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【「温故知新」 本をめぐる雑談】

山本弘・志水一夫・皆神龍太郎〔と学会〕 ※

トンデモ超常現象99の真相


(洋泉社、1997年)

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と学会

と学会白書1


(イーハトーヴ出版、1997年)






 ※ 著者名は「と学会」となっているが、著者のうち山本会長は「と学会・著」とすることには反対したそうである。「トンデモ〜」というタイトルも著者の希望ではなく、出版社の意向に押し切られたものだということだ。というわけで、ここでは、山本他著『超常現象99の真相』として取り扱うこととする。


 しっかし、「トンデモ本大賞」の受賞作が「でくのぼう出版」から出て、『白書』がイーハトーヴ出版から出るのか……。

 宮沢賢治の立場はどうなる、という気がしないでもない。

 なお、宮沢賢治のテキストでは、最終的には「イーハトーヴ」ではなくエスペラント風の「イーハトーヴォ」のほうが正しいことになっているはずである。




・「へ学会」は今日も行く・

 情報によると、最近、「へ学会」というのが結成されたということだ。「と学会」に「トンデモ」なさをあばかれても「へ」とも思わず「トンデモ」ないものを発表していく人びとの団体である。「へ」はつねに「と」より先を行っているから「と学会」は絶対に「へ学会」には勝てない宿命にあるのだそうだ。だから「と学会」が何を書いても「トンデモ」勢力はけっして衰えない。

 ――というようなことを、自分のうちにたんぽぽ植えたり、友だちのうちを新築して屋根にニラ植えて賞をとったりしたへんな建築家&建築史家の先生が書いている。どうでもよいが、トンデモ本の作者に女性はいるぞ、藤森センセ。

 ついでに、その女性トンデモ本作者のひとりとして『世界』だったか『逆襲』だったかに登場していた稗田オンまゆら氏がいまやりっぱなと学会会員というのには驚いた。

 ま、なんだ。

 この赤瀬川原平の家の屋根にニラ植えて賞とった藤森照信教授がですネ、やった功績というのののひとつにですネ、「看板建築」という概念を発見したというのがあるのですヨ。東京都心部に残る、関東大震災直後に建てられたトンデモないデザインの商店建築群がアリマス。本屋だからといってですネ、家の正面を本を開いたようなかたちにしてみたりですネ、家の前面に銅板を貼りめぐらせてそこに珍奇な模様を入れてみたりですネ、家全体が看板の役割を果たしているようなトンデモない建築群が、東京のまんなかにたくさん建ってい……たのデス。バブル期にかなり壊滅してしまいましたけど。それに「看板建築」という名まえをつけたのがこの藤森教授ナノデス。

 「看板建築」と呼ばれることになる建物は大正時代末期から存在したのである。しかしそれをひとまとまりの概念として呼ぶことはなかった。あそこの家も銅板張りだったし、こっちの店も銅板張ってあったりするし、どっちも二階の屋根が三階みたいになってるよな、ふーん。せいぜいそれで終わりだった東京都心部の(主に)商店建築に「看板建築」という名まえをつけたのがこの藤森先生だ。

 そのおかげで、私たちはそれを「看板建築」としてひとまとまりのものとして扱うことができるようになった。江戸東京博物館の別園として建物ばかりあつめて作られた江戸東京たてもの園(武蔵小金井)にもその「看板建築」の代表的な建物が移築されて保存されるにいたったのである。

 この藤森センセと「看板建築」の関係が、ちょうど「と学会」と「トンデモ」の関係にあたる。だから藤森先生は「と学会」を評価しようとするのだ。

 いや、もしかすると多少の羨望もあるのではないか。

 藤森先生の発見した「看板建築」は滅びゆく建物群だった。1980年代のバブルに圧されて東京から姿を消して行きつつある建物たちなのだ。

 ところが「トンデモ」は疲れを知らない。「へ学会」は今日も行く。UFO本、陰謀本、アインシュタインはやっぱりまちがっていた本、歴史本などを、精力的に、「と学会」など足もとにも及ばないほど精力的に、しかも「と学会」が本を出すことなど思いもよらない大出版社から出版しつづけている。おかげで「と学」の前途は「看板建築」学よりずっと明るい。

