1997の秋 パート1
今年は、秋の那須路。
出発の30分前に、まきば園に着いた。玄関にバスが止まっている。中を覗いてみたが、まだ、ばあちゃんは乗っていない。近くにいたスタッフに声をかけられた。「さっきまで、えっちゃん、どこにも行かないって言って・・・」「ありゃりゃ、またかぁ。ちょっと見てきまぁす」むぎの部屋に行くと、着替えの最中だった。始めて見る服ばかりで、頭の先から足の先まで、秋にふさわしく茶を基調にコーディネートされている。ばあちゃんを担当している、ノンベのホトケダさんのお見立てだ。わたしは、自分自身の着るものにさえまったく執着がないものだから、適当なものがあれば揃えておいてもらうよう頼んでいた。お任せした甲斐がある。
ホトケダさんが、コーデュロイのズボンを穿かせようとして、すわっているばあちゃんを抱え上げようとすると、ばあちゃんが言った。「ぐっしょりたい」「ほんとだ、抵抗したもんね、オムツも換えておこうか」「そうたいねぇ」「行かないって、そんなに頑張ったの?」「部屋に鍵かけちゃってね」ぼけてからのばあちゃんは、家でも、まきば園に来てからも、対応のタイミングが少しでもずれると、断固として外に出ようとしない。旅行に同行する男性スタッフが、戸口に現れた。「よかったぁ。ホトケダさん、助かったよぉ」「ごめんね、大騒ぎしたみたいで・・・」「いえ、これで行けますね、ほっとした」「今日は、よろしく」「こちらこそ」
着替えが終わって、三つ編に結った髪の先に、やはり茶色のリボンがくくりつけられる。旅支度をしているわたしに向かって、「あんたも行くのかい」と穏やかな笑みを浮かべる。
スタッフに抱えられて、ばあちゃんがバスに乗り込んだ。旅のしおりに、バスやディナーの座席表、部屋割り、食事や風呂の担当者などが書き込まれている。ばあちゃんは、前から三番目の席で、隣の窓際には、水俣出身のイケハタさんが座っていた。通路を隔てた反対側がわたしの席で、窓際にはすでにご家族のお一人と思われる人が座っていた。
ばあちゃんは、改めて、どこかに出かけるらしいことに気づき、なにやら落ち着かない様子だ。イケハタさんが、こぎゃん日の来るとは思わんかった、と嬉しそうに言うたびに、とつきゃにゃぁこつ、あとはお迎えの来るのを待つばかりたい、いつお迎えの来っとかねぇ、と水を注すようなことばかり言う。負けずにイケハタさんが、なんば言いよっとか、そぎゃんこつ、言うもんじゃなかよ、とさとすようにばあちゃんの膝を叩く。
もう少し前から、二人の会話を聞くともなく聞いていたらしい隣のご婦人が、なんでそんなことを言うのかしらねぇ、折角の旅行じゃないの、とばあちゃんの繰り言に呆れている。バスが走り出し、挨拶をしたところ、ケアスタッフの一人だと思われていて、ばあちゃんの孫だと言うと、驚かれた。イワクニさんというその方のお母さんが特養にいるが、今回の旅行は、家族としてではなく、ボランティアの一人として参加している。今夜のディナーの出し物は「大衆演芸」で、そのグループの一員として、演歌を歌うのだそうだ。「そのときは、化けますよ」
スタッフのリーダーが旅の始まりを告げる。園長の挨拶のあとで、マイクを回しての自己紹介が始まった。マイクを向けられたばあちゃんは、ニコニコしながら、「妹と一緒に来ました」と言って、バスの中をわかせた。気をよくして、自分から「歌えと言うとかぁ」と言い出して、またもや思いがけぬ台詞にどっと笑いが起こったが、こんどは「何も歌えん」とマイクを押し遣って知らん顔をしている。
そのあとは、また、イケハタさんとの応酬。「楽しいとおもわにゃならんよ」「うるさかねぇ」「何ば言いよるとかねぇ」「こっちんほうに寄って来らんでよ」「あんた、ありがたこつよ、こぎゃんことのできるとは」「あんたのほうが、うるさいの」目の前に突き出されたイケハタさんの頬をぴしゃぴしゃと叩き出す。イケハタさんも負けてはいない。しばらく、子どもの喧嘩を見ていた。
機嫌良く歌を歌い出す人がいたり、旅のうきうきを語り出す人がいたりして、バスはトイレ休憩のために、パーキングエリアに入る。