第十一話「脱出」
 一人の若いセールスウーマンがある家を訪ね、玄関先で商品の使い方を実演していた。
 その商品は、ちょうど手のひらに載るくらいの小箱である。その小箱の上には、立体映像で老いた紳士の姿が映し出されていた。その家の主婦が、それを驚嘆の眼で見ている。
 それはまるで実物のような、鮮やかな映像だった。その若いセールスウーマンが、
 「私の小学校の時の先生です。」と主婦に語る。
 「本当に誰でも、そんな風にできるんですか!」
 「懐かしさが強い程、立体映像は鮮明になります。お試しになってみてください。」
 主婦が手渡された小箱を手のひらに載せると、その上に元気な赤ん坊の姿が現れた。
 「誰なの、これ。」と、主婦の隣にいた子供が不思議そうに覗き込む。
 「これはないだろ、お前だよ。」と主婦が子供に言った。
 「いかがですか、お宅にもお一つ。今なら実験販売の段階でお安くなっていますよ。」
 そのセールスウーマンの言葉に、母親は衝動的にうなずいてしまうのだった。
 家から家へと移り歩くそのセールスウーマンを、ひそかに尾行する別の女性の姿があっ
た。物影から物影へと素早く渡り歩くその姿は、マリに他ならない。彼女の脳裏に、研究
所を後にした時の光明寺博士との会話が思い出された。
 「では、最近セールス販売で各地に出回っているノスタライザーというのは、ネオ・シャドウの陰謀によるものだとおっしゃるのですね。」
 「ノスタライザーは人間の潜在的な記憶を呼びさまして、普通では思い出せないはずの過去の情景を鮮明な映像にする装置だと聞いている。確かに、人間の潜在的記憶能力というものは素晴らしいもので、どんな大容量のコンピューターをもってしても、到底かなうものではない。惜しむらくは、それを人間は自由に思い出す能力がない。」
 「憶える能力と思い出す能力とは大脳生理学上では別だとおっしゃるのですね。」
 「だから、私達は自分には憶える能力が足りないなどと言ってよく悩む。機械がそれを補えれば、それはそれで大いに喜ぶべきことだ。問題は、誰もが簡単に手に入れられるような経路と値段で売られている点にある。これではいたずらに社会を混乱させるだけだ。第一、そんな技術が開発されたという報告は一切ない。少なくとも、人間社会にはね。」
 「わかりました。でも、販売元のメモリアル・カンパニーの所在は掴めません。だから怪しいとも言えますが。とにかく、セールスウーマンの足どりから当たってみます。」
 マリはセールスウーマンの後ろ姿を追いつつ、良心スコープを作動させてみた。マリが、
 「人間…」と思わず小声でつぶやく。
 その女性の頭には、ピンクとスカイブルーの二色がめまぐるしくうつろっていた。
           ◇                ◇
 ネオ・シャドウ基地で、キング・シャドウがアイラムに問いかけていた。
 「アイラム、ノスタライザー作戦の目的を言うてみろ。」
 「はい。まずノスタライザーの売り上げによる新たな財源の確保。さらに、人間どもを過去の回想に駈り立てることによる社会進歩の妨害。そして最終的には遠隔操作によるノスタライザーの出力アップで、人類の原始化を図ります。人間化以前の記憶を呼びさまされた人類は自ら文化を放棄し、野獣と化して自滅するでしょう。」
 「うむ。人間とはすべて過去に縛られて生きる愚かな生物。それに目をつけた大事な作戦だ。その重要な先兵に、なぜお前はあのような運命の者達とはいえ、人間を使うのだ。」
 「キング・シャドウ様、セールスとは相手の立場に立ち、相手の気持ちを推し量ってこそ成り立つもの。人間が相手ならこちらも人間を使うまで。ましてあの装置の実演は人造人間では不可能です。」と言うアイラムに、黒衣の首領はなるほどとうなずきながらも、