 ことによると、「へ学会」の活動がここまで活発なのは「と学会」の陰謀なのかも知れない。「と学」の対象がなくなれば、「と学会」はメシの種はなくさないが二次会の種は確実に喪失するのだから。




・「と学」のガクモン的意義・

 「ガクモンちゅーたら、あれや、あのピカチュウとか出てくるやつや」
 「それはポケモンやろがっ!!」

――というネタはだいぶまえに「空談会議室」で使った。

 しっかしピカチュウって売れているよなぁ。こないだ某百貨店のおもちゃ売り場を通りかかったら、ピカチュウの「等身大」のぬいぐるみがずらっと並んでいた。ポケモンのカレンダーとかも出てるし。ちなみにその隣の某百貨店には「クレヨン王国」特設売り場ができていたそうである。

 さて、藤森先生の活動と同じように「と学会」の活動はなかなか学問的である。

 ――などと言ったら、たちまち異議が出るにちがいないと思う。

 一方からは、「UFO本や実証のデタラメな歴史本、根拠のめちゃくちゃな物理本のどこが学問なんだ?! おまえは学問というものをなめているのか!」という、いわゆる「アカデミズム」からの不快感の表明があるかも知れない。

 他方、自分こそ「学問的」だと信じている「トンデモ」の人びとからは、「と学会のごとき、学問を理解しない頭の悪い連中の書いているもののどこが学問的だ?!」という批判が出るに相違ないと思う。

 『と学会白書』の最後に掲載されている大田原さんというUFO研究家さんの文章がこのあとのほうの例にあたる。なお、この「論敵」の叢書の創刊号に載った文章がこの方の絶筆なのだそうである。

 大田原さんは「と学会」を学問的な論争に深入りしないと評し、学問的知識がないのではないかと疑っておられる。しかし『超常現象99の真相』の方法は学問的であり、残念ながらここの大田原さんの態度はあまり学問的ではない。

 大田原さんの書いているところによると、「と学会」メンバーは「うそつきのパラドックス」と「ゲーデルの不完全性定理」との関係について論争を挑まれたところ、大田原さんについてこられなかったということである。ところが、大田原さんが「うそつきのパラドックス」と「ゲーデルの不完全性定理」との関係についてきちんと理解しているという証拠は文中には明示されていない。「数学基礎論の専門家にも同様の意見を公表しておられた方が、少なくとも一人はいたと記憶している」と書いていらっしゃるだけである。

 これに対して『超常現象99の真相』を見ればよい。「少なくとも一人は」などという書き方はしていない。断定したばあいには資料とした文献名をきちんと掲載している。

 学問的かどうかというのは、ゲーデルの不完全性定理を理解しているかどうかということではなく、自分が結論に至った根拠を明示して推論の道筋を明らかにするという方法にこそあるのである。なぜそうなのかというと、たとえそこで言われていることがまちがっていたとしても、根拠を明示しておけば、読者がその「まちがい」を指摘して真実を発見しようとする手がかりになるからだ。検証の方法を批判者に公開しておくことこそが学問にとっていちばん基本的なことなのである。

 「少なくとも一人はいたと記憶」していると言ったところで、検証する手段にはならない。学問的とは言いがたい。

 『超常現象99の真相』でも、それ以前の『世界』・『逆襲』でも、「と学会」のやり方はなかなか学問的である。

 憶断で「UFOなんかない」「アインシュタインはまちがっていない」と書いているわけではない。「UFOは存在するかも知れない、しかしこの本に書かれているようなUFOのあり方はあり得ない」というのが「と学会」の論法である。「UFOなんて何を子どもじみたことを言っている?」と最初からバカにすることはしていない。





