第十七話「人間」

 マリの目の前に、巨大なネオ・ジャイアントデビルがそびえ立っている。キング・シャドウがその頭部から、はるか眼下の彼女に勝利の確信に満ちた叫び声を放った。
 「来れるものなら来るがよい。わしはここにおるぞ!」
 マリはネオ・ジャイアントデビルの基部に向けて走った。マリが金色の矢を連射、爆発させると、厚い装甲版にも穴が開く。中に飛び込むマリに、ネオ・シャドウマンの大群が襲いかかった。たちまち、一対多の大乱闘の幕が開く。
 だが、彼らは今までのネオ・シャドウマンより明らかに数段強かった。苦戦するマリに、キング・シャドウの声が響く。
 「どうだ、わしの意志の力で動くネオ・シャドウマンは。それ故に、どんなに破壊してもそいつらを止めることはできぬぞ。たとえ、粉々の粉末にしたとてな。」
 その言葉通り、マリの一挙手一投足がいくらネオ・シャドウマンを撃破しても、破片の一つ一つ、部品の一個一個が意志あるものの如く宙を飛んでマリに襲いかかってくる。いつかそれは竜巻か嵐、あるいは蜂の大群の如くマリを襲い苦しめるのだった。それは、マリが今までに味わった最大の物理的苦痛だった。 しかし、マリは進んでいく。
           ◇                ◇
 光明寺博士はミサオやアキラ、ヒロシと共に車を駈っていた。そのはるか前方に、ネオ・ジャイアントデビルの輪郭が、霞がかかったか蜃気楼のようにぼんやりと浮かんでいる。
 「あれは、ジャイアント・デビルだ!」と車の中でヒロシが声を上げる。
 「僕達の体に、設計図が書いてあったっていうやつだよね。」と、アキラ。
 「いや、それよりももっと恐ろしいものかもしれないよ。」と、光明寺博士。
 「私達、政府が昔作った核シェルターに行くんじゃないんですか?」
 ミサオが首をかしげると、光明寺博士はハンドルを握りながら言った。
 「瞬間的な核爆発やオゾン層の崩壊による紫外線暴露程度ならともかく、バン・アレン帯の崩壊による永久的なγ線暴露に核シェルターが有効だと思うかね?私達の助かる道は一つしかない。」
 「そんなので、たとえ一つでも助かる方法があるんですか?」
 「飽くまでも一つの可能性に過ぎんがね。私の今までの研究はついにそのことを示唆した。私に今できるのは、それを確かめることだけだ。」
 博士の車は一路、ネオシャドウ基地の跡地、核爆弾の爆発現場の方角に向かっていた。
           ◇                ◇
 マリは、ついにキング・シャドウの前に現れた。大きな二つの電極の間に立った黒衣の首領は、どんな悪人にも少しはありそうな人間らしさを微塵も見せることなく、もはや機械の一部と化している。死の灰を浴びたマリが目の前に現われても、彼は微動だにしなかった。
 マリはネオ・シャドウマンとの死闘で全身を傷だらけにされ、怒りと悲しみに燃えて、じっとキング・シャドウを凝視していた。よく見ると傷口の一つ一つにはネオ・シャドウマンの部品が喰い込み、はてはマリ自身の部品と一緒になってこぼれ落ちて行く。特に激しい戦いのため手足の損傷は著しく、内蔵された矢がばらばらと床に撒き散らされていた。
キング・シャドウもさすがにマリのそんな姿には少なからず圧倒されながらも、
 「よく立っていられるな。ここまで来たことだけはほめてやろう。」
 「あなたの犠牲になった多くの人達の意志が私を支えているのだと言えます。私一人の
力ではありません。」
 「善意に支えられているのだとでも言いたげだな。しかしまた善意ほど無力で変に有害なものもあるまい。それは知っておろう。」
 「確かに、そんなことばかり経験してきたような気もします。自分に一番近い人さえ、私は苦しめるばかりで救えなかった。しかし私の旅は終わりはしません。」
 「いいや、もう終わりだ。答えはもはや明らかなはずだ。現実には善なる心の持ち主ほど苦しみ、傷つき、あまつさえ他人を苦しめ、傷つける。いかなる力を持とうとも、人間も人造人間も、それだけでは幸福になることも、他人を幸福にすることもできはしない。だからわしはすべてに勝る力をもって、この世界にピリオドを打つ。お前も少しは現実を見る目を持つのだな。もっとも手遅れだろうが。」とキング・シャドウはせせら笑った。
 「しかし、物事には現象と本質があります!」
 マリがキング・シャドウに歩みよりながらそう叫んだ時、彼女の背後に撒かれていた矢が一斉に爆発した。十分軽くなっていたマリの体は爆風に飛ばされて、まるで自ら飛びかかるようにキング・シャドウの体に、電極の間に叩きつけられるのだった。
           ◇                ◇
