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魔法使いTai!

* CD *


 

■CDシングル


 『魔法使いTai!』のOP・EDのCDシングルはよいぞ。

 表ジャケットは、沙絵・七香・茜の三人の「ユニフォーム」姿である。第一話では本編より予告のほうがセリフが多かった茜はともかく、出番そのものは多かった七香も本編で「ユニフォーム」姿を見せてくれることはなかった(七香・茜のユニフォームもオープニングの映像に出てくるが)。「こんなんなんだ」ということでまずすなおに感心しよう。沙絵は童顔のわりに腰をひねったポーズが艶っぽい。ついでながら、こうやって並ぶと、三人とも、髪の毛の色がちがうのはまあいいとして、銀色で長髪の茜、黒くてしっとりした感じの七香、茶色で四角く跳ね返っている沙絵と、髪の毛の表現の方法がぜんぜんちがっているのがよくわかる。沙絵はマジックワンドを胸の前に掲げ、七香は腰に挿しているが、茜はどうしているのかよく見えない。

 裏ジャケットは、エンディング画面の右隅で巨大ジェフくん(?)クッションを抱いている沙絵をイメージしたものだろう。まぁ着ているものがアレなんだが、着衣やポーズがそれなりにリアルであるのに、髪の毛はもとより、袖口や……なんていうんだろうな、まぁそのへんのチョウチョむすびの紐が様式化されているところなど、伊藤郁子さんは少女キャラのキャラクターデザインをよく知っているというべきである――ってあたりまえか。  で、こうやってあらためて聴くと、オープニングがオーソドックスな「元気の出る」曲であるのに対して、エンディングがあの夕暮れの場面から沙絵が眠りにおちるまでという表現にぴったりの穏やかで心安まる感じの曲になっている。


 ・オープニング「背伸びをしてFOLLOW YOU」

 たんに「元気元気ッ!」というだけではなく、「オーソドックスにゲンキな曲」であることを感じさせてくれる。この作品にふさわしいオープニングであるといえよう。ベースは打ち込みだが、リズムセクションのドラムス・ギターとサックスも含むブラスは生楽器を使った演奏である。歯切れのよいエレキギターのカッティングといい、エレキギターの音色づくりといい、リズムを強調したブラスやコーラスのアレンジといい、リズムを重視したアレンジになっていてなかなか私の好みだ。「またあした」もそうだが、カラオケトラックをきいたときに、これが原義としてのカラオケ、つまりヴォーカルトラックを入れる前のカラのオケ(伴奏)であることを強く感じる。

 ちなみに、第二拍にスネアドラムが八分音符で二つ入る(あ゛〜なんて説明だっ!)リズムは、『魔女の宅急便』のオープニングテーマとして使われた荒井由実の「ルージュの伝言」といっしょである。この曲のリズムトラックと思われるものは、茜が渋滞で「彼氏壱号」ではなかった「1号」の車に乗っていたとき、カーステレオから?流れていたようである。


 ・エンディング「またあした」

 この曲は、間奏と歌詞の一部が省略されているが、本編の最後ですでに曲に入っているという演出上、ほぼ全曲を本編中で聴くことができる。

 本編では会話その他が重なるので目立たないが、この曲の出だしは無伴奏である。これまたアコースティックギターの音色を生かしたアレンジで、エレキギターのソロもいいです。この曲に、苺やイカや茄子やお餅の高倉先輩が空を舞っている絵が重なって情緒たっぷりに演出しているというのが、まじめに情緒を盛り上げながらもどこか「これはお遊びですよぉ」というメッセージを溶かしこんでいるこの作品にぴったりであると私は思うぞ。

 最後の眠りに落ちる沙絵で壊れた人はたくさんいるみたいである。



 

■CDスペシャル


 CDシングル三枚の同時発売である。
     
  1. Special 1 : Sawanoguchi Sae  小西 寛子  
  2. Special 2 : Nanaka Nakatomi  飯塚 雅弓  
  3. Special 3 : Akane Aikawa  岩男 潤子
 
※ なぜか「Sawanoguchi Sae」のみ姓名順で、他は名姓順なのだ。
 それぞれのキャラクターのイメージソングと、そのキャラクターを主役にした山口宏脚本のドラマとを収録している。


 ・山口宏作品のページへ




Special 1 : Sawanoguchi Sae  小西 寛子

     
  1. 聞いてよダイヤリー(小西寛子)  
  2. 便利なメッセージ編 〜沢野口沙絵のまき  
  3. 聞いてよダイヤリー ORIGINAL KARAOKE



 沙絵は「何かすぐに壊す」のだそうだが、そのへんに壊された人いませんか〜?