・真説・アインシュタインはやっぱりまちがっていた・

 ついでにいうと、アインシュタインの相対性理論がまちがっている可能性は現在でも否定されてはいない。一般相対性理論に関して、アインシュタインは重力と慣性力が同じ相互作用であるという仮定を持ちこんでいる。重力というのはいわゆる万有引力のことで、「慣性力」というのは、たとえばボールを投げたり蹴ったりするときにボールに運動を与える力である。ところがこれが完全に同じものであるという実験による実証はなされていないのだ。重力というのは微弱な力だから実験ができないのである。ただ、一般相対性理論については、重力と慣性力は同じものと仮定しても、現在のところ、矛盾が出ているわけではない、というだけのことである。

 アインシュタインのまちがいを指摘したいのならこの点を指摘すればいいのに、「と学会」のシリーズを読むかぎりでは、それ以外の論証済みの部分を指摘するから「と学会」に「まちがい」を指摘されるのである。

 「と学会」側も、「アインシュタインは絶対にまちがっていない」という論旨では書いていないはずである。「現在までの実験ではひとつもアインシュタインの相対性理論に反する事実は発見されていない」と書いているだけだ。

 それに、「と学会」も認めているとおり、アインシュタインはずいぶんまちがいをおかしている。量子力学の考えかたについて執拗に挑戦をつづけたのはアインシュタインである。「神様はサイコロ遊びなどしない」――文章語風に訳すると「神は賽を振り給わず」――ということばは有名である。量子力学側から回答が出されるたびにアインシュタインは後退をつづけた。

 宇宙項というのを挿入したら、ハッブルによる膨張宇宙の発見でそんなものは必要なかったということが判明したということもあった。ちなみに、現在、めざましい活躍をしている「ハッブル宇宙望遠鏡」の名は、この膨張宇宙の発見者の名にちなんだものである。また、これも『超常現象99の真相』に書いてあるとおり、原子核内の相互作用を考慮に入れずに電磁相互作用と重力相互作用を統一する「統一場理論」というのを考えてやっぱり失敗に終わったりしている。

 これらのアインシュタインのまちがいはすべて学界の等しく認めるところなのである! 「アインシュタインのような学者がまちがうはずはない」なんて思っているまともな物理学者などはたしているのだろうか?

 アインシュタインの「まちがい」は、しかし、けっして無意味ではなかった。量子力学の進歩は、アインシュタインが突きつけつづけた量子力学への懐疑を克服することでもたらされたという面があるのだ。「統一場理論」も、アインシュタイン版は残念ながら失敗だったが、統一理論はその素志をついでいまでも追求されている。現在の統一理論の成果からいえば、アインシュタインはもっとも統一の困難な二つの相互作用の統一にいきなり挑戦したことになる。

 アインシュタインは頑固だった。あえていえば頑固に「まちがい」に固執した。しかし、その「まちがい」は、いまでもりっぱに学問的価値を保っているのである。大げさだが、いまの量子力学があるのはアインシュタインのおかげでもある。

 量子力学というと、「相対性理論はまちがっていた」という議論は「トンデモ」界ではなかなか隆盛を誇っているようだが、どうも「量子力学はやっぱりまちがっていた」というのは見かけない。なぜなのだろう?





・だれでもアインシュタインになれる?・

 まえから感じていることをひとつ書いてみよう。

 私はアインシュタインを描くときの伝記の方法に問題があるんじゃないかと思うのだ。

 アインシュタインは子どものときから天才であった、だれをもよせつけることないエリートであった、それでむずかしい専門的な知識をいくつも修得した、その成果として相対性理論があるのだ――というのならば、いまの「アインシュタインはやっぱりまちがっていた」本は何割かは少なかったのではないだろうか?

