相はかわらない。その真相へと至るべく、あるときはアジテーターとして、あるときは探偵として、あるときはまた格闘者として、その知的冒険は続くだろう。彼は、二ーチェにも似た永遠の地下生活者であり、また、ミッシェル・フーコーにも似た知の彷徨者なのかも知れない。

 押井守の知的活動は、ハイデッガー的な現象学的方法を拠点として歩み始めた。しかしまもなく、彼の「現象の時代」は終焉してゆく。構造を、言語を、歴史を、超‐形而上学を、ありとあらゆる知をその武装として彼の戦いは展開してゆくのである。





(第2章につづく)

1990/08





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