第十五話「別れ」
マリが冷たい木枯らしの中を歩いている。背後から一人の青年がバイクに乗って、
「マリさん!マリさん!」と彼女の名を呼びながら近づいてきた。
だがマリは、その声が聞こえないかのように、青年に背を向けて歩き続けた。青年が、
「マリさん、どうして逃げるんだ?」と、彼女に追いついて問いかける。
マリはやむなく振り返り、その青年に悲しげなまなざしを向けて言った。
「もうこれ以上、私を追わないでください。」
「なぜ?」と青年がマリの傍らにバイクを停めて彼女を問い詰め、マリが、
「私は、あなたの好意に答えられる身分ではないのです。」と言うと、彼は苦笑した。
「馬鹿な。君がどんな古い考え方を振り回そうが、俺は君が、好きなんだよ。」
「英介さん、あなたはこれでも私が好きですか…」
マリが意を決してその青年、峠 英介の目の前で両手を交叉させた。
「チェンジ、ビジンダー!、とうっ!」
その手が左右いっぱいに広げられると、マリの体がふわりと宙に舞い上がり、無数の星のような七色の輝きに包まれた。その中で彼女の全身が瞬間的に姿を変え、戦闘用人造人間ビジンダーに変身する。ビジンダーが英介の目の前に着地すると、彼は驚きのあまり、
「き、君が…」と息を飲んで沈黙した。
彼女は、能楽者が表情のない面で悲しみを表わす時のように黙したままうつむき、
「さようなら。」とたった一言告げて跳躍し、いずこへともなく姿を消してしまう。
「マリさん、どこにいるんだ。ビジンダー!ビジンダー!」
北風の中に、峠 英介の声だけが幾度となくこだました。
◇ ◇
「はっ?」
マリは光明寺博士の研究所の実験台の上で目を覚ました。額を押さえて上体を起こし、自分の意識を呼び戻すように首を左右に振るマリに、傍らにいた博士が声をかける。
「また、夢を見ていたのかね。」
「はい。昔のことがしきりに思い出されて…人が聞いたら驚くでしょうね。人造人間が眠るだけならともかく、夢まで見るなんて。」
「ボディが休んでいる間に、電子頭脳が記憶をデフラグしているだけのことだよ。」
「こま切れに、乱雑に並んだ記憶を並べ替えて、整理し直しているということですね。」
「驚くことではないね。人間が夢を見る理由もそれと同じだという説もあるそうだ。」
「でも、何度も同じ場面が浮かんでくるとしたら、やはりそれはトラウマになっている記憶だということなんでしょう?」と問うマリに、博士は笑顔を浮かべて言うのだった。
「私にはよくわかっているよ。君は、過去の傷を乗り越えて強くなるタイプだ。」
◇ ◇
建て直されたばかりの反対小屋に火が放たれた。小屋が音を立てて燃え上がる。
「畜生!」と、原発反対運動のメンバー達が小屋を囲んで口々に叫んだ。
「こんなことになるのなら、何もしなきゃよかった!」と女性メンバーが絶叫する。
彼女の手には、ライターが握られていた。青年達は自ら小屋に火を放ったのだ。そこに姿を現して驚くミリを、例の青年が離れた所へ連れ出した。
◇ ◇
「リ−ダ−の人が運動資金を?」
「誰よりも、信じていたのに…」
「全額、持ち逃げだなんて…」
「皆で少しずつ出し合って、その上募金で走り回って必死で作ってきたんだ。人を信じられない人間にはなりたくないのに!」と、青年は怒りをあらわにするのだった。
「私にできることがあれば、何でも言ってください。」とミリが言うと彼は、
「本当かい?本当に、できることなら何でも…」と、溺者の藁にすがるが如く問う。
「ええ…」
「それじゃ、僕と結婚してくれ!」
青年のあまりにも突然の言葉に、ミリは驚きのあまり言葉を失った。
「今の僕には、もう君しかいない。君を初めて見た時から、僕は君のことばかり考えて来た。でも苦労して活動している仲間のことを思うと、自分だけ抜け出す訳にはいかなかったんだ。でも、今は違う。これから僕は、自分のことを第一に考えて生きて行くんだ。だから…」
「そ、そんなこと、すぐにお返事できません。時間をください。」
「それじゃ、初めて僕達が出会った場所で会おう。君が現われるまで、僕はずっと待っている。」
◇ ◇
ミリは相談相手を求めて光明寺博士の研究所を訪ねたが、そこにマリの姿はなかった。ミリが一部始終を光明寺博士に語ると、博士は研究室の椅子に腰かけたまま、