 ドジで抜けててひたむきな、典型的な「愛すべき」女の子である沙絵の特集である。

 むかし、アニメのシナリオの書きかたについての本を読んでいたとき、主人公は適度に鈍くて成績のよくない子のほうが感情移入しやすいということが書いてあった。探偵小説についても、ワトソン役(物語の記述者。一般に主役の探偵の友人かそのよき理解者)は平均的な人間よりやや鈍い人物が適当だといわれているという話を読んだこともある。

 たしかにそのほうが思い入れしやすいのかもしれない。が、そういう技術っていやだな――と、そのシナリオの入門書を読んだとき思った。「シナリオライターはほんとは頭がいいんです、でもアニメを見る連中はバカだからそれに合わせてやりなさい」と露骨に言われて、ライターをめざしているわけでもない、ただアニメを見ている者が読んで気もちがいいわけがない。もっともふつうのアニメファンがシナリオの教科書なんか読むな、と言われれば、あ、そうですか、としか言いようがないのだけど。

 けれども、残念ながら、というべきかなんというべきか、そのセオリーどおりではやっていられないご時世のような感じもする。そのセオリーに忠実に、鈍くて引っ込み思案で純粋な女の子を主人公にした少女アニメというのもある。が、たとえば『こどものおもちゃ』の主人公紗南はその典型には収まりきらない。『赤ずきんチャチャ』の主人公チャチャも、たしかに成績のよい女の子ではないし、鈍いといえば鈍いけど、『チャチャ』の作品世界はそういう評価の基準をあてはめること自体を無意味にするようなものだった。この世界の「学校」は、卒業試験の話(23話)などごく一部を除いて、たんなる遊びの場所だったのだから。

 で、この沢野口沙絵は、典型的な「ドジでぐずな女の子」だという印象を受ける。そのドジでぐずな女の子に、元気で勝ち気な友だちと、高慢で出来のいいライバル(茜がそういうキャラクターかどうかはまだよくわからないが)とを配するという構成もまた典型的なキャラクター配置である。

 それでも『魔法使いTai!』が陳腐な作になっていないのは、ひとつは、「ほうきに乗って空を飛べばおしりが痛くなるはずだ」という発想で、その「ドジでぐずな」女の子のコンプレックスを集中して身体的な苦痛で表現したということによる。

 精神的な苦痛が肉体的な苦痛より軽いということはけっしてない。だが、それを「そんなのは気の持ちかたひとつじゃないか」と否定されないように描くのはたいへんむずかしい。だいたい精神的苦痛というのはその人の持っているたくさんの個人的な体験に深く絡みついているものであり、しかもその個人的な体験は表に出したくないものであることが多い。アニメ作品の枠でそれをいちいち描くのはたやすいことではない。そのばあい、その部分を短絡して「こういう精神的苦痛を描くにはこういう表現」という便法が使われることになる。少女アニメでは、好きな男の子とのすれちがいとか、内部での対話になってしまっている。一生懸命なのだが、それが内部で空回りしてしまっている。じつはこのCDスペシャルを通して、登場する女の子はみんなそうだ。

 だがそれがいけないというわけではない。どんな苦痛でもそれをすぐに具体的な身体的な苦痛(おしりがいたい)に結びつけたり、自分で自分をドジでぐずな女の子と決めつけたりするのは、状況から逃げているようではある。だが、そういう逃げを打つことなしに、どうやって状況と対決できるというのだろうか? 沙絵はそうやって自分を制約していることと戦いつづけているのである――たぶん自分を制約しているのが何かということもよくわからないままに。

