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― 死に至る病、そして... ―

「この病は死に至るものではない」

(1)


清瀬 六朗





 ヨハネと、マリアと、ベタニアでの事件

 「死に至る病」はキルケゴール(キェルケゴールと書かれることもある)の代表作のひとつのタイトルとして有名である。キルケゴールが「死に至る病」と表現しているのが「絶望」のことだということも、けっこう広く知られているかも知れない。

 この「死に至る病」ということばの出所は、新約聖書の「ヨハネによる福音書」である。

 イエスが救世主をやっていたころ、ベタニアという村にマリア・マルタ・ラザロというきょうだいがいた。マリアとマルタは女の人、ラザロは男である。このベタニアは、エルサレムから東側ちょっと北寄りのエリコへいく途中、エルサレムから3キロ弱のところにあるという。現在、このベタニアの村のあったところにはラザロの墓という遺跡があるそうだ。

 このベタニアの村でこのきょうだいをめぐって起こった事件のなかに、この「死に至る病」のエピソードが出てくるのである。

 が、そのことについてあれこれ書くまえに、この物語の背景になっている「ヨハネによる福音書」のことをちょっち述べてみたい。

 このエリコはヨルダン川西岸にある。パレスチナ自治の焦点となった都市のひとつだ。ヨルダン川はここからすこし下ったところで死海に入る。「死海文書」が発見されたクムランは、死海のエリコに近い岸にある。

 この「ヨハネによる福音書」には、最初に「洗礼者ヨハネ」が登場する。この「洗礼者ヨハネ」は、イエスの登場に先立って、ファリサイ派(いわゆる「パリサイ人」)などの既存宗派に対して「洗礼」を特徴とする革新的な宗教活動を開始していた。「洗礼」というとなんかキレイな感じがするが、このころはどっぽんと水の中に漬けてしまう、けっこう過激なという儀式だったそうである。しかもヨルダン川だから塩水である。しおしおのぱあとはこのことだ――よくわかんないけど。

 ちなみに、この「洗礼者ヨハネ」の教団が、クムランにいわゆる死海文書を残したクムラン教団である疑いがいちばん強いとされている。「洗礼者ヨハネ」教団、クムラン教団、それにエッセネ派といった教団・宗派が完全に一致するかどうかはわからない。とくにエッセネ派とクムラン教団にはいろいろ異なった部分があり完全に一致はしないようだ。しかし、いまの定説に基づくかぎり、それぞれが重なり合って、かなり強固な関係を持っていたと見てもいいのではないだろうか。

 さて、この「洗礼」――塩水に漬けられるということ自体もけっこうきついが、この「洗礼」は、もともと「死の大水」に襲われることなのだそうだ。新共同訳で「死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせ」と訳されているダヴィデの「感謝の歌」の一節でも原文ではこの「洗礼」と同じ語が使われているらしい(サムエル記下22章5節)。

 この「感謝の歌」は、ソロモンの後継者ダヴィデが、ライバルのサウル一族やペリシテ人を討ち滅ぼしたときに、主への「感謝」として歌ったとされる歌だ。いちどは絶望に落とされ、その苦難のなかで主を呼び求めると、主によって救われた――というのがこの歌の趣旨である。その「苦難」を表現する一部にこの「死の大水に襲われる」という表現が出てくるらしい。

 ここから先は聖書学者の先生が書いていることではなくて私の独断だが、創世記を信じるかぎり、人類はもともと洪水で滅亡していたはずである。そこから救われていまの人類がある。ダヴィデの「感謝の歌」はそのことを踏まえて作られたものであろう。その人類の「死と新生」の経験を、「洗礼者ヨハネ」は一人ひとりの救済の儀式として、その人を水の中に漬けることによって取り入れたのではないだろうか。

 しろうとの独断をつづければ、このダヴィデの「感謝の歌」は「ヨハネによる福音書」の最初の洗礼者ヨハネのエピソードをめぐる伏線になっているような気もするのである。このダヴィデの歌は「主はわたしの岩」ということばで始まる。さて、「ヨハネによる福音書」では、ヨハネに言われてイエスについていった二人のヨハネの弟子がイエスの最初の弟子になることになっている。この最初の弟子のひとりに、イエスは「岩」という名まえをつけた。これがペトロである。ペトロというのは「岩男」さんのことなのだ。英語でいうとピーターである。だから岩男潤子さんは英語でいうとピーター潤子さんなのである。ちがうと思うな、たぶん。それはともかく、このペトロはこのヨハネによる福音書には最後まで出番があって、いわゆる「ペトロの否み」などドラマも多い人である。

