- 肺炎発症
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年が明けて、忙しいながらも何とか回復に向かっているかと思っていた矢先、突如長男から肺炎発症との連絡。それも相当上手くない状態で人口呼吸器をつけるかどうかの判断を迫られていると言う。但し人工呼吸器は一度付けたら元には戻れないらしい。喋る事も出来なくなるため、父親自身は嫌がっているという。
危ない状況ではあるようなのだが、ひとまずしばらくは酸素マスクを付けて様子を見ることにしたらしいのだが、病院から電話で説明を受けた長男から、電話ではよくわからないので様子を聞きに行って欲しいと言う。そう言われて次男(私)は早退して病院に様子を聞きに行くことになった。
病室では酸素マスクを付けた父親がゼイゼイ苦しそうに呼吸をしていた。意識はあるものの会話ができる状態ではなく「大丈夫?」位のことを言うことしかできなかった。
容態については担当医がおらず、代わりの当直医からは長男が電話で聞いた以上のことを聞くことはできなかった。どちらかというと、何度も説明するのが面倒なのか、あるいは代わりに説明すると後で責任にかかわるということなのか、こういう時は直接の責任者である長男と一緒にきて欲しいとのこと。
数日後、病院に様子を見に行った長男は苦しそうで可哀想だと言う。結局その後に人口呼吸器の装着ということになった。医者からは今のうちに親戚にご連絡をという話し。
万一に備えて家族にも付き添って欲しいとのことだったが、長男・次男(私)とも仕事の都合で無理な事だった。
次の週末、金曜日次男(私)は夜遅い帰宅で病院へ様子を見に行く暇もなかった。翌日の土曜日は父親の様子もわからないまま休日出勤。とにかく万一の時には数日間仕事を休まなければならないであろうことから、今のうちに少しでも仕事を進めておこうと考えたのだ。
その日の夜病院へ行くと昨夜は長男が泊まり込んだらしく簡易ベッドが置いてあった。父親は数々の機械やチューブに繋がれたまま眠っている。
どうも人工呼吸器というのは本人の意識とは別の呼吸を強制的に行うため、本人にとっては決して楽なものではないらしい。そのため呼吸器をつけたら麻酔で眠らせてしまようだ。なんだかよくわからないのだけど体が水分溜めるらしく、しわくちゃだった手がパンパンに膨れ上がっていた。
今日は親戚が何人もお見舞いに来てくれていた。
翌日も休日出勤のため、その晩も付き添いは長男に任せて次男(私)は帰宅。翌日は日曜日で、例年であればこの日私は恒例のマラソン大会に出場予定であった。父親がこういう状態なのでこんな時にマラソン大会とはいかがなものかと思っていたのだが、結局は休日出勤のためにキャンセルすることとなる。その日は窓から真っ青な空が見えてものすごくいい天気で、絶好のラン日和だなどど考えていた不謹慎な次男(私)であった(笑)。
仕事を終え夜再び病院に行くが状態は変わらず。今日もまた親戚がお見舞いに来てくれていた。東京からも親戚が来てくれていた。当然お見舞いを頂いたのだが、もしかしたらもうすぐ御香典という事もあり得るわけで、こんなときはどうしたらいいのだろうか?亡くなった後にお見舞い返しということになるのだろうか?
それにこんな時に仕事とは、さぞかし薄情な次男と思われたに違いない。しかし、じつはもっと薄情なことに、本当だったらマラソン大会にでていた(笑)のだ。
さらに翌日が祝日で休みと言うこともあり、その晩は次男(私)が病院に泊まることにする。何もすることもできることはないのだけど。床から高さ十センチ程の簡易ベッドに寝ていると、夜中に看護婦さんが何度も出入りするのでこんな時に寝ていていいものかと思う。反対に時々アラームのような物が鳴りだすのだが看護婦さんも誰もこない。こんな時にはナースコールを押すべきなのか?どうしようかとおろおろしていると、しばらくして看護婦さんが来てくれる。あまり緊急生がないのかもしれないがドキドキする出来事である(このアラームは後々何度も鳴ることになる)。父親の足が時々ピクリと動くのにも驚かされた。
翌朝は昨日の晴天とは打って変わってなんと雪!昨晩から降り始めていたのだろうか。
朝、長男と入れ替わりに一旦家に戻って食事と自分の洗濯をしてからまた病院へ。午後にまた従兄弟と親戚がお見舞いに来てくれた。こんなときはなぜだか全く関係ない世間話でもりあがる。
夕方、明日からまた長男・次男は仕事を休めず、付き添っていてもただ居るだけしかないということから、後は看護婦さんに任せることにして長男は単身赴任中の隣県に、次男(私)は家に帰るのだった。