 「そうか。だが一抹の不安は残る。人員監視は怠るなよ。」と命じた。
 「そのために、相当数のネオ・シャドウマンを動員しております。では、これにて。」
 アイラムがキング・シャドウの前を退く。その後ろ姿が扉の陰に消えるのを待って、
 「アイラム、人間以上に人間を理解するか…気をつけねば。」とつぶやく首領だった。
           ◇                ◇ 
 セールスウーマンを尾行して、マリはついに夜の港の倉庫街にたどり着いた。そのセールスウーマンが倉庫の一つに姿を消すと、マリは一跳びでその屋根に跳び上がった。うまい具合に屋根には天窓が開いており、マリはこっそりと中の様子をのぞくことができた。
 <やっぱり、博士のおっしゃった通りだわ…ネオ・シャドウ…>
 倉庫の中は秘密の工場らしく、ネオ・シャドウマンが何体も作業に従事していた。そして、明らかに彼らの作っていたものは、ノスタライザーに他ならなかった。マリは、
 <人間がいるなら、うかつに手出しはできない。>と、しばらく様子を見ることにした。
           ◇                 ◇
 TVのニュースが、ネオ・シャドウ基地にノスタライザーの様々な影響を伝えている。
 「ここ数日、ノスタライザーによる離婚の件数は日増しに増えています。これは夫婦のどちらか、または両方が結婚以前の別の恋人との恋愛の想い出の中にひたってしまい、夫婦仲がこじれたために起きたものです。また、中には自分の結婚相手の昔と今の変わりように失望して別れてしまった夫婦もあり、ノスタライザーで密会の様子を想い出している所を妻に見られて夫が訴えられるというケースも生じています。」
 「最近、一夜づけ勉強をして試験場にひそかにノスタライザーを持ち込み、カンニングに利用するという大学生が増えており、注意しても記憶を引き出すだけだからカンニングにはならないと反論して試験官を困らせる学生も現れております。これは高校にも近く波及するものと予想され、教育界では対策に頭を悩ませています。」
 「どんな名シーン、どんな名曲でもありありと想い出させてくれるノスタライザーのため、TVの再放送の視聴率、映画の再上映の動員数、いずれも大幅にダウンし、レコードやレーザーディスク、ビデオの売り上げも軒並低下し、業界では対策を苦慮しています。」
 「ノスタライザーは片手で簡単に操作できるため、片手ハンドルでしかもわき見運転という悪質なドライバーが増えています。すでに数件の事故が発生しており、思わぬ事故原因の登場で警察、公安委員会ともにドライバーの指導項目の追加を検討しています。」
 「TVが家族を分裂させると昔から言われてきましたが、マイコンに次いでノスタライザーがこれに追い打ちをかけるものとなりつつあります。さらにチャンネル権争いならぬノスタル権争いで兄弟げんかや、時には親子げんかまで起きているありさまです。」
 これらのニュースを聴いて、キング・シャドウは狂喜した。そしてアイラムに命じる。
 「かつてこれ程面白い作戦があっただろうか!もっと作れ、もっと売りさばけ。人類に未来など見えぬようにしてしまうのだ!」
           ◇                 ◇
 マリの見守る工場の中で、彼女の追ってきたセールスウーマンが、手渡された商品を、 「もう、嫌!」と仲間やネオ・シャドウマンの見ている前で怒りをこめてうち捨てた。
 「11 号、何をする!」とリーダー格のネオ・シャドウマンが、彼女の体を鞭打った。
 だが、たとえ体は床に倒れても、11 号と呼ばれたそのセールスウーマン自身はひるまない。逆に彼女は言葉も鋭く、ネオ・シャドウマンに向かった。
