りんどう湖

1997の秋 パート5


今年は、秋の那須路。


10月27日昼

 ホテルをあとにして、友愛の森へ向かう。自然を生かしたコミュニケーション・エリアのようなところだが、あまり行く気をそそられないネーミングだ。クラフト工房や土産物店が広大な敷地内に点々としてあり、季節がら、菊の展示会も催されていた。晴れてはいたが、風が冷たく、敷地内を足早に移動して、喫茶店のある建物の中で、バスに乗り込む時間まで過ごすあいだじゅう、ばあちゃんは、ぼんやりしていた。

 ちらほら道路沿いの木々は紅葉していたが、さらに高いところに行かなければ、紅葉のまっただなかを見ることはできない。山を少しあがったところで昼食の予定だった。そば屋にたどり着いたころ、雨が激しく降り出した。天気がよさそうであれば、さらに上がって、紅葉を眺める予定も組まれていたが、お店の人が一人一人に注文を聞いているあいだに、雨は雪に変わり、そば屋でゆっくりしたあと、そのまま帰路をたどることになった。

 話が少し前に戻るが、バスを降りるとき、孫娘は衝動に駆られた。

 バス旅が始まって以来、食事、トイレ休憩、ホテルとバスが止まって、ドアが開くたびに、ばあちゃんより後方にいる、自分で歩ける人、ちょっと介添えがあればさっさと動ける人などが次から次へと降りていくのに対して、通路の向こうにいるばあちゃんが、何度も何度もこちらを見やり、「降りんでもよかね」「わしは降りんとね」「はよ降りよう」「なんばしよっと」と、いまにも火の手にまかれそうな顔つきをするのに、苛ついていた。

 瞬時、ためらったものの、後ろから人がやってくる前に、ばあちゃんを後ろから抱え、ドアにむかおうとした。スタッフが慌てる。「えつさんは、あとから」もう、後には下がれない。抱えて、ばあちゃんの足を通路に踏み出してしまったのだから。びっくりしたスタッフの手を借りて、なんとか、ばあちゃん一番乗りで、バスから降りきった。すぐ後ろに、大勢の人が、ばあちゃんと孫が降りるのを待っていた。

 店内に入り、戸口から近いところに、ばあちゃんと一緒に座った。いつもと同じように、バスで降りる順番を待っているべきだったのに。くだらない事をしたと苛立ちながらも、過去を振り返る暇はない。

 見慣れぬ新たな場所で、ばあちゃんは何をしたらいいのか、何がおこるのかをそわそわしながら待ち始める。「ここでご飯を食べるんだよ」「注文取りに来るまで待ってて」「トイレに行かなくていいの」「少し寒いけれど、ご飯食べたら暖かくなるから」そして、注文。そばかうどんか、と問われて、ばあちゃんと孫はうどんを頼んだ。これがまた次のそわそわ。

 多くの人がそばを頼んでいて、そばはどんどんやってくる。ばあちゃんと孫の回りは、食事を始める人々で埋まり、ばあちゃんの焦燥が頂点に達する。おもむろに手を挙げて、店の人を呼ぼうとした。「もうちっと待ってよ、すぐ来るから」

 ようやくうどん到着。いままでこれだけ待ってたんだから、とばかりに、いつまでもいつまでも食べ続ける。噛み切れないものは、お盆の上に吐き出しながら、次々に丼の中のものを口に入れ続ける。「ああ、これは噛みきれん」と言った先から、同じものを口にいれ、また吐き出す。

 昨夜も、朝食も、そうだった。寝不足続きが、いらいらに拍車をかける。ばあちゃんの食べる姿をこれだけずうっと見続け、食べ残しの片付けにつきあったのは、久しぶりだ。それをありがたいことだ、と思わねばならんのだろう。駄目だ、そんなことできやしない。ああ、気持ち悪い。ああ、メシがまずくなる。敢えてそう言葉にして思ってみて、あとは笑って言うしかない。「なかなか噛み切れんねぇ」「もうこれは食べるのやめたらよかつに」「ほんとにばあちゃん、食い意地張ってるねぇ」「わたしはそんなあんたの孫たいねぇ」 ばあちゃんも負けてはいない。「そぎゃんこつはなか」「これはわしが食べとるけん、うるさかこつば言わんでもよか」「なんば言うとね」「そうな、あんたの孫ね」

 ようやく食べ終えた。お盆の上に食べかすを散らかし、胸元をうどん汁で濡らし、箸で歯をつつき始める。爪楊枝を使ってよ。これも久しぶりに言うせりふだ。 「茶がなかよ」「ええい、うるさかねぇ、こぎゃんもん、なんでんなかじゃなかね」「人のおっとに、しぇからしかぁ」 腹一杯になったせいか、友愛の森でぼんやりしていたのとは打って変わって、命令口調で、語気荒く、タンカを切る。ばあちゃんの気の強さはあいかわらずだ。そして、このときの孫娘は、それを笑い飛ばす元気がなかった。この春に始めた仕事が、ようやく軌道に乗ったところで、そろそろ一段落を迎える締めの時期が近づいていて、あろうことか、仕事に疲れていた。

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