「なるほど。人は誰だって少しずつ優しさを持っている。それでも必ずしも救い合えないのは自分が可愛いからだけじゃない。優しさが人を逆に苦しめてしまうことを恐れるか
らでもある。誰の心にもマリ君みたいなところがあるのだと言ってもよいだろう。」
「それはわかります。そうでなければ話は簡単です。マリさんを量産化するだけですべては解決するのですから。」
「そうだね。それでも何かしようと思うのなら、自分の正しさを信じ込めるための心の拠り所が必要になってくる。それを失った人間の苦しみをまずわかってあげなさい。」
「わかっています。だから辛いんです。」
「ここから先はマリ君に聞いてみなさい。彼女にも同じような経験があったはずだ。」
「そうだったんですか…」
ミリはそれを聞いて、直ちに研究室を出て行った。
ミリの立ち去った後で、博士は心配げに、
「うまくいってくれれば良いが。」とつぶやき、日常的なデスクワークに戻りかけた。
だがその時、昼間だというのに室内が急に暗くなり、壁面に一体の人造人間の姿が浮かび上がった。鬼のような角、コウモリのような翼、悪魔のような残忍さ…それは、アイラムに他ならない。博士はつとめて冷静に語りかけた。
「何者だね。ノックもせずに失礼じゃないか。もっとも、立体映像だけではノックもできまいが。」
「よく見破ったな、さすがは光明寺博士だ。私の名はアイラム。ネオシャドウ・ロボの統括者だ。」
「君がか。それはよく来てくれた。一度ゆっくり話し合いたいと思っていたんだ。何ならキング・シャドウ君も呼んだらどうかね。まあ、それはともかく用件を聞こうか。」
「用件か。そうだな、協力の依頼とでもしておこうか。」
「君としたことが、もう少し見込みのあることを考えたらどうだ。以前にそれでひどい目にあった私が応じると思うかね。」
「我々は純粋なロボット集団だ。人間の気違いを首領としたダークなぞとは異なる。」
「どうかな。私にはネオ・シャドウがロボット・オンリーとは思えない。」
「なぜだ。我々はロボットだけの帝国建設を目差す純粋なロボットの組織体だぞ。」
「そのロボット帝国という発想そのものが変に人間的なのだよ。君は国家というものが何のために作られたのか、考えたことがないのか。」
「私の自我は人間のものと異なり、無駄なことは考えない。」
「無駄の価値を知りなさい。国とは人間が作るものだ。」
「ロボットには民族がないとでも言うのか。」
「いや、ここで問題となる民族とは遺伝学的概念ではない。アメリカ合衆国のような多民族国家でも、同族意識さえ共有できればその点では同一民族だといえる。」
「ロボットが同族意識を持ってはいかんのか。」
「ロボットがロボットを作り、継代していくのみの社会ではあり得ないことだ。ロボットの自我はいわば人工物であり、自由に作り変えることができる。ロボットのみの系が完全に保たれているのならばその自我は完全な安定をみるはずであり、同族意識により自我が支え合う必然性はなくなる。国家という概念を持ち出す必要も生じない。」
「どこかに不安定な自我の持ち主がいるというのか。」
「それが中心にいればこそ、末端のネオシャドウ・ロボが中央の鏡として、その自我の不安定さを写し出す。」
「馬鹿な。私はすべてのネオシャドウ・ロボの統括者だぞ。ネオ・シャドウの、それも中心近くに私の知らぬ人間がいるなどとは信じられん。」
そう告げるアイラムの声には、怒りさえ感じられた。
「君の統括を受けぬ者が、ネオ・シャドウには一人だけいる。」
「キング・シャドウ様を愚弄する気か!」と、いよいよ怒りに燃えるアイラムだが、
「その可能性を認められぬ君ではあるまい、アイラム。」と博士は冷静に言い放った。
「そんなことが…ううっ!」と、アイラムは博士の目の前で突然苦しみ出すのだった。
「君自身も鏡の一枚らしいな。その可能性について考えようとすると電子頭脳に強力な拮抗負荷がかかり、君は苦しまねばならない。」
「やめろ、私の思考が乱れる!」とアイラムの立体映像は苦しみ悶えながら叫んだ。
「ロボットに自我があると支配するには難点も生じるが、反面便利な点も多い。物事を