 「私達は人間よ。そんな風に番号で呼ばれて、機械人形に監視されているなんて嫌!」
 「我々ロボットを愚弄するのか!」と 11 号に迫るネオ・シャドウマンに、彼女は、
 「怒ったふりをしても無駄よ。私達を脅えさせるために、そう動作するよう仕掛けられているだけの操り人形!」と叫び、他のセールスウーマン達も動揺し始めた。
 <危険だわ…>と静かになりゆきを見守るマリの眼下で、突如異変が起こった。
 「そんなことを言ってよいのか。人員の補充などいくらでも効くのだぞ。」
 工場の中の空間に、突然悪魔のような姿のロボットの姿が大きく浮かび上がった。
 「ネオ・シャドウマンには必要とあればおまえ達の何人かは見せしめのために処刑するようインプットしてあるのだぞ。このアイラムが言うのだ、間違いない。」
 実物より数倍大きなアイラムにそう言われ、彼女らは身を寄せ合って震えながら、懸命に恐怖と戦う様子を見せた。マリはアイラムが立体映像に過ぎないことに気づきながらも、
 「あれが、アイラム…」とつぶやいた後で、その悪魔の次の言葉に怒りに燃えた。
 「お前達は皆、孤児院で育てられたみなし子同志。仲間をみせしめにはさせられまい。ましてノスタライザーの助けなしには、親の顔すらはっきりとは想い出せぬ身の上だ。」
 だがその時、11 号とは別の女性が、足をがたがたと震わせながらも、
 「殺すなら殺してみなさい。私達の心は一つよ。」と言い出した。
 他の女性達も口々にそうだ、そうだと訴え始める。アイラムはネオ・シャドウマンに、
 「どうやら本当に見せしめが欲しいようだな。おい。」と命じ、銃を構えさせた。
 途端に静かになり、脅え始める女性達だが、アイラムは銃を降ろさせはせず、
 「もう遅い。自ら掘った墓穴に落ちろ。」と悪魔のような笑いを浮かべて言った。
 だが、ネオ・シャドウマンの指が引き金にかかった瞬間、その指の数だけ上から矢が放たれ、すべての銃を彼らの手ごと射落としてしまう。混乱するネオ・シャドウマン達に、
 「天窓だ!」とアイラムが叫び、マリが天窓から跳び込み、女性達をかばって立った。
 「逃げてください、今のうちに!」と言われ、女性達が驚きつつうなずいて駈け出す。
 倉庫の出口にはネオ・シャドウマンの番兵がいたが、すでに矢を受けて倒されていた。脱出していく女性達を追おうとするネオ・シャドウマン達の、マリの矢で射落とされた手首から、それぞれに様々な武器が中から現れる。ドリル、チェーンソー、ハンマー、小型バズーカ、レーザー砲、そしてバット…アイラムの立体映像が、
 「どうだ、ネオ・シャドウ、アタッチメント部隊の感想は。」と問いかけ、マリが、 「こんな低予算部隊で、私を倒せるものですか!」と彼らを迎え撃ち、次々と倒す。
 「お前にはお前の過去があろう。どうだ、昔に戻って我々と手を組まぬか。私はお前のその力が欲しい。」と平然と問うアイラムに、マリは敵の一体の腕からバットを奪い取り、
 「過去なんか、履歴に過ぎません。乗り越えながら生きて行くものを人間といいます。あなたこそ、ザダムの亡霊、私の過去!」と、憎しみすら込めて投げつけた。
 だが、バットはアイラムの体を通過して後ろの機械に当ってしまう。それは工場の制御系統の中枢部だったらしく、たちまち工場は異常を起こして爆発し始めた。アイラムの姿はかき消すように消えてしまう。工場の中に残ったネオ・シャドウマンを片づけながら、
マリは炎に包まれる工場から脱出して行った。声だけになったアイラムがマリの背後で、
 「安心するのはまだ早いぞ。口封じ部隊がすでに動き始めている。」と告げ、彼女は、
 「何ですって!」と驚いて画像追跡装置を作動させ、急いで一行の後を追うのだった。
           ◇                 ◇