 この「洗礼者ヨハネ」が、イエスに「死と新生」の儀式としての洗礼を授けたことになっている。イエスの「父からのひとり子」としての独自性を最初に宣言し、イエスが父(主)のところから「恵みと真理」をもたらすためにやってきたことを明らかにしたのがこの「洗礼者ヨハネ」である――というのが「ヨハネによる福音書」での「洗礼者ヨハネ」の位置づけだ。最初に登場してすぐに消えてしまうにもかかわらず、この福音書の全体の主題を最初に提示する重要な役がこの「洗礼者ヨハネ」に与えられている。そしてこの福音書全体は最後までその主題から離れることはない。

 この福音書が「ヨハネによる福音書」と呼ばれているのは、じつはこの「洗礼者ヨハネ」にちなんでなのである――というのはとりあえず正しくない。この福音書の名は、イエスの弟子のヨハネ(「ゼベダイの子ヨハネ」)が作者だという伝承にもとづくものだ。このヨハネの文書とされている新約聖書の文書には、他に「手紙」が三編と例の「ヨハネの黙示録」がある。

 ただ、「ヨハネによる福音書」には、弟子のヨハネの名は登場しない。「イエスの愛していたあの弟子」という匿名の人物が出てくるだけだ。この人物はイエスの最愛の弟子として登場していながら最後まで名の語られぬ人物として、この「福音書」の物語でやはり中心的な働きをする。その文書を書いたことになっているヨハネの名は出てこないで、それと同名の「洗礼者ヨハネ」がやたらと重要な役割を果たすことになっているのである。

 ヨハネというのは英語にすればジョンである。ちなみにレノン・マッカートニーのジョンとポールという名まえは聖書の名に直すとヨハネとパウロであって、どっちも初期キリスト教教団の指導者として重要な人物の名まえに由来していたりする。そんなことはとりあえずおいておいて、ヨハネなんてありふれた名まえであって、偶然じゃないの?――と言われるかも知れない。

 だが、どうも「ヨハネによる福音書」では、名まえの共通する人物に、ある共通する役割を与えているフシがあるのだ。そもそも「はじめにことば logos があった」ではじまる福音書である。ことばで表現された名まえというものに、たんなる符号以上の何かの意味を感じ、また「読者」にそれを感じさせようとしていたとしてもふしぎではない。

 その重要な例が「マリア」である。

 この福音書には「マリア」は三人登場する。

 まず、ふつうに「聖母マリア」と言われるイエスのおかーさんである。このマリアについては、「マタイによる福音書」で、イエスに、人前で、母であることを(すくなくとも子にとってただひとりの母であることを)否定されたというエピソードが、吉本隆明の「マチウ書試論」に引かれていたりしてけっこう有名である。呉智英氏などもこのエピソードを重視しておられる。

 だが、この「ヨハネによる福音書」では、このマリアはイエスの処刑に立ち会いに来て、イエスのことばによって「愛していた弟子」に自分の母として迎えられるという筋書きになっている。ここでは、母マリアは、弟子ではないが、すくなくとも教団の一員として位置づけられているのである。

 ちなみに、「自分の母を否定する」というエピソードはいわゆる共観福音書(マルコ・マタイ・ルカ――つまり現在の聖書に入っているヨハネ以外の福音書)のすべてに登場し、べつに「マチウ書」(「マタイによる福音書」)だけの特徴ではない。たしかに表現がいちばんきついのは「マタイ」で、マルコがほとんどそれと同様、ルカがいちばん穏やかな表現というちがいはあるが。また、イエスの処刑に母マリアが立ち会ったということは、共観福音書すべてに出てくるけれども、そこでは「イエスの世話をしていた多くの女性」の一員として出てくるだけであって、自分の弟子に「母」として受け入れさせたということを記しているのは、現在、新約聖書に含まれている福音書のなかではこの「ヨハネ」だけである。また、最後に立ち会った女の名まえを「マリア」で統一しているのも「ヨハネ」のみである。

 さて、もうひとり、「ヨハネによる福音書」にはマグダラのマリアという人物が登場する。最初に書いた、ベタニアに住んでいた三人のうちのマリアというのがこのマグダラのマリアであるとしている。このマリアは、母マリアが「愛していた弟子」に受け入れられた現場にも、もうひとりのマリアであるクロパのマリア(この人はどういう人なのかよくわからないらしい。母マリアの姉妹かどうかあいまいな表現になっている)とともに来ていた。なお、マグダラのマリアというとなんとなくカワムラのマリアという名まえに似ているような気がするがあまり関係ないと思われる。

 イエスが処刑されて埋葬された後、最初に墓掃除に行き、イエスの遺体が墓にないことに最初に気づいたのがこのマグダラのマリアである。イエスは復活して、自分で自分の遺体に巻かれていた布を自分で脱いで出ていってしまっていたのだ。だが、マグダラのマリアにはそのことがわからない。だれかがイエスの遺体を持ち出したと思って、いちはやくその事実を弟子(「愛していた弟子」とペトロの二人)に知らせた。弟子たちも遺体がないのはイエスが復活したからだということに気づかない。ひとくさり現場検証をやったあと、弟子たちは帰っていってしまった。

