りんどう湖

1997の秋 パート3


今年は、秋の那須路。


10月26日夜

 足腰を冷やさないように膝掛けで覆って、ばあちゃんの車椅子を広間まで押していく。丸テーブルの一つにつき6、7人分の席がしつらえてある。ばあちゃんの席は、舞台脇に立てられたマイクの近くだ。車椅子を押し、ロックをかけて、その左隣に座る。舞台を見るときは、いくぶん車椅子を斜めに動かさなければならない位置だが、それだけ舞台に近く、食事の合間に繰り広げられるパフォーマンスは迫力満点だった。

 テーブルいっぱいに並んだ彩り豊かな皿を前に、ばあちゃんが目を剥く。「こぎゃん、食い切れっとじゃろかぁ」心配ご無用で、ディナーの終わる頃には、ほぼ食い尽くしていた。

 ビールやジュースをそれぞれのコップに満たして、付き添い家族の中の年配者の乾杯の音頭とともに、宴会が始まる。今回は日本食で、前回の中華料理や前々回のフランス料理に比べ、ばあちゃんの歯にも目にも食べられるものが多い。小皿の多さに、なにから手をつけていいか戸惑い、周囲の人たちの様子を窺う。「これおいしいよ」「そうかね」「こっちのほう、あたたかいうちに先に食べたら」「そうだね」「それは固いよ、これは柔らかいから、換えっこしよう」「噛み切れんもんねぇ」昔と同じように、まだ口に入っている先から、他のものを口に詰め込む。「ゆっくり食べなよ、ほら、舞台でなにか始まるよ」

 近ごろ、前より一層表情が乏しくなり、いっときでも舞台に関心を持てるか危ぶんだが、過去3年のディナーショーの中で、一番、心惹かれるものがあったようだ。「大衆芸能」が始まると、食い入るように見ていた。男役の大柄な女性が一座の座長で、いなせな着流し、曲に合わせて見栄を切る。被った手拭いの片端を口にくわえて傍らに身を寄せる女役との掛け合いに声がかかる。「いよぉ、日本一」ばあちゃんと同い年の、足腰のしっかりしたスギさんが、いつものように立ち上がってパフォーマンス。ばあちゃんは、あげた箸をそのままに、舞台の端から端まで駆け抜ける役者に目を見張り、頬ゆるませる。

 いつもと違う場所で、いつもと違うものを、いつもと違う雰囲気のなかで食べる。どうしていつもと違うのか、いつもと違うのはどんなところか、そんなことを一つ一つ理解しているわけでも、理解しようとしているわけでもなく、また、それが気になっている様子もなく、賑やかな空気の中にすんなりと溶け込んでいる。まなざしが明るい。

 「ばあちゃんと孫」の話をイワクニさんから聞いた司会者が、浪花節ふうに「ほほえましいばあちゃんと孫の姿」を語りながら、近づいてくる。「こちらは、妹さんです」隣にいた園長が合いの手を挟む。そのうち居ても立ってもいられなくなるのではないかという予想は外れ、笑顔の多い、秋の宵のばあちゃんだった。

 部屋に戻り、1時過ぎまで同室の方たちとビール片手に話が弾む。海外滞在の経験のあるコマチさんとトナミさん。育ち盛りの子どもに電話するスタッフのミナコさん。「ばあちゃんの孫」。10時ごろ、部屋を抜けてばあちゃんを見に行くと、布団を並べて三人寝ている脇に、キクエさんが座っていた。「お疲れになったみたいですよ、なかなか寝付けそうにない人もいるけれど、エツさんは、ぐっすり眠りそう」家族のことやばあちゃんの生い立ちなどをキクエさんは聞きたがった。まきば園に来て、スタッフからそういう質問をされるのは始めてだった。まきば園に通ううちに、スタッフとしての忙しさもさることながら、「たったいま」に向き合うことを第一義と考え、家族の痛みや不快を掘り起こさないように、敢えて過去を話題にしないのが、この若者たちにとっての不文律なのかもしれないと思い始めていたので、とても嬉しかった。 

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