 しかしアインシュタインは劣等生であった。学校からは完全にはみ出していた。それで孤独に散歩しながら「思考実験」というものを勝手に繰り返していた。そこで「もしエーテルがなかったら? もし光速度がだれに対しても不変だったら?」と思いつき、それが相対性理論という「偉大」な理論に結びついたのだ。

 ――などというように、だいたいの一般向けに書かれたアインシュタインや相対性理論の本には書いてある。本によっては「だから学校の成績なんかわるくても気にするな、だれだってアインシュタインになれる!」という趣旨の激励が書いてあったりする。

 それを読めばどう思うか?

 相対性理論などようするに孤独な散歩者の妄想にすぎないのではないか?

 アインシュタインが学校からはみ出して散歩しながら妄想をめぐらせていて発明した理論なのなら、そんな妄想を突きくずすのはかんたんだ。

 ――アインシュタインの伝記の叙述自体にそういう妄想を誘発する部分があるんじゃないかと思う。

 アインシュタインが劣等生だったのはほんとうのようである。だが、アインシュタインは物理学の知識がなかったわけではない。

 19世紀から、電磁力学に関するマックスウェルの方程式が成立するのであれば、光速度は不変でなければおかしいのではないかという疑問があった。だからこそ、アインシュタインの奇矯な――そして画期的な発想も受け入れられたのである。

 マイケルソン・モーレー(モーリー)の実験だけならばエーテルの存在は否定しなくてもすむのだ。特殊相対性理論で使うローレンツ変換の式は相対性理論を前提として案出されたものではなく、エーテルの存在を前提としてマイケルソン・モーレーの実験結果を説明するために案出されたものである。ローレンツの「短縮仮説」の提唱は1892年であり、特殊相対性理論よりずっと早い。

 アインシュタインが学校で劣等生であったということと、アインシュタインに物理学の知識がなかったということはべつなのである。だから、アインシュタインは劣等生でもアインシュタインになったが、劣等生がみんな自動的にアインシュタインになれるはずなどないのだ。もちろんその可能性はだれにだってある。しかし、だからといって、そのとき正統とされている物理学についての知識をまるで誤解したまま、劣等生に正統物理学を覆すことができるわけではない。

 アインシュタインの少年時代に学問上の教訓があるとすれば、学校の成績なんてその人の知的可能性を評価しきれるものではないということだ。

 ほんとうに正統物理学に挑戦して相対性理論を覆すつもりであれば、すくなくともアインシュタインがエーテル理論を知っていた程度にはいまの正統物理学を知っていなければならない。そのことが忘れられているのではないかと思う。





・民間のサイエンス・

 さて、「と学」はりっぱな学問であるということについてだ。

 学問ちゅうのはピカチュウ……ってそれはさっき書いた。いやぁ、私、飯塚雅弓ちゃん好きなんですよ〜。『魔法使いTai!』は終わっちゃったけどこれからもがんばってほしいものです。

 藤森照信さんの「看板建築」発見の意義は、それが普通の都市民の住宅を学問の研究対象に持ちこんだ、というところにあると思う。

 私は建築学には疎い。だからここでの断定はまちがっている可能性はあることを最初に書いておこう。

 建築学の「普通の都市民の住宅」へのアプローチは、大部分が家を建てる場合の力学的な計算などの実用的な部分に向けられ、建築史の方法からのアプローチはなされていなかったのではないかと思う。建築史は、明治以前の古い建物か(藤森さんが研究を始めた当初はそうだったという)、明治以後の著名な建物か、外国――とくに欧米の建物かのいずれかを研究するものであった。東京の下町にぼこぼこ建っている(いた)普通の建物はあまり活発に研究の対象にはなっていなかった。

 研究するにも、よりどころとする概念がなかったのではないかと思う。農山漁村の家には、それぞれ生活と結びついた特徴を指摘することもできよう。民俗学的なアプローチもさかんになされてきた。

 ところが、都市民の住宅となると、玄関があって、階段があって、二階建てになっていて、一階に台所があって、だから会社勤めのサラリーマンや家で商売やっている人の生活には最適なんです……なんて言ってもぜんぜん特徴をつかまえたことにならない。だからといって古典建築のように正面の柱のたてかた(「オーダー」という)がどうのこうのという形式で厳密に類別することもできない。台所は入ってすぐのところにあるかも知れないし奥にあるかも知れない。

