2001年1月14日

3時にまきば園に着いた。先の園長いまの理事長にコーヒーをごちそうしてもらう。

30分ぐらいしてばあちゃんに会いに行くと、車椅子に座って、中居くんが出ているテレビを見ている。なくしたと思っていたからし色の髪止めをテレビの上に発見。こんなところにあったとは。

ばあちゃんの手が冷たい。爪を切ろうにも、爪も固い。
右手の中指も人差し指も、左手の人差し指も、内側に曲がったままでもう伸びない。

熊谷駅前のコージーコーナーで買ったケーキの柔らかいところを、スプーンで少しずつすくって口に持っていく。いちごのムースと紫イモのクリームケーキ。
うまかぁ、って言った。
久しぶりに意味のある言葉を聞いたような気がする。
そのうち、番組がかわって、古館一郎がひっきりなしにしゃべっているのを見ていた。

2001年3月3日

また2月は行きそびれた。一ヶ月以上顔を見せないと、寂しくてひどい風邪を引いたり、それがこうじて死んでしまう、という強迫観念のようなものがあるのか、そんな夢を数日前に見た。

4時に着いた。
もしかしたらと思ったように、ひな祭りコンサートがちょうど終わったところだった。

穏やかな表情をしている。母の面差し。
右目の上のあたりを掻いていて、ここが痛かつよ、と言う。

ケーキどれにする? と聞くと、抹茶入りケーキを指さした。あまり食が進まない。食べてみた。うまくない。これはやめることにして、もう一度、イチゴとさくらんぼとみかん、どれにする? と聞くと、イチゴと言った。こういう言葉を聞くのも久しぶりだ。

紙パックのジャワティーを口に寄せると、ぐいぐい飲んだ。よっぽど喉が渇いていたのか。おやつに配られるのは、あいかわらず、スポーツドリンクだ。スポーツして汗でも流せば体が欲しているのだろうし体にもいいのだろうけれど、だいたい自分がああいう飲料は好きじゃないせいもあって、いまさら体にいいものをなんて気遣いは無用だろうにと思ってしまう。好きなもの、おいしいもの、もし、好きだと言うのが分かっていて、おいしいと感じるならば、の話だが、だから、好きだったもの、自分たちもおいしいと思うもの、じゃ駄目なのかしら。

おやつに雛菓子が出ていた。柔らかい雛あられではなくて、豆かなにかを砂糖で固めたような菓子。誰が食えるんだ、こんな固いもん、と思った通り、少なくとも、ばあちゃんと同室の誰も食べられない。雛あられも溶けるまでに時間がかかるだろうとは思うけど。

久しぶりに耳かきをした。いつも耳かきを持っていくのを忘れてしまうので、ばあちゃんの箪笥に耳かきを置いていたのだが、それもいつのまにかなくなってしまい、今日はマイ耳かきを持っていった甲斐があった。
酒の肴のイカの燻製みたいな薄さの耳垢がぼろぼろ取れる。何重にも層をなしているのにちがいない。固まってしまっているが、辛うじて地層の切れ目はある、そんな感じだった。今度は、耳クリンを持ってきて、しめらせてからさらなる発掘に挑もう。
気候が乾燥しているうえに、暖房でますます乾いているから、皮膚も耳も乾ききっている。

耳かきをするうちに、うとうとし、ちとこちらの気合が入りすぎると怒り、また気持ちよくなるとうとうとする。頭を掻きながら、テレビを見たり、目をつぶったり。

耳かきを終えて、ベッドの頭のほうを下げたら、何か刺激を与えたのか、しばらくしゃべり始めた。何を話しているのか、さっぱり見当がつかない。
爪切りもしたが、曲がり込んだまま伸びない指がまた増えて、爪がとても固いので、なかなか思うように切れない。切るんではなくて、狭い空間を縫って到達した爪の先を磨いて擦り減らすような器具がどこかにありそうなもんだ。

また来るけんね、と言うと、笑う。
どうしたらよかろうねぇ、という久々のフレーズに、引き止められた。

スタッフがやってきて、他の人に聞いている。
お菓子食べた?
食べねぇ。
なんで? 固いから?
ああ。

ばあちゃんとの語らいが意味をなしそうになって、聞き耳を立てようとすると決まって闖入者に遮られた。闖入者とは失礼な話だが、どういうわけだか、二度三度とそういうことが重なって、残念至極。ぱたぱたぱたという足音だけでも、ばあちゃんは気を逸らされる。

そのうちやっと何かを話し出したときには、やっぱりさっぱり分からん言葉を発していた。
まったく相手に意味の通じない言葉らしきものをあれほどまでに口にし続けるのは、気持ちいいだろう、と思われた。相手のことなど気にせずに、気持ちよく何かをずっと語っている。相手に意味が通じるように話すのは、しんどいことではあるわけだ。

ぽつんと意味の分かる言葉が発せられる。
死のうかどうか、思いよっとたい。なんかあるとか。
なんでんなか、とふと答える。なんでんなか、なんでんなか、と繰り返してみた。
すると、なんでんなか、と思いよったたい、だとさ。

そろそろ食事。その前にオムツ交換。廊下に出て待っていると、それに気づいたスタッフがあっちやこっちから声をかける。わぁ、お久しぶり。その後ろ姿はもしやと思ったら。いらっしゃいませぇ。
よく風邪を引いていらした数年前に比べて、ずっとお元気で、この分なら100才までは・・・。

食堂までスタッフリーダーが車椅子を押してくれる。婦長さんが別れ際に、今日ずっといるんでしょ。いやもう帰るところ。あ、そうですかぁ、今日は理事長も副園長もいないけれど、コーヒーでも飲んで行って。では、またいらしてくださいね。
食堂はぎっしり人で埋まっている。他のスタッフも集まってきて、一緒にどうですか、ううん、ここで帰ります、いろいろありがとう、よろしくお願いします、と頭を下げると、また来てくださいねぇ、さあ、ご飯食べましょう、とみんなでわいわい中に入っていく。
事務室に声をかける。ばいば〜い、また来てねぇ。

死のうかどうか思いよるばあちゃん、100才まで生きそうな勢いのばあちゃん、住み慣れた土地を離れて一人でいるばあちゃん、お馴染みさんや初顔のスタッフ、暗いなぁと感じたり明るいなぁとほっとしたり、短所も長所もよく見えるまきば園、おかげさまでわたしはこんなふうにしていられる。
いつもならタクシーを呼んだり、スタッフの誰かに送ってもらったりするところを、久々に、最寄りの秩父線の東行田駅まで暗い田舎道を歩きながら、あと何度でもやっぱりこうして通い続けられたらいいな、と思う。

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