 沙絵とのつきあいは長いはずなのに、その沙絵のあまりのドジでぐずぶりに(つまり「ひたむきで、ひとつの考えに気がいくとほかのことが目に入らなくなる」性格に)取り乱して「そんなもん(下着だぞ)学校でつけなさい!」と口走ってしまうあたり、七香もただの「しっかりした女の子」ではない。





Special 2 : Nanaka Nakatomi  飯塚 雅弓

     
  1. ONE WAY TRUE LOVE(飯塚雅弓)  
  2. ラジオDJ編 〜中富七香のまき  
  3. ONE WAY TRUE LOVE ORIGINAL KARAOKE



 このCDシリーズのドラマではキャラクターの出しかたにトリッキーな工夫が見える。この七香編では、七香が一人で見ている夢のなかでは沙絵がしゃべっているのに、じっさいに沙絵から電話がかかってきた場面では沙絵の声を出さないという構成がおもしろい。夢の世界でも現実でも沙絵が泣いているのに、その沙絵に接する七香の態度は正反対になっている。

 「沙絵のまき」(→Special 1)でも書いたし、第一話批評の本文でも触れたが(→「高倉先輩」)、『魔法使いTai!』の「対話」はじつはほとんどが自己対話なのだ。沙絵は、自分が勝手に思い描いた高倉先輩にあこがれて「立派な魔法使い」になりたいと思っているわけだし、高倉は、沙絵の「かわいさ」(身体のかわいさも性格の一途さもふくめて)にばかり気が行っている。目の前にいる現実の相手としゃべるのではなく、相手が目の前にいても自分の思いこみのなかの相手としゃべっていることのほうが多いのである。

 それを極端に描いたのがこの七香編のドラマである。つぎの茜編もそうだが、七香のばあいは相手が「セントマーガレット幼稚園もも組」からの親友の沙絵であるというところで、どこのだれだかなんてどうでもいい男が相手の茜のばあいとはまたちがった趣向のドラマになっている。

 『エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督が『アニメージュ』での宮村優子さんとの対談で「夫婦喧嘩を心理療法で解決する方法」というのに触れていたようである。自分の思っていることを思いきり言わせてやったあとで、「あなたがケンカの相手だったとしたら」という想定でその相手が思っているはずのことを考えて存分に言わせる。自分のなかでかってにでっち上げた他人とのあいだで空回りしてしまっている自己対話を、現実の相手とのあいだのきちんとかみ合った対話に持って行くには、けっきょく自分のなかの相手の像を現実の相手に近づけようとするしかないのである。というより、「現実の相手」との対話を成立させるには、自分の心の中で持っている相手の像との対話をつきつめ、相手について自分が持っている情報を積み上げて、自分の心のなかの相手を「現実」に近づけていくという方法しかないのだ。『エヴァンゲリオン』の作者はあるいは反対するかも知れないが、「他者」との対話とは、けっきょく、自己完結した自分の内部での対話をつきつめることなしには成立しないものなのだ。

 このドラマでは、七香が、自分の心のなかで、「お荷物」のくせに自分をいつも振り回してきた沙絵を疎ましく思う七香自身と、その相手の沙絵とを演じていく。しかし七香の夢のなかでも沙絵は正体不明だ――「ラーメン」が好きなのならわかるがなんでとくに「なると」なんだ? 「新横浜ラーメン博物館」というのはあるが「新横浜なると博物館」というのはないぞ。

 ともかく、天真爛漫で自分勝手なペースで話を進める沙絵と、それに不満を持ちながらも強いて自分をそれに合わせていこうとする自分から始まって、その自分が沙絵を追いつめて泣かせてしまうところまでを夢のなかで体験してみる。それで、「自分のなかの沙絵」の立場から「いやな子」の自分を発見していくという仕組みである。ま、それを発見したから万事が解決したというわけではないが、とりあえず今回はまた沙絵を泣かせずにすんだわけだ。

 スタジオのなかで笑っているのはCDのスタッフなんだろうか? で、この人気番組に、静岡県にお住まいの山口シロシくんはどういう質問をハミガキ――でなくハガキに書いて送ったのだろうか? ぜひ知りたいところである。

