明日は、母の七回忌である。
早朝、熊本から、母の従兄弟夫婦、つまり、ばあちゃんの甥夫婦が飛んできて、羽田からそのまま、まきば園まで足を伸ばしてくれた。途中、熊谷の駅で落ち合って、まきば園に着くと、ちょうどテーブルで昼食を待っているところだった。
食事直前、絶好のタイミングだった。母が以前、詩に描いたことがあったが、まさにニューロンのスイッチがオンになって、記憶の糸がつながったようだった。
英オジととみえオバを見るなり、おお、来てくれたつねぇ、うれしかねぇ。遠くからよう来たねぇ。久しかぶりたいねぇ。ほんにうれしかねぇ。
本物の熊本弁に接して、ばあちゃんの熊本弁もぽんぽんと飛び出す。
二人と落ち合った喫茶店で、もうすっかり無表情、無感動、無反応で、なかなかしゃべらなくなっちゃって、とさんざん前振りをしていたせいで、それとはまったく違う様子のばあちゃんに一入の驚きと喜びだったようだが、わたしもそれどころじゃない、くっそぉとはさすがに思わなかったが、もっと刺激のしようがあるんだなぁ、とおじおばに感謝しつつ、まずは、この時間帯を襲うこと、そして、できれば、本物の熊本弁遣いと一緒に訪問することをこれから心掛けようと思った。
ばあちゃんの前にお盆が置かれた。同じテーブルの人々はほとんど食べ始めているのに、めずらしくなかなか食べようとしない。人目を気にしているのだ。懐かしい顔ぶれを前にして、一人だけ食っていいのかという気持ちがあるだろう。ついでに言うと、器の中身はあまりうまそうじゃない。何度も何度も器の覗き込んだり、おじやおばの顔を見たりするばかりで、手をつけようとしない。
このあたりから食べてみたら、と声をかけると、ようやく手を動かし始めた。食べ始めたらこれさいわい、最後の一粒まで、どんなに回りから人々が立ち去っても、時間をかけてゆっくり食べ続けた。時折、少し離れたところでばあちゃんの食事を眺めているオジたちを見ては、笑顔を見せる。そのうち、オバがそばに寄っていって声をかける。それに相槌をうちながら、食事を進める。
部屋に戻り、ベッドに移した。足が全く無力なので、実に重い。見た目は実に身軽そうなのに、実際体重も軽いだろうが、意志のない物体のように、ほんとうに重い。
孫が耳かきをして、甥が爪を切る。
古い古い写真を集めたアルバムを三人のあいだに置くと、ああ、これはイネおばさんねぇ、これはシズコねえさんたい、こいは忠次さんよぉ、と話に花が咲く。しつこいが、本物の熊本弁の威力だ。巧みに記憶が誘導されていく。いっとき思い出したに過ぎないにしても、その瞬間だけ、玉名の風が吹きわたっていた。
おみやげに持ってきてくれた、熊本のお菓子。マシュマロのような饅頭で、歯茎でうまそうに食う。さすがに昼食直後とあって、一個で満腹。
次第に、帰るところがあるとじゃろかぁモードに入ってきたので、引き上げることにした。
その日は、胸元にピンクの刺繍のついた白いブラウスを着ていて、これがまたよかった。明るくて、ふわりとしていて、笑顔が映えた。
おじちゃん、おばちゃん、ありがとう。毎月来てね。なんちゃって。
最後まで、ばあちゃんの笑顔は絶えることがなかった。