 「看板建築」の発見は、そういう都市民の住宅を研究するために、一歩、切り込む道筋を発見するものだったのだ。

 「トンデモ」の発見も同じ意味を持ちうるのである。

 「と学会」の意図はかならずしもそこにあるわけではない。どうも「と学会」の活動の主目的は例会後の二次会をたのしむことにあるんじゃないかという気がする。

 話が逸れた。

 「トンデモ」こそは民間のサイエンスというべき対象に切り込むための道筋ではないだろうかと私は思う。

 広義のパソコン通信(インターネットを含む)をはじめてみて、多くの人の書いたものに接するようになってから、ネット上で、「トンデモ」に類することをおおまじめで信じていたり力説していたりする記事に接することも多くなった。しかも、「トンデモ」サイトではなく、科学について、すくなくとも一般の啓蒙書程度はちゃんと読んでいる知識の持ち主がそれを力説しているのに遭遇するのだ。物理学の啓蒙書として古典的な本から得た知識と、擬似科学本から拾ってきた知識とが、同じ人が書いたものとしてネット上で並んでいることもある。

 それを日本の「科学」の現状として正当に捉えるべきじゃないかと思うのだ。すくなくとも、湯川秀樹と朝永振一郎と、あとだれだっけな、ともかく、そういう「科学」のエキスパートの系譜だけを日本の「科学史」とするのならば、それは「科学学説史」としては十分でも、「科学史」としては不十分なのではないかと思うのである。

 私の関心のある範囲で判断するならば、日本の学界は新しい概念の提唱に非常に冷淡だ。まああまり寛容なのも困りものだが、それにしても、日本の学界は、だれかが新しい概念を提唱すると、性急にそれを既存のその分野の体系とつき合わせようとする傾向がある。それがかみ合わなければ「粗雑な概念だ」としてボツ、かみ合えば「新しい概念を提唱する必要はない」としてやっぱりボツだ。そういう「厳しい」「学問的」な淘汰に生き残った概念に対しては、こんどはすぐに細分化を始める。そしてその分類方法をめぐって些末な論争が発生し、そうして分析概念の生命力を弱めてしまうのである。

 建築そのものが看板みたいな姿をして、また看板としての機能を果たそうとしているような建築だから「看板建築」 ――だとか、
 「とんでもない本」だから「トンデモ本」 ――だとか、

 そういう、荒削りで厳密さに欠けるけれどもある種類の存在の特質を鋭く指摘しようとしている概念の、概念としての生命力を、いまの「アカデミズム」はぜひ「と学界」の活動とそれに対する評価から学ぶべきだと、私は個人的に思っている。

 分類よりも普遍的妥当性よりも厳密さよりも学問にとって大切なものはあるのだ。





・トンデモの「奥の深さ」・

 じっさい、『超常現象99の真相』に紹介されている「超常現象」(これをただちに「トンデモ」と呼ぶべきではないというのが著者たちの立場だろう)の「伝説」にはなかなか興味深い点がある。

 たとえばジーン・ディクスンの予言の項目(78)には、ディクスンの予言がいろいろ列挙されている。それをみると、「アメリカと中国の協力関係の終焉」、「勤勉の奨励と怠惰の処罰による失業対策」、「化粧品の化学物質」、「第三次インドシナ戦争の勃発」、「エジプトとイスラエルの和平」などという項目が多く含まれている。いかにもアメリカ人が関心を持ちそうな社会問題関連の項目である。予言があたったというわけではないが、レーガン時代のアメリカにふさわしい方向性がここから読みとれる。