ユニークに発想しスムーズに実行していく点では、有自我型ロボットは単なる自動機械にはるかに勝る。君はその点に着目し、多くのネオシャドウ・ロボに自我を与えたが、同時にキング・シャドウも君に同じことを目論んでいたんだ。君が有自我型ネオシャドウ・ロボの自我を支配しようとした時、彼も君の知らない所で君に同じことをした。」
たまたま廊下を通りかかったミサオがその会話を耳にした。驚いてドアを開けようとするが、扉は開かない。心配してドアを叩きながら、
「博士、どうかされたんですか!開けてください!」と叫ぶ。
「ミサオ君、心配しなくてもいい。もうすぐ終わる。」と博士は部屋の中から叫んだ。
「光明寺、どこまで私を苦しめる気だ!」と叫びつつ、アイラムの映像が乱れ始める。
「破局に至りたくなければ、ネオ・シャドウを抜けたまえ。ミリ君のようにな。」
「あいつのことは言うな。俺の妹にあたるロボットだ。」と、アイラム。
「ほう、ならばますます人間的だといえるな、君達兄妹は。」
「光明寺、これ以上話しては私が壊れる。さらばだ!」とアイラムの姿が消滅した。
部屋が再び明るさを取り戻し、途端にミサオが室内に駈け込んでくる。
「博士、何があったんですか。」と問うミサオに、光明寺博士は、
「ミサオ君、ネオ・シャドウの崩壊は近いぞ。」と告げるのであった。
◇ ◇
マリとミリが研究所の近くの森の中で、夕日を浴びながら話し合っている。
「わかりました。同じようにやってみます。」
「こういうことは、同じようにしたら必ず同じ結果が得られるとは限らないわ。」
「ええ、でもそれ以上の方法は、考えられない気がしますから。」
マリに何かを教えられて、ミリは有頂天になっているように見えた。マリがそれ以上の言葉を告げられないでいると、ミリはマリに一礼して彼女の前を立ち去っていった。
「ミリさん、気をつけて…」と、どこか心配そうにつぶやくマリだった。
◇ ◇
ミリは夜になって約束の場所に現れた。彼はもちろん待っていた。ミリは彼に会うなり、
「もう、これ以上私を追わないでください。」とあの日のマリのように言った。
「なぜ?」とその日の峠 英介のように問う青年に、ミリはやはり、
「私はあなたの好意に答えらえる身分ではないんです。」と、マリと同じ台詞を告げた。
「馬鹿な。君がどんな古い考え方を振り回そうが、僕は君が、好きなんだ。」
青年が小さく苦笑して言う。ミリはその言葉を聞いて、
「あなたは、これでも私が好きですか。」と問いかけ、両手を胸の前で交叉させた。
「チェンジ、アイリム!」と一声、ミリが両手を広げて跳躍し、七色の光に包まれる。
ついに、ミリが青年の目の前でアイリムにチェンジした。驚きのあまり、
「君が…アイリム…」と息を飲む彼に背を向け、アイリムは黙って立ち去ろうとする。
「待ってくれ。」と、いきなり青年がアイリムの手を捕えた。
アイリムが振り向くと、青年は異様な強引さで、
「たとえ君の体が機械でも、僕は君が好きだ!」と彼女に抱きついたのだった。
「い、いけません。こんなことは!」
「なぜだ。僕はもう君なしでは生きて行けない。僕を殺さないでくれ。」
「あなたは私のことなど忘れて、人間の女の人を好きにならなければならないのです。
そして普通に結婚して、子供を作って、家族をもうけて、幸せにならなければ。」
「君がいなくて、何が幸せなものか。アイリム、僕に君のすべてを捧げてくれ。」
青年の狂乱とも聞こえる言葉に、アイリムは何が何だかわからなくなってしまった。そして気がつくと、あろうことか彼の唇がアイリムの金属性の唇を塞いでいるではないか。
「いけないわ。そんなこと、不自然よ!」
彼女が思わず、強く突き飛ばすように彼から離れて叫んだ。その力に青年が本当に突き飛ばされて倒れ、地面に頭を打って苦しみ出す。助け起こす勇気も出せず、アイリムはた
だ彼から離れていくしかなかった。
青年は、やがて正気に戻ると、アイリムの背後から、
「アイリム、もう僕は幸せにはなれない!」と叫び、彼女はただ逃げ去るしかなった。
「どうしてあなたのようにいかないの…マリさん、あなたが遠い…」
ただただ失意に打ちひしがれ、その場から駈け去るばかりのアイリムだった。