 夜の闇の中をさまよい逃げる女性達に、ネオ・シャドウマンの追撃隊が迫った。必死で逃げる彼女達だが、足の速さが違い過ぎる。11 号と呼ばれていた女性が、近づく追っ手の足音に意を決して言い出した。
 「このままじゃ皆追いつかれるわ。私がここで囮になるから、その間に皆は逃げて。」
 「一人だけ置いてなんて、行けないわ!」と仲間が言うが、彼女は制止をふりきって、
 「こうなるきっかけを作ったのは、私よ!」と言い残して足音の方に駈け去った。
 彼女はネオ・シャドウマン達の眼の前に跳び出し、仲間達とは反対方向に走り出した。
 倉庫街の建物の一つの扉が開いていた。その女性が中に駈け込んで、内側から門を閉ざす。彼女が扉の裏側から鍵を掛けると、ネオ・シャドウマン達は押し入っては来なかった。
 だが、安心する間もなく、彼女は自分を包みこむ刺すような冷気に気づいた。そこは、巨大な冷蔵庫の中だったのだ。外ではネオ・シャドウマン達が無慈悲にも扉をロックして、他の女性達を探しに行ってしまう。女性は恐怖にかられて何度も扉を叩き、声の限りに、
 「開けて、開けてえ!」と叫ぶが、返事のあるはずはなかった。
 温度はみるみる氷点下に下がっていく。彼女は全身を震わせながら、次第に絶望の淵へ
と沈んでいった。何もすがるもののない彼女は、震える手でポケットの中から、
 「お父さん…お母さん…」と、たった一個持っていたノスタライザーを取り出した。
 暖かい想い出が彼女の目の前に蘇る。父母の笑顔に囲まれて育った子供の頃の情景が、
走馬灯のように現れては消えていった。そして、優しげな老婆の姿が浮かび出る。彼女は、
 「お婆さん、せめてお婆さんさえ生きていてくれたら…」と涙を流し、頬に凍らせた。
 それは、あたかも童話の「マッチ売りの少女」のシーンにそっくりな光景だった。やがて、マッチの火が消えるように、立体映像も消えてしまう。それと共に、彼女も深い眠りに落ちていくのだった。
           ◇                 ◇
 長い夜が明けた。ネオ・シャドウマンの舞台はマリの手で殲滅された。マリの活躍と一人の仲間の犠牲によって難を逃れた女性達の手で、冷凍倉庫から彼女の凍死体が運び出される。マリはそれを悲しげに見守っていた。
 「私達、みんなこの人に助けられて無事なのよ。それなのに、それなのに…」
 女性達が、彼女にすがりついて涙ぐむ。マリは、彼女の手が、スイッチの入ったままのノスタライザーを握りしめたまま凍りついているのを見つけ、つぶやいた。
 「この人は脱出できなかった。ネオ・シャドウからも、自分の過去からも…」
           ◇                 ◇
 それから数日後、研究室でデータの分析を進めていた光明寺博士が、ミサオに言った。
 「見てごらん、マリ君が徐々に成長しているのがわかる。一体どこまでいくのか。」
 コンピューターの画面に、何やら複雑な記号や図形がいくつも表示されている。ミサオは、到底自分には理解できないと悟って苦笑した後で言った。
 「よくわかりませんけど、あの人はきっと、神様にだってなれる人です。」
「機械が神様になれる訳がないだろう。」と首を横に振る博士にミサオは、
 「そんなことをおっしゃるんですか?光明寺博士が。」と、意外そうに問いかけた。
 「そして、人間には機械しか作れないんだ。科学を、かいかぶらないでくれ。」
光明寺博士はそう告げて溜め息をついた。しかし、ミサオは小声で言うのだった。
「でも、やっぱりマリさんは、いつか神様になれますよ。科学の力じゃなくて、自分自身の心の力で。」

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