 そのあとも、マグダラのマリアは、だれかがイエスの遺体を奪っていったのだと信じて墓のところで泣いていた。泣いているとマグダラのマリアは正体不明の男に出会った。マグダラのマリアは遺体を運び出したのはこの人にちがいないと思って声をかけた。すると、じつはその正体不明の男は復活したイエスだったのである。そうしてこのマグダラのマリアはイエス復活の最初の確認者となるのである。

 「ヨハネによる福音書」のマグダラのマリアには、ほかにも、高価な「ナルド香油」をイエスの足に注ぎ、自分の髪でその足を拭ったというエピソードがある。沙絵ちゃんならば「なるとラーメン」をお客さんの足にこぼすぐらいのことはしそうだが、沙絵ちゃんのことはとりあえずジェフ君に任せることとしよう。わたしだって進歩するもん! さて、このマグダラのマリアの行いに文句をつけたのがのちにイエスを売り渡すイスカリオテのユダである。こんなことに高い油を使うのだったら、この油を売ってそのカネで貧しい人に施しをしろ、というわけだ。しかしユダがそう言ったのは、貧しい人への施しを考えていたからではなく、自分がイエスと弟子たちの会計責任者でありながらグループのカネを使い込んでいたからだという説明がついている(どうもつながりがよくわからないが)。この「裏切り者」ユダに、使い込みがばれそうになって上司を裏切る会計責任者という苦笑を誘う設定があるのはやはり「ヨハネによる福音書」だけだ。いやいや、「金融不祥事」というのもなかなかバカにならないものです。

 なお「香油を塗る」のは葬るための準備だということらしい。マグダラのマリアは、ここで早くもイエスの死の準備を行っているのだ。イエスの死の直接のきっかけを作ったユダの話が同時に語られているのはたぶんそのためである。

 さて、この「塗油」のエピソードも、共観福音書はベタニアのできごとだとはしているが、マグダラのマリアがやったこととはしていない。別の家でのできごとであるとか、これをやったのは「罪深い女」だったとかいうことになっている。また、「売って施しをしたほうが……」と言うのがユダとは特定されない弟子たちになっていたり、ユダの裏切りの話がすぐあとにつづくもののとくにこの「塗油」とは関係ないことになっていたりする。ユダの話はともかく、これをマグダラのマリアのエピソードとしているのは「ヨハネ」だけなのだ。

 イエスを生んだのは母のマリア(その場面は「ヨハネ」にはない)、イエスの死に備えて香油を塗ったのはマグダラのマリアで、その復活の最初の確認者もマグダラのマリアである。

 「ヨハネによる福音書」では、「マリア」と名のつく女性は、イエスの生・死・復活の重要な場面にかかわっている。そういう女性の名として「マリア」は意味づけられているのだ。

 このマグダラのマリアが、姉妹のマルタ、兄弟のラザロといっしょに「死に至る病」事件のエピソードに登場するわけである。

 じつはこの事件にはもうひとつ意味ありげな符合がかくされている。

 それはこの事件の舞台となったベタニアという地名である。

 ほかの福音書では、「洗礼者ヨハネ」は、荒れ野にあらわれ、ヨルダン川で活動していたとしか書かれていない。ところが、「ヨハネによる福音書」にのみ、この「洗礼者ヨハネ」の活動していてイエスとめぐりあった場所の名まえが記されている。

 イエスと「洗礼者ヨハネ」が最初に出会った場所の名まえは「ベタニア」――つまりこの「死に至る病」事件が起こった村の名まえと同じなのだ。

 イエスが洗礼を授かって、救世主(キリスト)として「死と新生」を体験した場所とおなじ名まえの場所で、イエスの死をめぐって特別の役割を果たした、しかもイエスの母と同じ名まえを持つ女性の兄弟をめぐって起こったのがこの「死に至る病」の事件なのである。

 イエスが洗礼を受けたのと同様、処刑と復活もイエスにとっての新たな「死と新生」の物語であったとすれば、この「死に至る病」事件は、ちょうどその両方の中間にあって、その両方の「死と新生」に関係してくる重要な事件なのだ。

 では、それはどういう事件だったのだろうか、というと、それはそのマリアの兄だか弟だかがいちど死んだのをイエスがよみがえらせるという奇跡である。それについては、また、次回にご紹介するとしよう。

 ――ってこの連載つづくのかな?

 なんかたよりないけど、私だって進歩するもん!!

 それでは

 (1997年3月16日)



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