心臓停止

 翌週は仕事が立て込む。私(次男)は終電に乗れず始めてカプセルホテルを体験(笑)。
 土曜日、長男から朝の回診の時に医師から様子を聞いて欲しいと言われ朝早く病院へ行く。面会時間前のはずだかここでもフリーパスで病室に入れた(笑)。
 相変わらずたくさんの機械につながれている状態は変わらず。時々足がピクリと痙攣するのも以前と同じ。
 看護師がパジャマを着替えさせに来たが、このときはうっかり洗濯したものを持ってくるのを忘れてしまったため着替えがない。こういう場合は病院で用意したパジャマを着せてくれるのだが、もちろんこれにはレンタル費用がかかる。この病院では二日に一回着替えさせてくれるのだが、こういうこともあるとはたしてこれは親切なことなのだろうかとも思う。季節は真冬だし。

 回診にきた医師に尋ねてみても大したことは聞けなかった。結局はこのまま様子をみるしかないようだ。帰り際、午後この病院で介護保険の相談会があることを知り、長男と一緒に参加する事にする。

 この介護保険と言うのが複雑でよく分からない。本当は簡単で分からないのは自分だけなのかもしれないなだけど(笑)
 母親は毎日インシュリンを注射しなければならない。注射自体は本人が出来る。もうずっと続けてきていることだから。しかし最近は薬の目盛りを読むのがおぼつかない。ソーシャルワーカーに聞いた話では目盛りを読むくらいのことはいいが、それ以上はのことは医療行為ということになってしまうらしい。その場合はそういう資格を持った人のいる施設でないと母親を預けられないし、その分また費用がかかる。
 年明け早々、母親は長男とともに介護保険の介護度を決める面接を受けた。はたして保険でまかなえるものかどうか。
 ところがこの時点で次男(私)の心配は、このままではまた翌週のマラソン大会もまたキャンセルかと言うことだった(笑)。薄情なようだが付き添ってもただいるだけでしかない。長男の計らいで来週は一日いなくてもいいということになった。
 日曜日の夕方、また病院に任せたまま長男・次男とも帰宅。この時点では良くないながらも何となくこの状態がずっと続くのだろう程度に考えていた。

 二日後の午前長男から電話。病院から連絡があり、今まで酸素マスクで吸入を行っていたが、もうそろそろ喉に直接管を通すことにするという。そのための手術の同意書にサインが必要なので、明日行ってほしいとのこと。手術自体はたいした事ではなく、もともと酸素マスクの使用は二週間程度が目途だったらしい。
 仕事先の責任者に事情を話し、翌日半休をもらう。

 その日は夜9時になっても帰れなかった。まあ、自分のミスが原因なんだけど。このままでは早くても帰れるのは9時半過ぎか。明日は前半休で朝がそれほど早くないからまあいいかと思っていた矢先、突然病院から電話がかかってきた。次男(私)に病院から直接連絡が来るのは初めてだった。
 父親の心臓が止まったと言う。長男と連絡が取れずこちらに連絡してきたのだ。かねてから、もし”その時”になったら無理をせず自然に終わらせるという事を長男と決めておいたのでその旨を告げると、電話では対応出来ないとのこと。まあ、そりゃそうだ。こんな大事はことは家族本人が立ち合いでなければ。
 仕事が忙しい最中だったが、大急ぎで作業を引き継いで帰らせてもらう。多分これから2、3日は休まなくてはならないだろう。
 こんな時に電車の乗継が悪い。駅で20分程待たされる。やっと病院の最寄り駅に着いたのは11時過ぎ。従兄弟が迎えにきてくれていた。5分もかからず病院に到着。病室では既に長男が待っていた。医師もいたかどうかは覚えていないが多分私の到着を待ってから呼んだのだろうか。時間が時間なのでもう母親を連れてくるわけにはいかなかった。
 心臓が停止してからは機械で呼吸を続けさせていたようだ。長男・次男と従兄弟の3人立会いのもと機械が止められて臨終となった。「11時22分」だった。
 要するに私が到着するのを待って臨終ということになったのだった。臨終とはこういうことなのかと思った。死に目に会えるとか会えないとかではなく、家族が揃ったところで終わりにします、というのが現在の臨終なのだなと思った。