 それに対して、日本の戦前の超能力者のほうをみると、その多くに福来友吉博士という東京帝大の先生がかかわっていることがわかる。この先生の活動の期間とも関係があるのかも知れないが、日本で超能力がとりあげられるようになるのは、20世紀に入った初頭、日清戦争に勝って明治維新以来の社会の変革がほぼ一段落したあたりよりあとである。この日露戦争後の時代は、社会主義の立場からは暗黒時代とされることが多かったが、他方では、のちに大正デモクラシーと呼ばれる社会の動きへの胎動が始まった時代でもあるのだ。しかも、その例のひとつは地方の名士である判事の夫人であるという。ここに挙げられているだけでは例が少なくて断言するのは危険を伴うと断ったうえでいうと、やはり日本社会の欧米型の社会への転換が始まった時代に、社会で権威があるとされる部分から超能力への関心が始まっているのである。村や地域の話題で終わっていたかも知れないものが全国的な話題になっていく。それと入れ替わるように、柳田国男が書いているような山里での奇異な体験は姿を消していく。

 ヨーロッパの「聖骸布」の伝説は、ヨーロッパに普遍的だった聖遺物崇拝が現代まで残ったものである。また「ルルドの泉」の伝説もヨーロッパ中世の奇跡の観念を引き継ぐものであろう。このようなものや現象は中世ヨーロッパでは例外的なものでもなんでもなかったのだ。ついでにいうと「ルルドの泉」のエピソードは「ヨハネによる福音書」の最初のほうのイエスのエピソードの雰囲気を感じさせるものがある。

 それとくらべると、日本では、伝統的なキツネつきや天狗に関係するトンデモがあまり見あたらないようである。日本の場合には、UFOや念写という日本以外の起源を持つ超常現象になるか、そうでなければ文字記録が残っていない超古代に飛んでしまうかである。これも、ヨーロッパの近代化と日本の近代化のありようのひとつの反映であるように私には思われる。





・今日も元気にツリガネ退治・

 なお「ヨハネの黙示録」の著者が使徒ヨハネでも「ヨハネによる福音書」の作者「ヨハネ」(さらにはヨハネ名義の手紙の著者)でもないのは本文にあるとおりである。「ハルマゲドン」を「メギドの丘」と解することには「メギドは丘とはいえない」という根拠で異論が出ている(トンデモではない聖書学でだよ!)。

 「666」が人名と読めることについては、当時はアルファベットが数字表記の手段としても使われていることと関係がある。数字とアルファベットの置き換えによる隠語法は広く行われていて、この「666」についてもそうしたもののひとつである。いうまでもなく、この「黙示録」の情報の受け手は「666」ときいてただちに「ネロ皇帝」と起こすことができた(もし「666」が「ネロ皇帝」だとすれば)。それができるかどうかで「同志」かどうかを確認する意味もあっただろう。『ポケットモンスター』を知っていれば「ポケモン」が「ポケットモンスター」だとわかるけれども、知らなければそれがわからないのと同じである。なお、「666」は、たんに「6」を「完成しないことを意味する数字」(「7」が完成を意味するので「6」だと足りないのだ)と解しても不吉なものとされている理由は説明できる。

 また、当時のキリスト教徒は終末はまもなく来ると本気で信じていたのである。それが来ないというので初期キリスト教のなかでは問題になったことがある。「終末遅延」と呼ばれる問題だ。いまの『新約聖書』には、「終末遅延」問題が起こる前と後との文書が両方とも収録されている。「ヨハネの黙示録」はその前の文書のひとつである。

 最後に、天文学関係の「超常現象」について蛇足なコメントをつけておこう。

 ドゴン族について、シリウスの伴星についてはともかく、木星の衛星について4つだけが知られていたことについて、知識が20世紀初頭でとまっていると表現するのはあまり正確ではない。19世紀にはアマルテアが、20世紀も1910年になるまでにヒマリア・エララ・パシファエが発見されている。私が擬似科学ではなく天文学の本でこのエピソードを読んだときには、木星の衛星4つが知られていたのは、このガリレオ衛星は単独の星であれば暗い夜空で人間が見える範囲の明るさである6等級以内の明るさで見えるからであるとされていた。もちろんすぐそばに明るい木星が輝いているから、普通は見えない。しかし、目の訓練を十分に積んだ民族の目にはそれぐらいの分解能があるのではないかという根拠が挙げられていたと思う。もちろんまともな天文学の本であるから「宇宙人に教えてもらった」などという説明はなかった。