 光明寺博士とミサオ、少年達は、ネオ・ジャイアントデビルの前方に駈けつけた。
 「ここで降りよう。これから先は放射能の危険がある。」
 博士とミサオ達が車を降りると、ネオ・ジャイアントデビルの様子がおかしい。その頭部に不思議な青く淡い輝きが見え、すぐにその巨大なメカニズムの全体を包み込んだ。
 「何、あの光は?」とアキラが声を上げ、ミサオがそのスカイブルーの輝きを目にして、 「マリさんの、色…」とつぶやく。
 やがて、その巨体に次の異変が起こった。ネオ・ジャイアントデビルが光に包まれたまま、見えない力に吸い上げられるように、邪悪なピンク色の空に向かって上昇していく。
それはやがてはるか頭上の小さな点となり、青い星のように輝いて見えた。博士達は言葉もなく、そのなりゆきを見守るばかりだった。
 と、その青い光が突然四方八方へと飛び散り、消滅してしまう。博士やミサオ達が反射的に顔を背け、目を閉じる。彼らが再び顔を上げると、ネオ・ジャイアントデビルの姿までもが、一緒にいずこかへ消え去っていた。
 「消えてしまったなんて…マリさん、もしかして、あの中にいたんじゃ…」とミサオ。
 「おそらくね。」と、博士はピンク色の空を見上げながら、落ち着き払って言った。
 「博士、どうしてそんなに落ち着いていられるんですか!」とミサオは絶叫した。
 「私は科学者だ。奇跡を信じはしない。しかし、今は彼女を信じる。」
 奇跡のような出来事が起きたのは、博士がそう言った直後だった。
 ネオ・ジャイアントデビルの消えたあたりの空の一角が、ピンク色からスカイブルーの色彩に変わる。それはみるみるうちに空一杯に広がって、スカイブルーが急激にピンク色を駆逐し、博士達の視界一杯に満ちていった。彼らの頭上ばかりではない。全世界にあまねく広く、みるみるスカイブルーの青空が広がり、よみがえっていく。
 「バン・アレン帯が復活している。我々は救われたんだ。水車は回ったのだよ。第一種永久機関の構造を持つものを、私達は何と呼んだらよいのか。」
 「どういうことなんですか、光明寺博士。」とミサオが尋ねると、博士は語った。
 「マリ君が、やったんだよ。あの巨大メカニズムは意志をエネルギーに変える超物理則的なものだったのだろう。そして、良心回路はエネルギーを意志に変える。マリ君の良心回路の持つ感応性が二つを一つにした時、意志とエネルギーが互いに双方を生み出し合う循環系ができ上がったんだ。それは循環の続く限り、無限にエネルギーを生みつつ成長していく、偉大なる意志とエネルギーの統一体だと考えられる。バン・アレン帯の再生など、今の彼女にはごく簡単なことなのだよ。」
 「マリさん、まさか本当になってしまうなんて…博士、これから世界はマリさんの善意によってどうなろうというのですか。」
 「いいや、今のままなら彼女はとても神などと呼べるほどのものではない。世界にもさほどの変化は起きないだろう。」
 「どういうことですか。」
 「彼女は様々な能力を得ては、それで人のために尽くそうとしてきた。だがその結果がどうであったか考えてみたまえ。今きっと彼女はあまりに大きな力を得過ぎて、これまでになくとまどっていることだろう。」
 ミサオには、マリの悩んだ姿が目に見えるようだった。
 「しかし、彼女は私達に進むべき道を示してくれたと言える。私達人間は、人造人間も含めてだが、私達の善意がそのまま善意にふさわしい結果を生む、安心して正義をとり行える、そんな社会を作らねばならない。それが叶った時、彼女は迷わずその持てる力をあますところなく使い、私達に至福の宇宙を提供してくれるだろう。その時が彼女の晴れて
神と呼ばれる日であり、私達は彼女をそうしてあげなくてはならない。」
 「遠い未来の物語ですね。」
 「遠いのかもしれない。だが、意外と近いのかもしれない。とにかく、まずは彼女のしてきたように、私達も精一杯悩んでみることだね。その時は彼女も、あの見慣れた姿を私達の前に現わして、同じ悩み多き人間として、一緒に悩み苦しんでくれることだろう。彼女は私達であり、いつも私達と一緒にいてくれる。」
 空一杯のスカイブルーに祝福されて、一つの旅立ちが始まろうとしていた。その門出に立つ光明寺博士の表情は、人生の半ばをとうに過ぎた初老のものではない。まさにこれから人生の大空に飛び立って行こうとする若者のものである。博士は確信と誇りに満ちて言った。
 「さあ、いよいよ人間の出番だ。」
                           スカイブルーの神話 −完−


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