11月21日 -ばあちゃんの部屋-

説明会のあと、ばあちゃんのいるムギの部屋に行くと、高校ラグビーを見ていた。ちょっとご機嫌だ。にたっと笑って、ずっとテレビを見ている。動いているものが好きなのかもしれない。赤ん坊に似ている。スタッフが来たので、オムツ交換のあいだ廊下に出ていた。

近頃気になっているのが、右手の薬指だ。強度のリウマチのように、深く内側に折れ込んだまま動かすことができない。伸ばそうと外側に向けてちょっと力を入れただけでも痛がる。オムツ交換の終わったスタッフに話したら、ほんとうだと言いながら、指を伸ばそうとする力は思いがけず強かったようだ。ばあちゃんが相当痛がった。死にそうなほど痛いと言って、肘をねじ上げるようにして体で拒んだ。スタッフの執拗さというか力強さにはらはらしたが、ほかのことに話を向けたら、ほんとうにどうしちゃったんでしょうねぇと言いながらようやく手を放したのでほっとした。

気づかないでごめんね、ほっといたままにしていて申し訳ない、いますぐどうにかなるならどうにかしてあげたい、そんな気持ちが募ったのかもしれない。責めやしないよ。焦るな焦るな。

そのスタッフとはこのごろよく話す。常々食い物アレルギーを心配している。特に、肉アレルギーで痒みがひどくなっているそうだ。そんなわけで食後の薬や塗り薬は、同居していたころからずっと変わりない。かわいそうだよね、痒いというのは。乾燥した冬、暖房でさらに乾燥して、老人性乾燥肌と言ってしまえばそれまでだが、それにアレルギーも加わっているとなると、たまらんなぁ。

とりわけお尻のあたりが痒いのだそうだ。ああ、つらそう。

本人ではないので、痛い話や痒い話から離れると、痛くも痒くもなくなる。あいかわらず酷薄な孫だ。

最初にえっちゃんに会った時に比べると、ずいぶん穏やかになりましたねぇ。

だいたい気が強いもんね。

いまはショートカットだが、髪を長くしていて、まだ車椅子でなかったころの話になる。

夜勤のとき見回っていると、ザンバラ髪でトイレの近くに立っていて、恐かったですよぉ。ぎょっとして立ち止まると、「ここじゃろかぁ」っていう声が聞こえて、ああ、えっちゃんだぁ、ってほっとしたりして。

部屋の前を通りかかったときに、ベッドの上から何も言わずに手招きする様子は、ほんと前にも話したように、堂に入ってます。思わず、ふらふらと吸い寄せられちゃって。

それにしてもこの指どうしたんでしょうねぇ、と話が戻ると、彼女の手もばあちゃんの手に戻ったりして、ちょっと恐い。その手を振り払うようにして、きつい物言いをするばあちゃんもなかなか恐い。痛みで殺伐とした気分になったのか。指ば押し切っとよかじゃろ!

この数日のうちに、園で三名亡くなったそうだ。その三番目の方が園長の父親である理事長。園で通夜、葬儀をすることになっているが、それは遺言だそうだ。

明日のお通夜に伺うつもりでいる。

タクシーで園まで来たら、敷地をぐるりと花輪が取り巻いていて、圧倒された。着々と葬儀の準備が進められていたが、ばあちゃんたちの生活空間内は、家で訃報を受け取ったときに懸念したような空気ではなかった。

だが、明日はどんなことになるのだろう、とやはり懸念される。

11月22日

お通夜の前にばあちゃんのところに行くことになるのだから、なるべく早めに到着できるようにしようと思っていたが、なんだかんだで、一時間前だった。ちょうど食事中だった。

喪服姿では刺激が大きいだろうからとジーパンのままだったので、誰もいないばあちゃんの部屋で着替えて、明るい色のスカーフなどを巻き、食堂に迎えに行った。

妹ともども、なんだか気持ちがそわそわして、ばあちゃんとゆっくり時間を過ごすことはなかった。

時間になったので、おやすみと言うと、ああ、と答えたまま、目は宙を彷徨った。

日頃ティーサロンとなっている部屋に祭壇が作られ、外に面した大窓が開け放たれていたが、外側にはいっさいと言っていいほど物音は漏れず、惻々と人々の列が動いた。

まきば園と深く関わりはじめた当初、何かの行事でアルコールが入ったこともあって、行事が終わったあとも、事務室で園長や理事長とついついビールが進み、理事長が語り始めたのを思い出す。

後で知ったところによると、いわゆる一つ話だったようだが、この白川戸という地名の由来からなぜ福祉法人名を隼人会としたかを解き明かすように語り、郷土愛を誇っていたっけ。

あんなに元気だったのに、あんなに元気な人も、いつかは通る・・・。


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