 「ONE WAY TRUE LOVE」も七香の性格がよく表現されていてよいと思うぞ。





Special 3 : Akane Aikawa  岩男 潤子

     
  1. BUD GIRLの独白(岩男潤子)  
  2. 謎の訪問者編 〜愛川 茜のまき  
  3. BUD GIRLの独白 ORIGINAL KARAOKE



 第一巻では本編より予告のほうがセリフの多かったもう一人の女子部員愛川茜の特集である。

 このドラマは、七香編に輪をかけてトリッキーな構成になっている。「謎の訪問者」の男がこの場にいるはずなのだが、ドラマのなかでしゃべっているのはぜんぶ茜自身である。

 「すべての男は消耗品である」――男なんて時間つぶしの材料でしかないと割り切っている女の子の独白である。その男が何をしゃべろうと関係ない。それが自分のなかで「男のまえで自分を演じている自分」につっこみを入れるきっかけになればそれでいいのだ。というより、その自分のなかでの対話でひまつぶしができればいいのである。自分一人でマンション8階からの風景を眺めていても、CDを聴いていても何のひまつぶしにもならない。いやな男が目の前にいて、それから目をそらせるためという動機で風景を眺めたときやCDを聴いたとき、その風景や曲に意味が生まれるのだ――こんな男よりはずっとましだと。茜にとって、男とはその程度のものだし、また風景や音楽だってその程度のものだ。退屈な時間をどうやって退屈せずに過ごすか? そのためには自分の心のなかで「自分を演じている自分」と何の意味もないおしゃべり――「空談」をつづけていくしかない。だが一人でいればそのきっかけすらつかめない。男なんて、また風景や音楽だって、そのきっかけになりさえすればそれでいいのだ。

 『魔法使いTai!』のテーマである「男のドキドキ純情」にはいちばんシビアな状況をつきつけたドラマである。「男のドキドキ純情」なんて女の子にとってはひまつぶしの手段でしかないのだ、ってことなんだから。

 ただ、茜のばあい、「たくましい、身も心もしっかりした男」を待ち望みながら、そんな男がいないということをすでに知ってしまっている。「いいこと」だってない。ぼーっと高校生活も過ぎていくということを一年生の「新人」のときからもう知っているのだ。そう諦念しきった女の子が、見晴らしのいいマンションの8階の部屋で、たぶん窓の外から射しこむまっ白な光のなかでただぼーっとしている。それはそれで人間の存在の本質的な寂しさを表しているような光景ではないだろうか。

 「BUD GIRLの独白」を聴けば、その茜は、「いいこと」なんてもう永遠にないと思いながら、でもやっぱり本物の恋を待ち望んでいるようだ。何かの「奇跡」が起こるのを待っているのである。沙絵は、「ドジでぐずな」自分から飛び上がって世の中の役に立つ立派な魔法使いになることを夢見ている。茜のばあい、そんなことは起こらないと自分で知ってしまっているだけに、その願望には沙絵よりもいっそう悲愴なものがある。

 『魔法使いTai!』の北野橋高校魔法クラブの女子部員はみんな恋をしている。沙絵は高倉先輩への想いを隠そうとせず、ただ自分が高倉先輩に釣り合わないドジな女の子であることを悩みとしている。七香は油壷先輩への思いを表に出すことにすらためらいを感じている。茜は、そんなものは来ないと知ってしまっている本物の恋をいつも待ち望みつつ、ただ退屈しのぎ・時間つぶしのために日替わりの恋をつづけている。

 ひたむきな沙絵にとっては、魔法とは自分が「ドジでぐずな」自分から風のようにふわっと飛び上がって世の中の役に立つ自分になるための手段である。七香にとっては沙絵のペースに巻き込まれていやいや入った妖しい部活――ただ油壷先輩がいるのが救いといったところだろうか。茜にとっては、その部活もまたひとつの時間つぶしの手段にすぎない。

 だが、沙絵や七香や茜にとって、「魔法」とはいったい何だろうか?


 魔法の呪文を唱えるところだけ、口に出していることばと心のなかのことばが一致していることで、この世界の「魔法」のあり方が描かれている。たぶんこれが一致していないと「集中」していないことになるんだろう。

 たしかにマジックワンドは「なかなかおもしろいかたちしてる」けど――自分でその作品のテーマ曲を「あんまりメジャーじゃないけど」って言うか?





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