 惑星直列については、私も「惑星直列→大災害」説を信じていた一人であるのでなかなかばつが悪いのであるが……ただし、天文学者のいう「惑星がほぼ一直線に並ぶ」こと――それはボイジャーによる惑星探査計画に大いに役立った――と占星術師のいう惑星直列はいちおう別物である。占星術では天動説を採用し、太陽と月を惑星に含めるので、火星以遠の惑星だけでなく、太陽・水星・金星・月までが火星以遠の惑星と直列にならないと惑星直列にならない。

 また、いわゆる「グランドクロス」は、本来なら占星術で意味を読み取るためにはある角度から大きくずれてはいけないはずなのに、1999年の「グランドクロス」にかぎって、「グランドクロスを構成する条件のある星座に入る」というように非常に条件を緩和している。そもそも、動きの遅い遠方の惑星が、占星術的に意味のある角度に近い角度にあるときには、動きの速い惑星(太陽・月を含む)の条件次第では、非常に大きな吉相や凶相が出現しやすいのである。「グランドクロス」が潮汐力で大災害を起こすという説明を受け入れるのなら、大吉相とされる「グランドトリン」(惑星が正三角形に並ぶ)ではなぜ災害ではなくよいことが発生するのかを説明しなければならないと思う。

 なお、「サタン」と「サターン」の混同については、土星が占星術上であまりよい意味を持たない惑星とされることから来るのではないかと思う。

 ツングース天体については、エンケ彗星の破片説は定説になるには至っていない。彗星説をとるともっと早い段階で大気上層で爆発していないとおかしいという説があるのだ。隕石(または小惑星)説でシミュレーションしてみてもこの爆発で隕石片が発見されなかった理由になりうるという研究結果が発表されている。国立天文台・天文ニュース(65)を参照されたい。

 ツングース天体についてとりあげた、まあいまから言えば「トンデモ本」になる、五島勉さんの『ツングース恐怖の黙示』は、一時期の私の愛読書であった。いや、なかなかおもしろい本ですよ、いま思い返してみても。

 どうでもいいけど。





・おまけ:奈緒子ちゃんの謎・

 ところで。

 謎はCLAMPの『カードキャプターさくら』の奈緒子ちゃんである。

 奈緒子ちゃんは「夏休み怪奇特集」のテレビを見たいと思っていたら「×」(読んでない人のためにいちおう伏せる)のカードにお化けの姿を見せられてしまった。ところで、その奈緒子ちゃんが「いまほしいもの」は「とんでも本」なのだそうである。

 これはなかなか奇妙なことである。

 「怪奇」現象をまともに信じているのなら、「怪奇」現象について書いた本は奈緒子ちゃんにとって「とんでも本」ではあり得ない。「とんでも本」が「トンデモ本」と同じものだとすれば、それは「とんでもないことが書いてある本」である。「怪奇」現象をまともに信じているのであればそれは「とんでも本」ではない。

 もしかして、奈緒子ちゃんは、やっぱり「夏休み怪奇特集」を見て、ポストイットをかざしてまちがいを探しているのであろうか?

 だとすると、奈緒子ちゃんはなぜ「×」のカードにお化けを見せられたのだろうか?

 謎は深まるばかりなので、いま『カードキャプターさくら』はアニメ化進捗中ということである(あんまし関係なさそう...)。

 わいは知世ちゃん役の岩男潤子さんのファンでもあるんや。

 人生いろいろや! うっしゃあ。


 1997年11月8日
 評者:清瀬 六朗


 ・関連アーティクル:清瀬 六朗「トンデモと科学」




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